統合失調症になった日のこと

【救済編】掲示板をながめて暮らす(3)

統合失調症を発症して措置入院。でも、1ヶ月で退院することとなった。どうも今どきの精神科は患者が多く、永遠には入院していられないらしい。財政の問題はあるし、障害者は地域で生きるというポリシーが国にあるからだ。よって、1ヶ月で退院となった。

医師は「(私の)回復がとても早い」と驚いていた。普通は3ヶ月から数年ほど入院するものらしい。病院にも、自分の病気を認めていない人は大勢いた。しかし私は病院の中で病識を得ることとなった。決定的だったのが、医師に「ヤクザに追われている」という話をしたとき。

医師は「普通だったら、そういう話を警察や他の人にすると思うんですよ。でも、医者にそういう話をするということは、どこかで『自分は病気なのかも』と、助けを求めているってことなんじゃないでしょうか」と説明してくれた。

そうかもしれない。ただ、今は何も考えられない。
退院して最初の1ヶ月はまだ休職中だった。当たり前である。毎日、殺されるのであれば、と身辺を整えてピカピカになった部屋で、ベッドに横になって天井を見つめていた。生きなきゃ、生きないと。せっかく生き延びたのだから。

でも、どうしたらいいかわからない。翌年2015年1月から、復職することが決まった。私は毎日、職場に通った。幻聴に追いかけられた道、人に笑われた廊下、そして、みんなでよってたかって私を殺そうとした職場にである。

職場ではみんな私に優しいが、何も与えられない。毎日、定時にデスクについて、パソコンを立ち上げる。でも、伝票は回ってこないし、何の仕事も与えられない。仕方ないので職場のパソコンでネットをして時間をつぶした。“ちきりんブログ“をすべて読みこんで、不思議に思った。この人は、私と同じ世界を生きながら、そして同じインターネットを前にしながら、どうしてこんなにおもしろい文章が書けるのかな。

そうは思ったものの、私がパソコンでやったことはネットのゴシップ掲示板を読み漁ることであった。とくにお気に入りだったのが芸能人の話である。あの人はこう、あの人はこう…。輝くような東京の芸能人の話をぼんやり見つめてすごした。

お昼に帰宅したらまた横になって天井を眺める日々。ほどなく、3月になって会社の契約が切れた。あっさりと私は放り出された。

しかし、この頃、インターネットでゴシップ掲示板をみていたことが、意外な形で生きてくることとなる。今でも私が書く文章は、別にとりたててうまいわけではない。ただ、とにかく「面白い」といわれるのだ。それは、私が毎日インターネットのゴシップ掲示板を見つづけ、何が人の心をつかむのか、そして何が場をしらけさせ、何がより盛り上げるのか、そのあたりの感覚をつかんで、ネットのゴシップライターとしてインターネットで働く足がかりになったからである。

別にライターとしての素養があったわけではない。ただ、事務員としての当時の私は磨くべき専門もなく、仕事を与えられず時間が膨大にあり、何より現実から逃避する必要があったのだ。ゴシップ掲示板は、それにぴったりだった。もうありとあらゆる芸能人に詳しくなった。

バカバカしい。だから病気になるのだ。いろいろな意見があるかもしれない。しかし、このことがきっかけで、私は貧困を脱出するのである。


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