5月31日

昨日夫は飲み会で、酔っ払って帰ってきた。
私はすでに寝ていたけど無理矢理起こされ、とても鬱陶しかった。
数時間寝て、途中で起きるとそのあと全然寝れなくなってしまうので、
今、娘と早寝早起き生活を実践している身としてはかなり迷惑極まりなく、苛立った。
その後無駄に何度も起こされるので痺れを切らしてリビングで寝た。
娘は6:20にこっちの部屋(襖で仕切っているだけ)に起きてきた。

今日はこだまさんの「ここは、おしまいの地」を読み終えた。
これは自分か…と思うほど共感する箇所が所々にあった。
一番胸熱だったのが、柄本明似の歯医者さん。
前に娘の歯を見てくれた歯医者さんが柄本時生似だったので
なんかめちゃくちゃ勝手にシンパシーを感じてしまった。
こだまさんに、なのか、柄本家に、なのかはわからない。
読んでいて、自分も肯定されていくような感覚になった。
こだまさんの経験や様々な思いが昇華されていくように、
私の鬱屈した思いも、コンプレックスもいつか昇華して、成仏して、越えていってくれるんじゃないかと思えた。
もう少し、ずっと長く、手探りでも良いかもな、と思えた。

それと燃え殻さんの「ボクたちはみんな大人になれなかった」も読み終えた。
何というか、タイトルからもう勇気づけられた。
予備校生時代、「大人じゃない、まだ子供」という指導の言葉があった。
美術予備校に通っていて、随分浪人も重ねた。
気づいたらストレートで入った同級生が卒業するぐらい年月が経った。
自分は子供なんだってことがなんかすごく歯がゆくて、ずっと同じところをぐるぐるしてる事が情けなく、消えそうで、消えたくて
大学受験を辞めた後も、結婚して子供を産んだ後も、今も、大人になるってことに執着していた。
大学合格すると大人印をつけられた先輩、友人、後輩。
その中に入れない自分。
もちろんそれが全てではないのは分かっているけど、わかってはいるのに執着してしまうのは
やっぱりコンプレックスなんだと思う。
それは今も引きずっていているけど、この小説がネットやテレビで紹介されて、
そうか、みんな大人になれなかったのか、と安堵した記憶がある。
そんな鬱々とした日々の中でも、私が気づかなかった自分の良いところを指摘してくれた人もいて
本人は何の気なしに言ったかもしれないけど嬉しい言葉も私にはちゃんと残っていて
そんな日々や言葉を思い出して、心の中で繰り返した。
その言葉で今の自分があるのも確かであって。
人に寄り添うと言うより、人の思い出に寄り添う小説だったなあと、思った。
喫茶店のアイスに添えられたウエハースみたいな本だった。

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