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防衛本能

結局心次第。
人間って気持ちで動くものだから1度こうだ!と思い込んだらテコでも動かないし逆にそう思い込むことが大切だったりして、
また逆の逆も……

後先考えずに動けることが
眩しく見える時ってありませんか?


私はココのところそう思うことが多いです。
とはいえ、私と親しくしてくれている人からは、私がそういう人間だと見えてる部分も、あるらしい。
もしかすると要素は持っているのかもしれない。

ネットの記事で、あおり運転されないためにとあった。

あおられないための、運転時に気をつけたい注意点。
が、肝心なところが有料で読めず。
ウインカーの話ししてたから、大体は想像つく。
で、ちょっと待った、ポイント。

私もプチあおられされたことありますし、THEあおり運転を目の前で見たこともあるので分かります。

誰だってされたくない!
が、
だからって、あおり運転されないために運転してるわけじゃないからね!!

車が必要でどうしても運転したいのでしているのです。
そもそも、これって車運転時に限ったことじゃない、歩きでも走りでも自転車でも、周りに危ない目を合わせないのは当たり前のことじゃない。
何を車になった途端に言い出しちゃってるのよ。
スピードが出る乗り物で危ないから

規模も危険度も違うからなのは承知しております。
おるけど、そこでふと思う。
人間便利なものを前にすると心が肥大化する。


私が車の運転免許を取ったのは、31歳くらいの時でした。
それまでは東京に住んでいて、車なんて欲しいとも運転したいとも思ってなかった。
移動手段は歩き、自転車、バス、電車。

九州に引っ越して初めて感じる都会の凄さ。
車がなくてもどうにかなる感。

地方は車がないとなぁ〜
それは痛感することもよくあった。
そして車がある生活が普通になってきて、車の運転マナーから見る車社会みたいなものが目につくようになった。

どこに行くにも自転車だったころは、
自転車の走るスピードで動ける範疇=移動時間=体力+余力、なので前もって取る時間プラスαがそれなりに必要だった。

しかしどうだろう🤔

車といえばドア・トゥ・ドア。
車が無かったころの私からしたら
なんとも贅沢なものでしょ。

無くても事足りるものってきっと暮らしの中には山ほどある。
けど、あれば役に立つし仕事も早い、楽だってできる。
楽することは、悪じゃない。
だからこそ当たり前に使い始めて慣れてきて、使う自分の気持ち以外に目が向かなくなってくると、事足りてることさえ忘れてもっともっとと求めちゃうんじゃあないのかな。

ペースを乱すものにイライラしてしまうのも、そうなると分からなくはない。

恐らく、そういうイライラに巻き込まれてしまうとヤヤコシイから
あおり運転されないために
なんだろうね

今の世の中、どこからやってくるかわからないイレギュラーに対しての防衛本能を、どう持ち合わせるかが鍵なのかもしれないね。

ただ、私はとてもとても癪だわ。

思い通りにいかないことに、自分の不機嫌をあらわにする人のために何かをすることが。

防衛本能か
攻撃耐性か
スルースキルか

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