そこにいてくれて、ありがとう。

 今は日本でも小学校で英語の時間があるのをご存知だろうか。現在文科省から定められているのは、全国の5、6年生は年間35時間(単純計算で週に1時間の割合)の英語活動。学校によっては担任の先生が一人で担当していたり、担任の先生と英語の先生のティームティーチングだったりするのだが、私は英語の先生として、小学校に4年間携わっていた。小学校英語に携わろうと強く心に決めたのは、ある講義に行った時のある先生の一言が決め手だった。

『他の時間に全く褒められない子が、この時間には褒めてもらえる、そんな時間が外国語活動だ』

 実際小学校に行ってみると、30名のキラキラとした瞳と、爆発するような元気に気分が高揚。私が知っている状況で表現するならば、コンサート会場。熱気とワクワク…そこにいるだけで幸せな気持ちになった。本当に一人一人を抱きしめたいような、そんな気分で毎時間楽しかったのを覚えている。時には「どうしたものか」と思う状況もあったけど、それでも子どもたち一人一人はいつもまっすぐだったように思う。私はゲストティーチャーという立場を利用して、全くフィルター無しで子どもたちを見ることに努めた。「褒める」ことは苦手ではなかったけど、努めて言葉に出す様にした。「そこにいてくれて、ありがとう」そんな想いをそのまま口に出して伝える様にしたのだ。
笑顔が素敵。
うなずき、いいね!
どんな細かい動きも見逃さず、子どもたちに反応し続ける。そして楽しく時間が過ぎ、私から見て劇的に変わったのは、日頃「手に負えない子」と思われている子どもたちだった。私が最初に衝撃を受けた『他の時間に全く褒められない子が、この時間には褒めてもらえる、そんな時間が外国語活動だ』という言葉が、ここにスーっと繋がっていくのを感じたのだ。

 小学校外国語活動で世界の文化や言葉を学ぶ…とは言え、それは知識の上だけのことで、実際言葉を使うこととは違う。言葉を使うには、もちろんその言葉の知識も必要だが、それ以上に人に興味関心を持つこと、それが出来るのは自分自身に興味関心がある人なのだ。特に文科省が「コミュニケーションの素地を育てる」と掲げている小学校外国語活動では尚更のこと、まず自分を見つめることが最初の一歩なのだ。

 授業中にチャチャを入れてくる子に最初戸惑ったけど、その内容をよく聞いてみると良いことを言っている。『良いことに気付いたね』と何気なく声をかけてから、その子の態度が劇的に変わった。積極的に活動に参加するようになったのだ。後に、担任の先生が「あの子、褒められたことが嬉しかったみたいです。」と伝えてくれた。
 初回からずっと活動中は全く後ろ向きだった子。授業後に話しかけたりしていたけれど、ある時から職員室に私を訪ねて来てくれる様になった。他の先生方から「あの子とどうやって仲良くなったんですか」と聞かれたけど、私は何もしていない。ただ、給食を一緒に食べた時、その子の話をじっくり聞いていただけ。授業中にそっぽ向いているその子は、自分の好きなことにものすごく知識が広くて、それを延々と話してくれたのだった。感心して聞いていると、その本まで貸してくれた。「ちゃんと読んだかどうか、チェックしに行くけんね〜」それをチェックするために、職員室に来てくれていたのだ。

 英語は言葉。人の言葉は、その人が生まれ育って来た環境を表していると思う。日本語はそれぞれ違った家庭環境の中で出会い、それぞれの生活が言葉に浸み込んでいる。そして再び小学校高学年で出会う「言葉」。
もう一度新しい自分に出会うチャンス。
そこは、絶対温かい場所であって欲しい、11年間生きてみて、苦手なことだらけだった自分や人に愛され認められていないと感じている自分。諦めたい様な気持ちの人もいるかも知れないけど、ここでまた素敵な自分に気付いて欲しい。
「あなたは素晴らしい。そこにいてくれて、ありがとう。」
そんなメッセージを贈り続けたいと思うのだ。

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