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バザーの思い出〜温もりのリレー〜

 小学校のバザーで販売をしていた時のこと、6年生くらいの男の子たちが長い時間迷いに迷った挙句、その内の一人が5個セットのワイングラスを、そしてもう一人が急須と湯のみがたくさん入ったセットをレジに持って来た。私は笑いながら「パーティーが出来そうやね」と声をかけた。
すると男の子たちは興奮で少し紅潮した顔で頷き、湯のみを持って来た子は「おじいちゃんとおばあちゃんに、です」とハキハキ嬉しそうに答えた。
そして、渡したお釣りを財布に入れながら、何度か満足げに頷いていた。普段高そうに見えてなかなか手が出ないワイングラスや湯のみセット。こんなに安く手に入れたなんて、誇らしい気分だろう。そして何よりこれを渡して驚かれ、喜ばれ、褒められる自分のことまで想像しているのだと思うと、胸の中がホンワカ温かくなった。
「きっと喜ばれるね」と声をかけながら、どうか嘘でもいいからこれを受け取ったお家の方には喜んで欲しいと願った。いや、無理矢理喜ばなくてもいいから、せめて「なんでそんなのいっぱい買って来たの」とか「うちにいっぱいあるじゃない」とか言わないで欲しいな、と。

 子どもの頃を思い出した。ちょっとだけのお小遣いを握りしめて学校の日用品バザーを覗いた時、小さな小さな茶器と不思議な形のポットのセットに魅了された。私でも買える価格だったのでそれを買って帰ったけれど、それは中国茶セットでそれまでもその後も中国茶を我が家で楽しむ習慣などなかったので、それはそのまま「ままごとセット」になってしまった。
その後も植えるあてもない植木鉢や、ハイジに憧れてどこの何の木かわからない木をくり抜いて作られたサラダボールセットなど、私の無駄な買物を思い出すと親に申し訳ないような恥ずかしい様な気持ちになってしまう。

 でも救われるのは、その度に親に叱られなかったことだ。かと言ってめちゃくちゃ喜ばれることもなかったが、母は私が誇らしげに持ち帰って「ジャーン、いくらだったと思う?実はね…」とドヤ顔でクイズの答えを発表するのにいちいち付き合って驚いてくれたので、それで満足していたのを覚えている。
 その後のその品々がどうなったかはわからないけれど。

 こうして大人になった今、子どもたちの嬉しそうな顔を見て共感する気持ちがあるのは、あの時の母の共感があったからだと思う。あの茶器や植木鉢、木の器はそんな温かさに形を変えて今も私を支え続けているのかも知れない。

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