なぜ祝うのか

「誕生日を祝う」とはどういう事なのか

最近とある友人とこういう議論をした。

これは歴史にヒントがあるかもしれないと思い調べてみた。

日本には元々、誕生日の概念自体が希薄だった。

というのも昔は年齢は数え年でカウントされた。つまり、国民全員がお正月を迎える事で一斉に年齢を重ねていたのだ。

新年を迎えると神様が初日の出と共に人々に新しい魂を運んで来るとされ、それを受け取れる日を迎えられたことを「あけましておめでとう」と祝っていたそうだ。

それが昭和24年に「年齢のとなえ方に関する法律」が制定されて、個人が生まれた日付で年を重ねる事になった。それによって、個人の誕生日を祝う習慣ができた、のだそうだ。

昔は今ほど医療技術が発達してなく、成長過程で命を落とす子供が多かったので、「七五三」という風習でそれぞれの年齢を迎えられた事に感謝をするようになった。それが今も残ってる。

うん、なるほど。

僕は今年で32歳になった。さすがにこの年になると年齢を重ねることに嬉しさもなければ感動もない。

でも32年生きられた事に感謝はするべきなのかもしれない。多分当たり前の事なんかじゃない。

「なぜ誕生日を祝うのか?」

僕はこれは「感謝の名目」と捉える事にする。

「今まで生きてくれてありがとう。僕と出会ってくれてありがとう。そしてこれからもよろしくね。」

この言葉をそのまま伝えるのはさすがに恥ずかしいので、「おめでとう」という言葉にそれを内包して送る。

そう考えると自然なのかなって思った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?