謝ると自分の価値が下がるのか

 自分の内面を引き出す為に、敢えてオンラインの「質問箱」とやらを設置している。毎日数件ずつ面白い質問(専門は教育と英語だと書いているのだけれど、変化球ばかり)が届くのだが、それを見てすぐに返事を書くことを自分のトレーニングとしている。じっくり考えずに、パッと出す練習。 

 先日届いた質問が面白く、私の中から出て来た言葉も興味深かったのでこちらに記しておこう。

 質問「謝ると自分の価値が下がってしまうと感じてしまいます。この考えはよくないですかね。」

 良いか悪いかは私には断言できません。ご本人がそれで生きやすい、自分の想いが伝わりやすい、仕事がしやすいと思われているのでしたら貴方にとっては良いのだと思います。

 ご参考になるかわかりませんが、私も同じことで以前悩んだことがありますので、経験をお話ししますね。長いですのでお時間がある時にでも覗いていただけたら、と思います。

 私は元々謝りたくない、自分のせいじゃない、と思う人間でした。
でも、自分のせいではないと思っているのに、なぜかいつも同じところをグルグル回っている気もしていていて、それがいつも気持ち悪く心に引っかかっていました。

 今の仕事は私にとって何よりも楽しく、充実したものです。個人で教室を開いていますので、縦横斜め。。。といろいろな関係の方々と向き合って仕事をします。その中で信頼関係は必須です。自分にとって何よりも優先したい「自分の想いを届ける」という部分で、私はあるきっかけから新しい試みを取り入れてみました。
 授業の中で自分が間違ってしまったと思ったら子どもたちに丁寧に謝ります。ミスや誤解があったら、保護者の方にも謝ります。仲間にも同僚にも。そして付け加えます。
「先生も間違うから、助けてね」
「なんでもご遠慮なく、お話しくださいね」

 そこで見えたのは「謝るという行為」の結果ではなく、「自分で自分の負の部分を認めた」ということの結果でした。そこから心がスッキリして、また前に進めることにビックリ。以前の様なグルグルした負のスパイラルはありません。そして周りの人と私の心の距離が縮まりました。私が困っていたら助けてくれますし、私も相手が困っていたら寄り添います。

 自分の価値を決めるのは自分です。それを人に決めさせていると、「謝る」行為そのものだけに目が行きがちですが、自分自身が自分の負の部分に目を向け、素直にそれを認めて「謝る」という行為で自分に示し、そこからまたスッキリ前を向く。その姿から人はその人への信頼を感じたり、その人に愛着を持ったりするのだと思います。

 私が「謝る」を選んだきっかけは、生徒の言葉でした。
『学校の先生とか、お母さんとかってさ、謝れ謝れっていうけど、自分が間違った時とか、絶対謝らないからいやだ。』

 子どもたちの透き通った心は、いつも私に学びをくれます。

読んでくださって、ありがとうございます。 もし気に入ってくださったら、投げ銭していただけると励みになります💜