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ブンゲイファイトクラブに参加するということ

はどういうことなのかなって考えてる。公式からゲラが届き、必要であればプロフィールと抱負、そして応募原稿の校正をできるだけ早く送らなくてはいけない。今日はまだ頭が落ち着いていないので明日の朝に早起きして、出社する前に手を付ける予定だ。それまでに、ブンゲイファイトクラブに参加するというのはどういうことかを考えておきたい、整理しておきたいと思ってnoteにこの文章を書いている。

ちなみにこんなイベントだよ。
ブンゲイファイトクラブ

お祭りごとが好きだ。戦いも、わりと好きだ。買ったほうが楽しいけど、わいわいやってるのが好きだから負けても楽しめる方だと思う。根がお調子ものなのでツイッターでは上記の通りわいわいしてるんだけど、少し考えるとこれはなかなか怖いことだ。

このお祭りに参加したいと応募した人は293名いたらしく、そのなかの26名が予選を勝ち抜いて出場権を獲得し、自分もそのうちのひとりだった。トーナメントは16人で、そのうち6人がゲスト的なファイター、残りの10枠が公募枠だったんだけど、応募数が主催者の予想より遥かに多かったのと、応募作品のレベルが全体的に非常に高かったからとのことだった。なので枠は32枠に増えて、一回戦は4人で戦い1人だけが生き残る形となった。

文芸作品の優劣とはなんだろうね、勝ち負けとはなんだろう。とか考えてもわかんない。特に今回のブンゲイファイトクラブは小説だけでなく詩、短歌、俳句、日記、エッセイ、都々逸その他ブンゲイという表現形態であれば武器はなんでもありだという。これはなかなか正気を疑うイベントだ。例えば、ミステリ小説と短歌をどう競わせるのか。そこで今度はジャッジというシステムがでてくるんだけど、ジャッジも負け抜け?のような形で、ひとりづつ減っていくらしい。

とにかく、ファイターが出した作品をジャッジが読んでそのなかから勝ち上がる作品を選び、その全てがオープンな状態で進んでいく。ファイターもジャッジも、公開された作品を読んだ人も、公開されたジャッジを読んだ人も試される。それについてみんな書きたいことを書くだろうし、話すだろうし、そのみんなも試される。自身の物差しを手にそれら全ての文章と向かい合うことになる。

最初は、予選で落ち参加できなかった応募者たちが自分の文章を読むことが怖かった。小説を書く人はおそらくみんな、自分の書くものが一番良いものだと考える。少なくともその時点での自分の最高のもので応募している。予選を通過した作品はそれよりも『勝って』いるのだという。じゃあ、自分の作品と比べてどこがそうなのか見てやろうじゃないか、そうなる。何故自分は『負けた』のか。それを見にくる。そのことが怖かった。でも、そうではない。

対戦相手が発表されて、もうすぐ全てのトーナメントの作品が発表される。おそらく自分はまだそれらを読まないだろう。優勝するか、途中で倒れるかした後にすべて読むはずだ。それまではとにかく自分しか持っていないだろう形のわからない武器を磨く。この文章もそうだけど、論理的に筋道を立てて思考するのが苦手だ。そのぶん、自分の発想を塊のまま相手に差し出す。そんな作品になっていると思う。

おそろしいイベントだなーって。応募者も参加者も観戦者も、このイベントに関わった人を巻き込む。みんな平等なのが良い。おそろしくて、おもしろい。プロの作家も参加しているけど、とにかくこのシステムの前では平等だ。ブンゲイのちからだけが頼りのころしあいだ。参加できたここまでの自分の鍛錬と、このイベントに応募した嗅覚と、少しだと信じたい幸運に感謝してたたかう。

リングにいるから観に来ておくれよね。

#ブンゲイファイトクラブ

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