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良さと難しさは表と裏

 指導者という意味では同業者の学校の先生方や、民間の先生方、そして保護者の方々など、子どもたちと関わる中で出会う方々に驚く程「マイナス要素を見る、探す」達人の多いことに、ちょっと違和感を覚えている。
ある子の話をする時に「あの子は頑張り屋ですが、時々ボーッとしていますよね」とか「人に優しいんですが、自分がないというか…」とか。
子ども自身が聞いたらガッカリするような言葉を聞いて私もガッカリする。せめて言い方をひっくり返してくれたらいいのに、と思うが。どうしても大人は子どもの悪いところを探して、そこを直してやらなくちゃ、と思っているらしい。

 かく言う私もそういうところがあったと思う。いろいろ違和感を持ちながら生きていたけれど、その違和感は自分の考え方にも侵食を始めていて、私も同じように人の気になる部分に目を留めて、まるで粘土細工を作るようにその傷や出っ張りをどうにかフラットに直さなきゃ、という使命感のようなものにかられていた時があったと思う。情けなく残念な話だけど、それよりは子どもたちと向き合う中で気づいたことや教えられたことを経て、今の考え方になった自分を大切にしたい。

 今、私は保護者の方々からご相談を受けた時の返答で「先生は良いところを見つける達人ですね」と言われることが増えた。最初はピンと来なかったけれど、どの保護者も言うので今はありがたく感謝してその言葉そのままを受け止められるようになった。でも、それを自分の売りにはしたくないので、そっとしている。自分が思うままに、感じるままにおうちの方にお話をする。そして、「気になるところと良いところは表と裏なので、絶対に気になるところを直すことばかり考えないでください」と言う。気になるところを取り去ることは、良いところを消してしまうことにもなる。その危険性に気付いたから。
 私たちが子どもたちの為にすることは、気になるところがあるのは当然と受け止め、それと上手に付き合っていく方法を一緒に探すこと。例えば行動は素早く考えるのも早いけど忘れ物が多い子は、どこかにメモして貼っておくとか人に声をかけてもらうとか、そういう攻略法を一緒に考える。そして忘れた時にはどうするか、も忘れずに。その行動の早さや頭の回転の速さ、アイデアはきっと将来その子を支える力になるから。
例えば自分の意見よりも人を最優先にしてしまう子は、その優しさと寄り添いで人を助ける人になるだろう。でも自分の意見が大事な時もある。たくさん会話をしてその子の中から考えを引き出してみる。すると本当に素晴らしい考えが出てくるので、それを讃えてそれがいかに人の為になるかを伝えよう。

 大人は簡単に子どもを変えられると錯覚してしまうけど、子どもの持つものは生まれた時に持ってきた宝物も多い。それを変えてしまうという無茶を考える前に、性質そのものよりも変えることが出来る「習慣」から一緒に変えていけたら良い。どうしたら自分が困らない様に出来るかを考えるのは、問題解決能力を伸ばすことにも繋がる。問題はあって当然。問題がないとそれを解決する力は育たない。だから、自分の中で気になる部分も大切にしなくちゃ。

 面白いことに、この考え方になってから、大人の方にも「話したら元気になった」と言われる。意外と大人になっても、自分の弱点ばかりに目がいってしまうのだろう。それは同時に長所であることがわかったら、自分のことをもっと好きになる。これからも、大人子ども問わず周りの方々にそんな言葉がけをしていきたいと思う。

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