【ヒプマイ考察】波羅夷空却の宗教的背景について(前編)

 本noteはヒプノシスマイクのキャラクター、波羅夷空却のオタクである著者による「波羅夷空却の宗教的背景」についての考察論文*である。原作および特定の宗教団体とは一切関係ないため、その点のみご了承の上、お楽しみください。*随時更新予定

あまりにも長くなってしまったので前編・後編に分けて投稿します。
本記事は論文の前編です。(後編はこちら


仏教徒、波羅夷空却

 ヒプノシスマイクの登場人物、ナゴヤディビジョンBad Ass Templeリーダーである波羅夷空却の宗教的背景について、彼を知る人間のほぼ全員が知っている一つの事実がある。それは波羅夷空却が仏教寺院、空厳寺に勤める住職の息子であり、僧侶を目指して日夜修行しているということだ。
 著者(以下、尼)は誇張ではなくこの事実だけで白飯が五杯は食べられる。彼はおよそ日本と思わしき国に生まれ落ち、正統に日本仏教の思想系譜を受けつぐことが約束された(さらには本人も僧侶になることを望んでいる)れっきとした僧侶見習いなのだ。東洋宗教・思想オタク兼、波羅夷空却のオタクである尼にとって、この事実は帰依不可避の爆南無ファクトであった。

 個人的な話で恐縮だが、尼は波羅夷空却のDRB参戦が確定した直後から考察活動を開始した。活動における最初のテーマは「彼は一体どの宗派の仏教徒なのか?」ということについてだった。
 なぜ波羅夷空却の宗派の特定が必要であったのか。それは尼が「人は自分が信じる(あるいは共感する思想)から思考を生じさせ、思考から言葉が生まれ、言葉から諸有の行動が生まれる」と考えていたからである。仏教学を学んでいたからこその考え方かもしれないが、マザーテレサの格言にも同様の言葉があるのだから、この一説はきっとあながち間違いではない。演繹すれば、波羅夷空却のさまざまな言動の裏には必ず彼なりの思考が存在するわけで、その思考のバックボーンには彼の身辺に存する宗教的環境が必ずや影響を与えているに違いないと考えたのだった。

 現代日本人の多くは信仰する宗教というものを持たないどころか、宗教思想に触れる機会すらもが生活の中ではほとんどない。悲しきかな、時に「葬式仏教」と現代日本仏教が揶揄されるように、知らぬ間に仏教徒として寺院に登録されているばかりの私たち現代人の多くは、葬式の際にお寺に連絡を、程度の関わりしか生涯持つことがないのである。仏教オタクの尼は、この事実を誠に残念に感じている。
 しかし、波羅夷空却は違う。彼はそもそもの公式キャラクター設定において「不良僧侶」であり「由緒ある寺、【空厳寺】の息子」、そして「信心深い」とまで言及されていることから、仏教との身体的・精神的関わりの深さを窺い知ることができるのである。さすれば、幼い頃から慣れ親しんできた仏教思想は彼の発達過程に何らかの影響を与えて然るべきであり、現に仏教をバックボーンとした発言やリリックが多いことからも、彼を知る上で仏教思想が重大な参考となり得ることが分かるだろう。
 いわゆる敬虔な日本仏教徒として彼が仏教を信じているかどうかはわからないが、少なくとも「仏は拙僧の指針」や「人を導く僧侶になる」と公言しているし、修行に明け暮れて日々を過ごす彼の姿は、仏道修行者のそれであると断言できるのであった。

 では、波羅夷空却が信じている、あるいは共感して実践している思想が仏教だとして、ご存じの通り仏教には様々な思想がある。原始仏教、上座部仏教、大乗仏教、ここでは細かな違いについて説明することはしないが、どれを波羅夷空却の根幹にある思想として据え置くかにより、私たちの思い描く「波羅夷空却」像が変わる。様々な考え方があって然るべきだが、やはり彼の出生である空厳寺の仏教思想を参考にすることが最も妥当であると尼は考える。波羅夷空却は師僧である父親、灼空の教えのもとに育ち、修行を続けてきた。当然のことながら、空厳寺に流れる思想や法流をベースとして、彼の思想もまた形成されていったと考えることが自然であろう。空厳寺は、その立地や描写からおよそ日本大乗仏教の寺院であることは明らかである。ならば次いで私たちは、空厳寺がいずれの宗派の寺院であるかということについて、考えなければならない。

 ここで念のため注意喚起をするならば、仮に波羅夷空却の思想や生活習慣の細部を検討するならば彼の宗派を検討することは有効だが、通常のキャラクター解釈においては仏教思想の共通項のみを押さえるだけでも十分であり、必ずしも宗派までを気にする必要はないということだ。
 仏教はその種別や宗派においてまったく異なる思想を持つ宗教である。だが、その根本的な思想を辿れば、宗派の違いを超えた普遍的な共通項が立ち現れてくる。そもそも元を辿れば仏教は釈迦の教えから始まった。木の枝葉はそれぞれ思うままに生えていたとしても、その根本は必ず繋がっている。かえっていえば細かな個別性を取り除けば除くほど、純粋なる仏教思想の本質が立ち上がってくるというわけだ。
 波羅夷空却の言動、およびそのキャラクター像は、ヒプノシスマイク公式の媒体により描かれ方が大きく異なることから一定のゆらぎがあると言える。しかし、たびたび仏教思想の本質を押さえたような言動が見られるのは、公式が仏教全般を一つの大きな枠組みとして捉え、キャラクターに投影していることの表れかもしれない。故に、彼のキャラクター解釈そのものにおいては、本来的には仏教思想の共通項のみを押さえれば十分事足りるというわけである。

 しかし、数年かけて波羅夷空却の宗教性を煮詰めに煮詰め続けた拗らせヤバオタク(尼)はその程度の餌では満足できない身体になってしまった……。ということで、何はともあれ彼の背骨として実家である空厳寺の宗派については宗教的背景として捉えておくべきだと考え、ここに記すこととした。

 ここからは本当にややこしいし、そんな事まで考えたの⁉️という偏執ぶりが有り余ります。公式はそこまで考えていないと言われる方もいるかもしれませんが、これは正解を叩き出す考察ではなく、波羅夷空却について想像の翼を広げるための二次創作的考察であることをご理解いただいた上で、ご覧になりたい方のみお進みください……。(そして、なるべく省略していますが、ガチ、論文みたいになってしまっているので休み休み読んでください……🥲)

空厳寺の宗派

 結論から申し上げる。
 幸運なことに、公式から出ている情報に基づいて紐解くと、彼の実家たる空厳寺の宗派が「禅宗(臨済・または曹洞宗)」であることが推定される。
 臨済と曹洞のどちらであるかという議論については、高い確率で尼は曹洞宗であると考えているものの、今後ヒプノシスマイクのアニメ二期にて波羅夷空却や空厳寺が描写されることを受けてより詳細を検討した上で判断する必要があるためここでは言及しない。あくまで空厳寺の宗派が禅宗であると断定する理由に焦点を当てて、いくつかのエヴィデンスを紹介しよう。その数は、大別して六つにのぼる。


散見される座禅の描写

 まず、波羅夷空却は修行の一環として座禅を行なっていることが各媒体の描写により明らかになっている。
 禅宗(特に曹洞宗)が座禅による修行を重視していることは言うまでもないが、仏教の宗派の中で禅宗だけが座禅を行うというわけではなくほぼすべての宗派において横断的に禅の修行は重要視されているため、座禅=禅宗派であるとまで空厳寺の宗派を結論づけることはできない。しかし、それにしても波羅夷空却の座禅に関する描写が作中に散見されることについて、我々は注目をすべきである。
 例えば、彼のラップアビリティはmeditation(瞑想)とされ、ここにも禅との関連性が垣間見える。厳密に言えば瞑想と禅は異なるものとされているが、瞑想行為の一部(禅那)を禅と称するため、これらは全く異なる概念というわけではない。彼のmeditationのラップアビリティ生成には、間違いなく彼が日常的に行なっている修行法、座禅が影響を与えていると考えられるだろう。
 また、彼が成し遂げたとされる荒行についても、座禅の要素が取り入れられていることに着目すべきである。長く、荒行の全貌は謎に包まれ続けていた。ところがコミカライズの一コマにて、波羅夷空却が成し遂げた荒行はどうやら滝行のようであるということが発覚したのだ。
  この滝行というのはいわゆる山岳修行の一種にして、往々にして激しい水流に全身を打たれながら精神を統一し耐え抜くという修行である。果たしてこういった滝行が仏教にとって推奨されるかという話については、後編にて深く言及するところとし、ここでのポイントは滝行をしている波羅夷空却のシルエットが合掌をしたまま座しているという点だ。滝の水流直下にたまたま座れるような岩がなければ座りながら行をすることはできない。その環境的な理由のためかもしれないが、滝行は一般的には座るよりも立ったままの姿勢で行われることがほとんどである。滝の中で合掌のまま座する姿は、まるで座禅をしているかのように見える点に大きな特徴があり、空厳寺に伝わるこの荒行についても座禅の要素を見出すことができるのではないかと尼は考える。
 さらに、彼が行う仏道修行として、作中で唯一たしかに描写されているのも座禅なのである。個人的にはもどかしいとさえ感じるほどに、読経も念仏も、いわゆる僧侶の代名詞のような行為については彼は何もしていない。ただしコミカライズやドラマパートにて、座禅だけは行われ、あまつさえ十四に対する指導まで描かれているのだ。もちろんヒプノシスマイク公式が波羅夷空却の読経描写を描かないのは彼の宗派が特定されてしまう可能性があること、他宗教の信徒にとって仏教経典を耳に入れることが憚られる可能性があるなど、さまざまなことを考慮した上のことだと想像するが、オタクはたった座禅する姿ひとつからでも一喜一憂し、何もかもを考察したり特定しようとしたりするのだ……。これを書きながら己を顧みて、あらためて何という執着、と愕然とした。オタクとはまことに悲しく、度し難い生き物である。

 というわけで、あらゆる描写から示唆される波羅夷空却と座禅の関係を鑑みて思料するに、総括して波羅夷空却の修行法にはどうやら只管打座めいた禅の教理を随所に見出すことができるのではないかと尼は仮説を立てている。

警策の利用

 続いて波羅夷空却の座禅描写において、彼が禅宗であることがほとんど決定づけられたシーンがある。それは、ドラマパートにて十四との修行風景として描かれた「警策を利用した座禅」だった。シーンの概要は音声のみから窺い知れる様子でしかないが、どうやら十四の精神を鍛える修行方法として波羅夷空却は座禅を指導し、何やら棒のようなものでバシバシと十四を叩いているというものである。 
 多くの人々にとっては、仏教の修行といえば座禅中に肩を棒で叩かれることを想像されるかもしれないが、実はこれは仏教宗派の中でも禅宗でしか使われない道具であるいうことをご存知だろうか。
 この座禅中に肩を叩く際に使われる道具は「警策」と呼ばれる。先程の坐禅に関する描写に加え、この警策を利用した修行指導により、警策の置いてある空厳寺が禅宗寺院であるということが強固に裏付けられるのである。

作務による修行法

 作務とは、日常の雑事のことを指す。掃除、洗濯、炊飯、家事、修行生活の維持管理に必要な諸々の作業がこれにあたるわけだが、これを修行と捉えることもまた禅宗の大きな特徴といえる。日常生活の中にもさとりに至るヒント、行為は隠されているとは他宗派も言うものの、例えば掃除をすることがそのまま修行行為であると考え、これを重んじることは禅宗ならではの考え方である。
 掃除などは自動掃除機にやらせたいと彼は言うものの、「掃除は修行にして磨くは鏡にあらず、己の心なり」と言ったのも波羅夷空却だ。おそらく普段の修行の中でそのような教えを灼空氏から受けているだろう、彼の修行法や考え方に禅宗の教えが息づいていることをここにも窺い知ることができるのである。


就寝時の慣習

 波羅夷空却は寝る時に枕を使わない。これをたとえ一般人が言ったとすれば、なるほど首の収まりがいい枕がないのだろうか程度の話に過ぎないが、僧侶見習いである波羅夷空却の発言となれば、宗派を考察する重大な情報となる。
 実は禅宗の僧侶は修行期間中、枕を使わないことで知られる。敷布団をかしわのように折って体を挟む、柏布団の形で眠ることが特徴である。波羅夷空却の細かい就寝姿勢はわからないものの、枕を使わないでわざわざ寝るという情報から、空厳寺が禅宗寺院であることと、それゆえに彼の部屋には初めから枕が備え付けられていない可能性が高いということが窺えるのだ。
 なお、波羅夷空却は夜九時から十時には就寝し、明け方三時に起きる生活をしているというが、これもまた禅宗修行僧の開被安枕(かいひあんちん)の慣習をなぞらえたような生活リズムである。総じて、彼の就寝時間や生活習慣からも空厳寺の宗派が禅宗であるという推測が立ち得るのだった。

灼空が着用する絡子の種類

 僧侶の衣服には作務衣、法衣、袈裟といった様々なものがある。通称、作務衣は日用の作業時などに着用するもので、法衣は略式と正装用それぞれで勤行や葬式時に着用し、袈裟は何か行事ごとでもない限りは滅多に着ることがない。波羅夷空却は改造した作務衣を半襦袢の上に着ているように見受けられるが、彼が法衣を着ることがないのはまだ得度すらしていない修行中の身だからであろう。
 もしかすると、お盆の棚経期間中は仮に法衣を纏って檀家回りをしていると思われるが、作中では波羅夷空却が法衣を着ているシーンを未だ我々は見たことがない。よってここで僧侶の衣服から宗派を考案する際に注目すべきは、灼空氏が着用する法衣である。
 灼空氏はそのすべての登場シーンにおいて、スタンダードな黒衣の上から前掛けのようなものを身につけている。この前掛けは絡子と呼ばれるもので、禅宗の僧侶のみが身につけるものである。これをつけた灼空氏が登場した時に、尼はこれまでの宗派考察活動に一つの節目がついたと感じたものだった。この絡子以上に空厳寺の宗派が禅宗であるということを覆せるものはなく、宗派考察における明確な決定打が打ち出されてしまったからである。
 となれば、あとは曹洞宗か臨済宗かという問題を残すのみとなった。しかし両者それぞれに違いはあれど、思想史的にはいわば兄弟のような宗派のため、尼のいまの心境としてはこれ以上の考察を急がず今後の公式を穏やかに見守らんという気持ちである。


波羅夷空却の合掌方法

 しかし、エヴィデンスはこれだけに飽き足らない。
 波羅夷空却が合掌をする姿からも、彼が禅宗寺院の生まれであることを窺い知ることができる。そもそも合掌とは手のひらを合わせることとして世間一般には知られているが、実はその種類は十二を超えるほど多様であり、合掌によってどこの宗派であるかが一目で分かることもあるほどだ。
 波羅夷空却の手のひらの合わせ方はスタンダードなもので、隙間なくぴったりと両手を合わせた堅実心合掌である。しかし彼の合掌で最も特徴的なのは、両肘を突き出すようにして張った状態で合掌をする姿勢だ。読者の皆様で今、両の手が自由に使える方がいらっしゃれば、試しに両手のひらを合わせて合掌してみていただきたい。楽な形で合掌をしようとすると、肘が自然と下にさがる方がほとんどではないかと思われる。両肘を張り出すというのは意識的にあえて行おうとしない限りは、合掌をする限りにおいては発生しない姿勢であるということがお分かりいただけるだろうか。
 舌を出して合掌をする波羅夷空却の公式立ち絵も、荒行の描写において滝行をしながら合掌をする彼のシルエットも、いずれに場合においてもその両肘は意図的に張り出されている。これはまさしく禅宗独特の合掌であり、他宗派においてはあえてこのように肘を突き出さない。つまり彼の宗派の慣習によって、波羅夷空却は幼い頃よりこの合掌姿勢を自然と取るようになったのではないかということが推測されるのである。
 もちろん、公式が描く波羅夷空却の合掌姿勢が今後一貫性を持って同様に描写されるかどうかは分からないものの、本書を執筆する現在時点ではほとんど統一された合掌姿勢を貫いているため、やはり彼は禅宗の門徒であるという仮説を本点からも立てることができるのであった。

 以上で一通り、彼が、そして彼の生まれた空厳寺が禅宗であるという仮説を立てた根拠を述べ終えた。ここから推測した結果、もし波羅夷空却が禅宗であるとすれば一体どのような考察が成り立つのかを語れば文字数が尽きないこととなるため、割愛させていただく。あくまでここで立証したかったのは、波羅夷空却がおそらく禅宗の大いに影響を受けていると思わしきことだけであった。

 ところが、尼の考察するところによれば、空厳寺は純粋なる禅宗のみを継承する寺院ではない。なぜなら、波羅夷空却のキャラクターモチーフや修行法を一つ一つ見ていくと、そこには明らかに禅宗以外の宗派や思想が混在している様が見受けられるからだ。

密教の要素

 そもそも波羅夷空却について禅宗の要素が作中で描かれるようになったのは、二〇二〇年以降のことであった。
 この数年、彼がラップバトルに参戦して以降、目を光らせて考察をし続けた執着の亡者(尼)の記録によれば、登場初期までの描写においてはむしろ禅宗よりも密教の要素の方が色濃く描かれていたと言える。密教とは仏教思想の中での一ジャンルであり、インドの土着信仰の影響を色濃く受けたことから呪術的な要素を多分に含んだ仏教のことを指す。具体的にどのような描写から彼が密教との関わりを持つことが推測されたかというと、次の三点が挙げられる。

梵字が描かれたスカジャン

 ラップバトルに参戦する前に登場したノバス時代の波羅夷空却(本作品における実質的な彼の初登場シーン)が身にまとっていたのは、蓮華座に乗った梵字が描かれたスカジャンだった。梵字とは、古代インド語であるサンスクリット語の文字のことである。インドにおいて梵字、サンスクリット語が「聖なる言語」として扱われていた経緯により、仏教においてもまた聖なる文字として扱われ、長く尊じられてきた歴史がある。しかし、日本仏教においてはすべての宗派が梵字を積極的に用いる訳ではなく、梵字と教義の関連性の深さから真っ先に思い当たる宗派は密教、つまり真言宗や天台宗といえる。そもそも梵字は密教とともに日本へ流入し、以降現在に至るまで密教教義の根幹にかかわる文字として用いられてきた。それと比べて、禅宗は梵字をさほど多用する宗派ではないため、なぜあえて波羅夷空却の着るスカジャンに梵字をあしらわせたのかが、尼にはどうしても不自然に思えたのだった。(ただカッコいいからというだけの理由な気もするが……)

 該当のスカジャンの梵字は、どうやら「マ」と「ダ」の二文字が用いられている。これらはけして梵字の中でも有名な、Google検索をかけたとして一番にヒットするような文字でもないので、何らかの意図を持ってあえてこの二文字を選んだのではないかと思われるが、一体どのような関係が波羅夷空却とこの二文字の間にあるというのだろうか。
 梵字には一文字あたり複数の仏尊が当てられている。その観点から検討するのであれば、どの仏としてこの二文字を読み解くべきかは文脈を頼りに熟慮する必要がある。結果、尼としてはこの二文字を並べて仏教的に何らかの文脈を成立させようとするならば、「マ」を「大黒天」、「ダ」を「荼吉尼天」として捉えること以外に理屈が見当たらなかった。詳細はここでは省かせていただくが、端的に言えば二尊は仏典の中で大きな関わりを持ち、いわば眷属関係に値するからである。(詳しくは二尊の名前をGoogle検索すれば、情報がヒットするはずである)
 さて、仮にこの二文字が「大黒天」と「荼吉尼天」であるとするならば、愛知県内において有名な寺院である豊川稲荷がこの二仏尊と深い関わりを持つことが類推される以外に、現時点ではなぜこの二文字が波羅夷空却のキャラクターデザインに選ばれたのかという想像が残念ながらつかない。豊川稲荷は曹洞宗寺院なので、今思えば波羅夷空却が禅宗であるという解釈と合致するとも言えるが、尼自身も本説については未だに完全に腑に落ちていないため、梵字と波羅夷空却の関連性を見出すことができないままに今日にまで至っている。もしかすると、初期設定時はナゴヤ出身のお寺の子、ということで名古屋市ではないものの愛知県の有名寺院である豊川稲荷からモチーフを引用した可能性も否定できないが、こればかりは制作のみぞ知るといったところだろう。全ては想像でしか語ることができない。
 少し話が逸れてしまった。ともかく波羅夷空却が梵字を身につけているということは、その梵字の特性上、密教的な仏教文化との結びつきを想像させられるということが論旨であった。補足すると、豊川稲荷は曹洞宗寺院にもかかわらず真言を唱えるなどといった密教めいた信仰を行っているが、これはそもそもが荼吉尼天や大黒天が密教とともに日本に持ち込まれた仏尊であり、密教と分けて語ることのできない種のものであるがために宗派の壁を超えてこれらの仏尊を祀る際には密教式の修法が取られるためである。曹洞宗寺院ながら密教的な仏尊を祀るケースについては、後編で詳しく言及するため、続いての項目を解説することにする。

不動根本印

 スカジャンと同じく、波羅夷空却の初登場時に彼が結んでいた印契もまた、密教との関わりが示唆される重大描写であった。印契とは何かというと、手の指で特定の形を作ることにより、仏の所作や真理を表すと考えられる行為のことである。
 彼はコミカライズの初登場時、一郎との対話の中で両の手を意味ありげに結ぶポーズを見せていた。そのポーズはどう見ても適当に組んだようなものでなく、何らかの規則性を持って意図的に組まれた……つまり印契であることが明らかだった。(おかげで、尼は図書館に通い詰めながらこの印を特定すべく調査に調査を重ねることとなったが、やはり所詮は未得度の素人……あまり功を奏さなかった)
 そもそも印契というのは、密教において師匠から弟子に相承する秘密の教えという側面を持つものなので、その種類は数え切れないほどあっても全てを我々素人が調べ上げることはできない。密教僧侶は葬式などにおいて一般人の前で印契を結ぶことがあっても、袖の下に隠して結ぶほどの「秘密」の徹底ぶりである。こういった宗教上の秘匿性から、尼がどれだけ調べてもそれらしい印が見つからず一時期途方に暮れていたが、実は当時幸運なことに尼にはTwitter上においてジョジョの奇妙な冒険で言うところのスタンドのような僧侶がついて(憑いて?)いた。このスタンド僧侶は(後で送られたプロフィールと、当人の仏教に関する受け答えを参照するにおそらく嘘偽りなく)真言宗の阿闍梨僧侶で、ひょんなことから尼のTwitterに辿り着き、マシュマロを通じてコンタクトを取ってきたことに交流が始まる。
 元々ヒプノシスマイクのことをご存知だったわけでもなく、何やら仏教を用いて諸事の考察を行うアカウントを面白く思ってちょっかいをかけてみようと思われたようだった。勝手に尼はこのスタンド僧侶のことを阿闍梨さまと名付け、波羅夷空却が結んでいた印契について、マシュマロを介してオープンに相談を重ねさせていただいていた。
 かくかくしかじかで、阿闍梨さまの力を借りて特定した波羅夷空却の結んでいた印契が「不動根本印」である。指の正確な位置については、見える限りの範囲においては同様の形であることにつけ、なぜ不動根本印を結んでいるかということについても後編にて語る波羅夷空却の宗教的背景を思えば、今考えてみると想像に難くない印である。ただ、このような印を結ぶことそのものが彼自身が密教僧侶であることの証明となり得たため、当時は印契が彼の適当に組んだものではないと判明した時点で尼は波羅夷空却が真言宗の出自だと断定するに至った。それ程までに、印契を結ぶ宗派は限定的であり、宗派考察において確たる証拠となり得たというわけなのである。

ヒプノシススピーカーが咥える金剛杵

 波羅夷空却のヒプノシススピーカーは龍頭のついた梵鐘がモチーフとなっている。このスピーカーが咥えているのが密教法具として用いられる「金剛杵」だということも、彼の宗派が真言宗なのではないかと考える一因となった。印契同様に、この金剛杵という法具もまた密教以外の宗派はあまり用いないため、先ほど述べた根拠と相まって波羅夷空却を真言宗だと結論づけたのだった。

 若かりし尼は「波羅夷空却の宗派は真言宗」という考察ツイートまで出した。その呟きは偶然にも様々な人のご縁を賜り、予想だにしなかった万バズを迎えることともなった。その後、大きく考察の方向性を転換しなければならないことになるとも知らずに。。。

混ざり合う密教と禅宗

 ところが、先に述べた通り物語が進むにつれて波羅夷空却をとりまく描写は、禅宗にかかわるものが増えていき、密教の要素をはるかに凌駕するまでに至った。これを受けて尼は、波羅夷空却を真言宗と断定した宗派考察ツイートを削除した。自分自身の出した解釈違いの見解が一人歩きするのを防ぐべきだと考えたからである。
 しかし、波羅夷空却の宗教的背景に対する好奇心はやはり尽きることがなかった。
 新たに必要になった検討事項は、登場した密教の数々のモチーフと、禅宗であると思われる彼のバックボーンをどのように融合的に解釈すべきかということだった。言い換えれば、禅宗の寺院に密教の要素が果たして混在することがあり得るのか。あるとすればそれはどのような状況なのかということを検証する必要が生まれたのである。尼は検討を重ねた結果、次の二つの仮説を立てた。

仮説①空厳寺には真言宗の血脈が流れている

 教学上、真言宗と禅宗の違いは明確であり、重なる部分はあれど完全に交わることはない。しかし理論上はそうだとしても、現実において実践される宗教の在り方は時代や地域、状況に応じて容易に形が変わるもので、ともすれば教学上は起こり得ない宗教的融合が発生することもある。つまりは禅宗寺院である空厳寺の歴史において、なんらかの形で真言宗の教えが伝わったタイミングがあったということも可能性として考慮すべきだと尼は考えた。
 通常、真言宗の教えは門外不出であり、師匠から弟子へ血脈相承の元に教え伝えられる。よって単なる寺院間の交流程度で禅宗寺院に密教の教えが伝わることはありえない。しかし、例えば当初は真言宗であった寺院が、歴史の中で禅宗に宗派を転換したという可能性については検討の余地がある。
 実は、このように寺院が歴史の過程において宗派を転換することはけして珍しいことではない。仏教にも時代に応じた流行り廃りがあり、流行遅れの宗派は生存戦略のためにその時代に流行っている宗派に変更することもままあった。尼の知り合いの曹洞宗寺院は元真言宗の寺院だったらしく、ご本尊は真言宗で用いられる密教経典の教主たる大日如来のままに、曹洞宗として寺院を運営している。同様に、もし空厳寺が元々は真言宗の出自であったとするならば、真言法門の血脈が流れていてもおかしくはないということだ。
 しかし、尼はこの可能性は非常に低いと考えている。それは空厳寺建立がおよそ五百年前であるという公式情報から考えた時、曹洞宗と真言宗の同時代の趨勢や、尾張の状況、空厳寺がおよそ建立されたと考え得る地域を照らし合わせれば、禅宗の寺院が設立された可能性の方が圧倒的に高いからである。また、時代背景を考証するに、禅宗寺院に転換された時期が少なくとも三百年以上前と見積もったとしても、三百年間以上たやさずに禅宗寺院の中で宗旨と異なる真言法門が脈々と受け継がれてきたとはにわかに信じがたい。大体の寺院は宗派転換のその後、徐々に元々の宗派の教えを忘れていくのが自然である。なぜならば、修行の実践と宗派それぞれの教えは二翼であり不可分だからだ。修行法を新たな宗派に準じるならば、しかるに新たな宗派の教えこそのみ、伝承していくものと言えよう。

 

仮説②空厳寺は修験道の道場である

 続いての仮説が、現在時点で尼の中で最も有力なものである。それは空厳寺がその地理的な要因によって、ながく修験道の道場を兼ねていたという説だ。
 修験道とは、仏教や道教、陰陽道と山岳信仰が結びついた日本固有の宗教である。山間部における厳しい修行により、心身を鍛えることで超自然的な力を得て、自らと他者を利することが宗旨とされる。これはいわゆる神仏習合を象徴する宗教で、修験道の持つ仏教的要素の多くは密教――つまり真言宗の思想や修行法が大きな影響を与えている。
 これにより、先ほどあげた密教要素(梵字、印契、金剛杵)などの出現条件はすべてカバーしながら、さらには我々がここで未だ検討していないそのほかの波羅夷空却に関する描写についても、修験道との関わりのなかで紐解けば絶妙に説明がつくことになるため、「最も有力な仮説」と言えるのだった。

 長くなったので、これにて前編を終える。
 修験道の解説や、空厳寺と修験道の関わり、そこから見える波羅夷空却に関わる諸要素の分析については、後編にて明らかにする。

後編はこちら↓


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