小説のこととか感想のこととか

なんかひさしぶりにnoteにそこそこ長い文章を書くんだけど、思いついたこと思い出したことをランダムに書いていくうえに、こういう小説以外の文章書くのが得意でないのでとっちらかった感じになるけど許してね。

そうそう、この文章は直接的に関係はしないしアンサーでもないけれど、以下の記事を読んで思ったり思い出したりしたことをざざっと書き出してみたものです。

【新連載 #RTした人の小説を出来るだけレビューする をやってみた】
第1回「たくさん読んだら上手くなる」は本当か?|大滝瓶太 @BOhtaki|note(ノート)

さて、いきなりだけど小説ってものすごく大雑把にわけてふたつあって、それは批評に自覚的な小説と、そうでない小説、だと僕は思っている。もっと言ってしまえばそれらはどちらも『小説』と呼ばれてはいるものの、実はほとんどまったくと言っていいほど別物なんじゃないか、なんてことさえ思っている。

小説は本当に懐が深いというか、なんでも飲み込んでしまうモンスターじみたところがあって、140字だろうが100万字超えようが小説だしケータイ小説もトリストラムシャンディも当然小説だ。そんな様々な小説を読むにあたってひとりの人間が持つ評価軸というのは勿論限られているし、大滝さん本人も言っている通りジャンル等による得手不得手もでてくる。

ただ、それを加味した上でも普段批評の場に晒されていない作品が批評される、というのはとても貴重な場だと思う(ので自分も勢いで参加した)。

感想と批評は違う。本人は謙遜しているけどある程度以上のレベルの批評って本当に貴重だ。これまでTwitter上にあげられた大滝瓶太さんの批評を読んで、自分も批評して欲しい!という方はぜひ参加したらいいんじゃないかな(勝手にこんなこと言っていいのか知らんけど)。

そんで、参加してもしなくても、作品とそれに対応した批評っていうのは他人のものでもすごく面白いし得るものが多い。思わぬ角度からの読み方が示されることもある。僕自身は批評を学んだり書いたりしたことはないけど、10年以上前に小説を書き始めて、一度行き詰まって書くことから離れかけて、そんなときにひたすら書評やら批評やらメッタ斬りやらを、勉強というよりも笑いながら楽しく読んでいた。

たぶん2年くらい書かずに、近所の図書館に通っては、館内やら近くの公園やら自宅やらでひたすら読んだ。でそこから、なるほどこういうのは使い古されているのかとか、こんな書き方もあるのかとか、考えたりメモしたりしていうちに自分も書きたくなってきて、いまみたいな書き方に変化していった(それまではホラーばっかり書いていた)。

だから勉強になるとかももちろんいいんだけど、みんなもっと批評を楽しんで書いたり読んだりできたらいいなーとかは思う。

さっそくもう何か言いたいのか分からなくなってきてるけど、次。の前に、noteって見た目いいですね読みやすいしカッコいい。じゃなくて、感想とかについて。

数年前からよく文学フリマ東京に出入りしていて、前はそこで絶対移動中さんっていう文芸同人サークルに寄稿しながらちょいちょい店番をやってみたりしていた。

で、店番がない時間は文学フリマ東京の会場を端から全部歩いて、さらっとだけど全てのサークルを見て、気になった本はお金の許す限り全部買って、片っ端から読んでは感想をTwitterに投下していた。

それらは当時、たぶんだけど非常に好意的に受け止められ、結果として僕の書いたものへの感想も多くもらえることとなった。当時の僕のスタンスはこうだ。

・面白かった小説のみの感想を書く
・そのなかでも批判的な感想は書かない

基本的には今も変わらない。もちろん、当時の僕としてはわざわざ相手を傷つけるようなことをTwitterという公の場で書きたくないということもあったし、その作品を書いた相手に嫌われたくないという意識が働いていたんだと思う。

それでも、自分の感想が相手の感想を呼び、そこからどんどんそれが広がっていくのはとても楽しかった。なんかポジティブなエネルギーが生まれている、なんてことも思ったりもした。

反面、苦しいというか、困ったこともあった。例えばアンソロジーで面白いと思う作品とそうでない作品とがあったとき、後者の感想をとばすということは相手を傷つけやしないだろうか。とか、前回買った作者のブースの前を通ったときに、今回新刊を買わなかったら「あなたの小説は面白くなかった」という意味にとられないだろうか、とかそういうことを考えるようになってしまったのだ。

もちろん人間関係も増えていたし、声をかけられることも増えてしまった。そうやって徐々に、作品よりも人間が前にきてしまった。作品への感想に人間関係が配慮されるようになってしまった。だからある時を境に、僕は文学フリマで買った本の感想を書くのをやめた。

会場内を歩くときもマフラーやパンフレットで顔を隠しなら歩くようになったし、仕事が忙しくなってきたのもあるけど少しだけ文フリに行く頻度も下がった。すごく好きな作品に出会えたときだけは、DMか直接口頭で伝えるようになった。

でも、相手を傷つけるとか、なんなんだろうなと思う。だからそれを相手に伝えないとか、何様なんだろうな自分、とか。

最近、文学フリマからも投稿サイトからも少し距離を置き、電子書籍での出版だったり文学新人賞への応募をしている。ほんの少しだけど、書き終えた作品を読んで意見を言ったり言ってもらえたりする人もできた。良いと思うところも悪いと思うところも伝えたいし、伝えられたい。そしてなにより、これまでの小説の歴史の中でこんなこと誰もやってないんじゃないの?っていうことをやってみたい。そんなときに、作者から距離を置いた感想や批評は、作品に寄り添ってくれる。助けてくれる。と、思っている。

もうほんとになんの話かわからなくなってきたし、大滝さんの文章と関係なくなってきた気もするけれど僕の持論は『いい文章というのは読んだ人間に何か書かせたくなる文章』なので許してほしい。

布団に横たわりながら書いたけどもう無理、おやすみなさい。

追記:編集画面の方が見た目良くないですか?note。明朝体っぽいから…???

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