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このフォルダーは空です めたにき 0515

空を「くう」と読むといろいろ想像できるのでタイトルに

肉をつけたいので食べる。空腹感はないので食べたくない。これの葛藤。これは天国以下。天国に行くには心の平安がいる。または睡眠笑。


本当のことは言葉にできない。語彙が足りないとか、表現力がないとかの問題ではなく、言葉は本当のことを表現するためのものではないから。本当のことは存在しないから。表現がどうのこうのじゃなくて。なので、本当のことはどうでもよいことになっている。真犯人は分からない。真犯人なんてどうでもいいから。相手が運命の人か分からない。運命の人なんてどうでもいいから。赤い糸はない。赤い糸なんてどうでもいいから。最近は特にネガティブな発言が多いみたいだけど、ネガティブとは思っていない。ネガティブはポジティブに行く途中。ポジティブはネガティブに行く途中。ずっとネガ/ポジで在るわけない。どうしてこんなめんどくさい話をするのかね。めんどくさい人だから。はい。自己完結してるわけじゃない。完結してたら、話をする必要ある? 考えて書いて考えて書く必要ある? 少なくともそれが私の思う完結。仕事をやめて、書くことをやめて、畑を耕すか、野菜やなんかを育てるような生活。
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ただの思い付きだけど、日本のような島国は、大陸ではなく島国という理由だけで、劣化しやすいのでは? だから元号を変える。せめて上辺だけでも繕って…ということ?

「覆面歌王」の注目ポイントはもう一つ。観客(一般判定団)の反応。音楽がどんだけ好きやねんと思わせる仕草、表情。

男から見て女性が儚い存在に見えるのは、実は逆で、男性が儚い存在だということ。自分の真実を女性に投影しているだけ。女性が実際に儚い存在だということではないし、現実に儚い女性というものは存在しない。子を産む存在ということだけで女性上位説を唱える人もいる。

日本語勉強中の人と自称言語観察者の対話
「片隅」ってどこ?
「あそこ」と部屋の隅を指さす
「どういう意味?」
「ちょっと離れた所、あまり目立たない所、ちょっと寂しい所という意味」
「じゃぁ、世界の片隅は世界で一番寂しい所ってことね」
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ドラマは溜まった感情を手軽に解消する手段。ほんとに解消できるかどうかは別にして。



あいちゃんの絵は、くるところまできた感、突き抜け感があって、面白い。

久しぶりに椅子に座った。お尻が痛いw。お尻の肉は減り、お腹の肉は増えた。

ドラマの基本は2分割。男と女。正義と悪。
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宇多田はメインクラスターではなくなった。少なくともメインというほどの大きさや影響力はなくなった。これと平行してJPOPの勢いがなくなった。これイチ韓国好きの見立てだから偏ってる?


cry me baby
cry me baby
i never cry for you
i cry for me today


現実はVR。科学が精神に追いつくという水瓶座時代。科学が追い付いた。この現実の世界に。科学界が現実をVRと思っているか知らない。現実はVR説の信者は一息つける。



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