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CHAGE and ASKAファンが愛する、CHAKE and YASKA

小学生当時、土曜夜8時の楽しみはお笑い番組『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』だった。

特に大好きだったコントは、「CHAKE and YASKA(チャケアンドヤスカ)栄光の軌跡」。同時期に“SAY YES”でCHAGE and ASKAの大ファンになっていた私は、盆と正月が一度にやってきたような喜びを胸に、ブラウン管にかじりついて観ていた。

アラフォー以降の世代にはお馴染みかと思うが、なんと、最終回にはチャゲアス本人が登場するというサプライズが待っている。当時SNSがあったら、「#チャケヤスにチャゲアス」がトレンド入りしていたかもしれない。(と、空想しただけで目頭熱くなります)

なぜにここまでの大フィナーレを迎える名作となったのか。そして何より、なぜにチャゲアスファンをこんなにも夢中にさせたのか。全6章から成る物語を、4つの観点から勝手に深掘りしていこうと思う。チャケヤスは、私にとって永遠なんで!

※以下、CHAGE and ASKAを「C&A」、CHAKE and YASKAを「C&Y」と表記します

1.回想シーンにみる、リサーチ力

全国ツアー初日の楽屋、ヤスカ(ウッチャン)が自分の歌い方を忘れてしまうという非常事態。開演までに何とか思い出させようと、チャケ(ナンチャン)はあの手この手と奮闘する。これがこの物語の核である。

あの手この手のひとつとして、C&Yが過去に乗り越えてきた出来事を、ヤスカに振り返らせる。その回想シーンが、C&Aの史実に詳細に渡って忠実なのだ。

大学の音楽サークルに所属していたふたりは、ヤスカの誘いで音楽コンテストへの出場を決める(第1章)。1979年、ヤスカ作詞作曲の“ひとり咲き”でエントリー、グランプリ候補と注目される。だが、曲の途中でヤスカが歌い出しのタイミングをミスしてしまい、入賞どまりとなる(第2章)。

上記の4行に出てくる「ヤスカ」を「アスカ」に置き換えれば、まさにデビュー前のチャゲ&飛鳥のエピソード。ちなみに、グランプリを逃すもレコード会社の目に留まり、デビューの切符を手に入れるところまで、第2章では再現されている。

当時の雑誌インタビューには、C&Aの自伝本『PRIDE 10年の複雑』をもとに物語をスタートさせた、との記述がある。1991年7月の“SAY YES”大ヒットから程なくして始まった「栄光の軌跡」。このスピード感により、最終章ではブレイク後を描くところまで到達している。C&YがC&Aと同じ速度で走ってくれたことで、多くのファンがリアルタイム感は勿論、大きな共感をもって毎回の展開を心待ちにしていたに違いない。

またこの回想シーンでは、C&Aファンならニヤリとしてしまう人物が登場する。若かりし石原良純さん演じる、音楽ディレクター「ハマハの浜里さん」である。ハマハ→ヤマハ、浜里さん→山里さん。C&Aの育ての親として有名な方だ。劇中、浜里さんの突飛な提案に反対したチャケが発する決め台詞「冗談やなかでしゅ~~っ!」は、のちにChageさん本人がコンサートでものまねを披露するに至る(最終章)。

個人的に、、生い立ちを紹介する際の再現写真もはずせない。生後2ヵ月のヤスカ、赤ちゃんと思えぬほどの長髪、毛量なのだ(幼い子がかつらをつけて眠っている)。C&A界隈で「たわし」と称されることもあったASKAさんの髪を、写真1枚で象徴するとはあっぱれです。

各章の最後に、To be continued的にC&Aの楽曲を使ってくれていたのも嬉しい。それもアルバム曲(第1章は“どのくらい I love you”、第2章以降は“迷宮のレプリカント”)。史実のみならず、根幹となる音楽にも細やかな心配りをしてくれていたと思うと、感謝に堪えない。

2.揺るぎないキャラクター設定

ヤスカは少しの不安も残したくない完璧主義。チャケはその場のムードを和ますのが得意な感覚主義。「この絶妙なバランスがC&Yの魅力」と、第1章でナレーションが語る。C&Aファンとしては、相通ずるものを感じずにいられない。

前項で記した「あの手この手」のもうひとつが、チャケによる個性的な歌唱指導だ。楽屋で繰り広げられるこのシーンは、ふたりのキャラクターの対比がより色濃く出ている。それはナンチャンの鋭い観察眼と芸達者ぶりに因るところが大きいと思う。

数々の名指導のなかで、私が最も敬服したものがふたつある。ひとつ目は「提灯を伸び縮みさせて、“モーニング ムーン”をな行で歌うべし(第3章)」。これ、ご存知の方は情景が浮かんでニヤニヤが止まらないこととお察ししますがそうでない方はなんのこっちゃですよね。

第3章以前は“SAY YES”で指導を試みていたのだが、ヤスカの調子が一向に上がらない。そんな彼にチャケは「SAY YESダメダメ病になっとるっちゃ」と指摘。ヤスカ=ASKAの、深み(粘りつくような)とコクのある(しつこい)歌声は「な」行の発声に近いと、“モーニング ムーン”を課題曲にし、思い出させようとする。あ、()内の感想は私のものではないですよ、コント中に出てきたフレーズですよ←責任転嫁

それで、なぜに提灯?この疑問を払拭してくれるのが、チャケの言葉「ヤスカの歌い方は強弱がはっきりしとるっちゃ」。ASKAさんの歌い方には、聴衆の感情を揺さぶるほどの抑揚がある。きっとナンチャンはそれを感じていたはず!あまりにもさらりと言うので聞き逃してしまいそうになるが、的を得た裏付けがあってこそのアイテムだったのだろう!と興奮が止まらない。

また、ASKAさんが歌っている姿で特徴的なのは、全身の動きが大きいこと。体そのものが楽器であるかのように、感情とリンクさせて声を放つ。これをズバリ分析しコントに落とし込んだのが第5章。紙相撲の、両手を前に出しながら細かく跳ねる動作をヤスカに提示する。そこで出た「ヤスカは歌を体の動きで覚えとる」…チャケ、いや、ナンチャンありがとう!といった心境である。

ナンチャンは前出のインタビュー記事で、こう話している。彼も、ひとりのC&Aファンだったのだ。

“ひとり咲き”を夜のヒットスタジオで最初に聴いて、ああ、これはいい!と思って、次にヒットスタジオに出たとき、テレビの前で録音した思い出がありますね

そうそう、“LOVE SONG”を豚鼻で歌うバージョンも最高で、学校で友達とマネしたなぁ…。思い出がみるみる蘇る。

今回投稿するにあたり改めて鑑賞したところ、この楽屋シーン、ふたりが向き合い、終始目を合わせた状態で進んでいることに気づいた。漫才のかけ合いのようだと評判の、C&AのMCを無意識に投影してしまうのはこのためか。チャケが会話をリードしヤスカがボケたりツッコんだりするパターンも、本家を彷彿とさせる。

実際のウッチャンナンチャンも、過去に「ストイックとポップ」や「内と外」等、近しいスタッフの方から対比の例えが多く出ていた。放送当時20代だったウンナンが、伝説と呼ぶに相応しい作品を生んだのは、ふたりが持つ「絶妙なバランス」の賜物だったのかもしれない。

3.妥協なき再現

回想シーンのなかで強い存在感を放っていたのが、C&Yによるステージパフォーマンス。この作品で、ウンナンや番組スタッフの方々が最も力を注いだところではないか。毎回のクオリティが、コントの域を超えている。

全6章の中で最高傑作だと思うのが、第5章で披露した“モーニング ムーン”。まず、当たり前のように口パクではない(これは毎回のこと!)。また、キーを変え、番組用にトラック(カラオケ)を作っている。これだけでもウンナンチームの気合いを感じる。

そしてこの“モーニング ムーン”、C&AのDVDに収められている(当時はVHS)、ライブバージョンの完全コピーなのだ。6変化する衣装を4つも再現しているところにまず驚く。それに伴って変わるふたりの髪型も、忠実に。ビジュアルへのこだわりがたっぷり詰まった数分間だ。

しかし私がここでいちばん語りたいのは、この曲におけるウッチャンの「身体性」である。前項で記した、第5章の紙相撲を思い出していただきたい。全身で細かくビートを刻みながら歌うASKAさんのスタイルを、ここで見事に表現しているのだ。

左肩を前に出し、やや斜めの姿勢で上半身を前後に揺らす。かなり独特なリズムの取り方で、一朝一夕に会得するのは難しいと思われる。また、ライブのボルテージが最高潮に達したときに繰り出される、ASKAさんのアクロバティックな動き(片足をステージ平行に高く上げ、その勢いで体を回転)も、いとも簡単に魅せている。

映画やコントでキレキレのアクションをこなしていたウッチャン。高い運動能力が再現のクオリティを上げたことを証明するワンシーンである。

更に挙げると、少し顎を引いて上目使い気味に歌うところや、眉間にしわを寄せどこか哀愁漂わせる表情、ロングトーンの最後にマイクから離れる動作など、、見るほどにTHE ASKA、なのだ(熱くなりました)。ナンチャンのチャケがご本人と瓜二つなことに目が行きがちだが、ウッチャンのモーションひとつひとつから、ストイックなまでの探究心を感じる。

ライブシーンのみならず、レコードやCDジャケットのパロディも完成度が高い。本家C&Aのジャケットから徐々にスライドしてC&Yが現れるのだが、いつ変わったのかわからないくらいの写真もある。個人的には“LOVE SONG”のパロディ写真がキリリとしていて好きです。という余談を置いて、次へまいります。

4.ヤスカが取り戻した「プライド」

チャケの懸命な努力の甲斐あって、ヤスカはようやく本来の自分を思い出す(最終章)。その際の台詞はこちら。

今の俺はチャケ&ヤスカの歌の形にとらわれて、歌うことの誇りを忘れていたんだ!

コントの締めにしては重ためにも思う。しかし、これまでの回想やチャケの熱い指導はすべて、この言葉を引き出すための伏線だったのだ。あぁ、そこに立ってそのときわかることばかり。

「SAY YESだめだめ病になっとるっちゃ」ーヤスカ本人よりも先に、彼の精神状態を察していたチャケ。ブレイクをきっかけに激変した環境に困惑していたであろうことを、視聴者に推測させる奥深さ。乗り越えてきた出来事から得たものに気づくまでの道程を、無意識に共有させた巧みさ。これこそが「栄光の軌跡」の真髄なのだと思う。

ASKAさんはラジオ番組『Terminal Melody』で、当時の心境をこのように語っている(ご本人の言葉通りではない箇所があります。ご了承ください)。

恐怖はあった。ブームだとしたら終わりが来るから。でも、その中にあっても自分をしっかり持っていようと思えてからは、気持ちが楽になった。

……なんというリンク!書いていて鳥肌が立ちそうだ。こんな大きなテーマを見事に描いたからこそ、C&Aファンをも巻き込み、魅了したのではないだろうか。

全章を通じて伝わる、本家C&Aへの敬意と愛情、とことん真面目におふざけをする真摯さ。それらがChageさんとASKAさんに伝わったであろうことは、最終章で証明されている。

チャケのギャグに大笑いするChageさん。ヤスカの「逆ものまね」をするASKAさん。これぞまさしく「愛には愛で」の瞬間。CHAKE and YASKAとCHAGE and ASKAが同じステージに立つという大フィナーレは運命的であり、必然のようにも思える。こうして後世に残る神回は生まれた。

その後のウッチャンナンチャンの活躍は言うまでもない。社交ダンスコンテスト出場、ドーバー海峡横断成功、音楽ユニット『ポケットビスケッツ』『ブラックビスケッツ』での大ヒット、『ミル姉さん』『はっぱ隊』等の名コント量産…挙げればきりがないほどだ。そして現在ももちろん第一線。いつの時代も妥協を許さず取り組んできた「やるならやらねば」のマインドは、笑いを追求することへの「プライド」に根付いたものだと思う。

ウンナンのふたりだからこそ成立したC&Y。およそ30年経た今も胸の真ん中にいてくれる作品とのめぐり逢いに、心から感謝しています。そしてこれからも、ご健康でご活躍されることを願っています。夢の斜面を見上げ続ける大人はかっこいい。おふたりの姿を拝見するたび、そう思わせて頂いています。

永遠のチャゲアスファンより。


※参考資料 「CHAKE and YASKA 栄光の軌跡」、Caz別冊1993 4/27、Quick Japan vol.88

協力 Maiko








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