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足並み揃えて

 高校の運動会を見ていて、全員の動きが同じ入場行進を見てゾゾっとした。足の上げ方、高さ、速さも一緒。周りの人は「キレイね」とうっとり。私は心の中で思った。

「私は美しいと思わないようにする。」

 みんなが足並み揃えて歩く姿を美しいと思う様に、子どもの頃からその価値観が決められている気がする。揃えると先生から褒められる。揃わないと叱られる。そうやって作ったものは確かに美しいかもしれない。でも、私が今ライフワークとして取り組んでいるのは、「みんなと足並み揃えて歩く必要はない」という教育。

 あまりにも「一糸乱れぬ」を求められた私たちは、運動会だけでなく日常生活や思考の中まで周りと合わせようとしてしまう。それは私たちに染み付いてこびり付き、人に言われなくても「合わせられない自分」を自分自身が責めてしまうようになる。

 その行進を見て「キレイね」と保護者や来賓のお偉いさんが絶賛すれば、子どもたちではなくそれを指導する人たちがなぜか「もっとキレイにしなければ」と躍起になる。もっともっとを子どもたちに求めて、子どもたちに何かを学ばせるというより、目的はお客様を喜ばせること、という全く教育的でないことに一生懸命になる。

 教育はその子のもの。それぞれの子どもたちが「学ぶ」プロセス。
「自発的に学ぶ」ことまで繋げていくことが必要。そのために工夫してその場を作るのが指導者の仕事。私は子どもたちが学び続けるには「楽しさ」は必要不可欠だと思っている。人は「楽しい」こと「おもしろい」ことに夢中になるからだ。

 自分ベースでなく人のことばかりを考えて自分を否定してしまう教育の中に希望はない。時代は変わる。変わるべき。一度植えつけられた感覚を変えるには、苦労が伴う。私自身頭でわかっていても幼い頃から「みんなと一緒が一番良い」と学校で教え込まれてきたから、今苦労している。
今、この国に必要な改革は、意識改革。「一糸乱れぬ行進」ではなく、「子どもたちが笑って学ぶ姿」を美しいと大人が言ってくれる教育環境だろう。私たち大人が、まず「みんな一緒」から卒業したい。

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