苦痛

私を支援する有志のグループに対する意識が先日変化した。

以前のノートにも少し、自分と他者の境界について書いたが、それは自分に敵意を向ける者に限らない。
当たり前のようだが、私は自分と他者を切り分けて考えることができなかった。

私がどういう状態でもどんな気持ちでも、それは元々誰にも関係ないのだ。だってわからないのだから。私からも同様である。できることなのに何故やってくれないのかという意識があった。

窮地に立てばまあ誰でもやらざるを得ないことなので、できないという言い訳は私達障害者、支援を受ける者には許されていない。それが不可能な域に達したからこそ私は助けを求めたのだが、よく考えれば窮地に立っていない人間が同じ行動を取ることは難しい。他の事に使うエネルギーや時間を奪われるからだ。生活できまい。そして、その状態では私の状況ですら想像ができないことは、私がどうこう言えたものではない。私の方だって「普通の生活」は知らないから、普通の生活をどうやって維持するのかわからない。誰にも限界だってある。私は極端にできないことが多く酷いから、配慮されるべきだと思ってしまっていた。

障害者がちゃんと配慮されるべきだという話は正論だが、個々の人間関係の中での活動で果たしてそれが「できる」かどうか、ということとなると、正しい正しくないではないのだ。できないものはできない。私はそこまでの理解をすればいい。できないなら他をあたるとか色々考えられるのに、「できるに決まっているのにやらない」と責める気持ちでいてはそれこそ解決の道を閉ざしてしまうではないか。

この思考は、自宅に来訪するヘルパーから出た。私の過去数年間の公的支援はありえないものだったが、有志の支援を得て、ヘルパー事業所を変更できた。こんなこともできなかったのだ。

新しいヘルパーが来訪する度に私はフラッシュバックを起こしてパニック発作も起きるようになった。理由はすぐ見当がつく。前事業所の私への接し方や、私の言葉、態度などの解釈が、どのようであってもまるで悪魔の所業のようにされていて、何1つ信じてもくれなければ、私が必要不可欠なサービスとはかけ離れた意味不明の、つまり向こうがやりたいだけのめちゃくちゃなものになっていたから。来られたら何をされるかわからない状態だった。主治医はこういった扱いがトラウマになっていると認めた。6年くらい続いたものである。

新規事業所には何も落ち度もないし私も何か敵意だ悪意だのを想像してはいない。が、身体が勝手に症状を起こす。すっかり参っているところ。

具体的に何かエピソードを思い出すなどと言うのがないので、少し考えた。何故ヘルパーが来ることが恐ろしいのか。

難しい話でもなかった。「保護し助けてくれるはずの人達から酷いことをされた」からである。それは私の場合、両親が全くそのまま当てはまる。

実家にいた頃の記憶はほとんどない。数年前他人に襲われてからは人生ほとんどの記憶がない。トラウマ持ちでは程度の差はあっても珍しいことではない。

だが、本当に記憶を失うことは実際にはない。記憶の仕方などが通常とだいぶ違うだけである。だから、「こういう人にはこうする」という「学習」をしている。そしてそれは当然間違っている。おかしな人達からされたように、またそういった人達に対処するように身につけたものだから、異常なのだ。

そうすると、こちらから変な人達を呼び寄せたりそういう人に「育てて」しまったり、おかしな状況を再現してしまうのだ。私はそれを死ぬほど繰り返して来た訳である。そして私は全く庇護とか保護を受けられたことがないので、そればかりに意識が行く。相手が親ならいざ知らず、他人であり、時間や法律などの制約もあり、しかも大人であり精神障害者であり発達障害者である私の人生を理解できるわけでもない人達とでは、悪循環が起きることもあろう。それが許容されることであるかどうかと、起きてしまうことである、というのは別の問題なのだ。

私は自分を否定することを意図的にやめるようにしている。ものの道理のわかった人なら私が自分を責めたり反省した所で問題が悪化しかしないということはわかるはずだ。私自身何人かから何度もそういう説教を受けている。そもそも悪いとするなら私の親や周囲の大人が該当するのであり、私は非力ながら自分が死なないように自分を守り抜いただけである。それを自分や周囲が責めたらそれは病気になるに決まっている。

だから、自分の守り方を変えねばならない。それが「Changing course」である。私は、1人なのだ。どれだけ周囲が慮ってくれたっていくら話を聞いてくれたってどれだけ調べて勉強してくれたって、私のことはわかる訳がない。それを期待するから苦しくなるのだ。だって無理だもの。ないものをあってくれなければ嫌だと思っていたら苦しくて当然である。

私はこの記事に「苦痛」と題をつけた。苦しくない、訳もまたない。私はずっと我慢して無理して努力しなければならないと思い込んでいた。しなければならないということは、すれば報われるということだ。大間違いである。我慢も無理もしてはならない。努力はそれらを除くためや除いたあとで「工夫」としてするものである。

だが苦しくてたまらない。40年も私は違う人間達と違う世界を切実に欲していた。私の育った地域は治安など悪く、どこにも幸福の手本がなかった。親は私をただの道具で所有物としか見ることができず、障害が判明したら文字通り捨てられた。人間も世界も、そんな私が知るものより良いものであって欲しかった。が、私の望むようなものではなかった。思い知ったから苦しいのだ。本当に、苦しいのだ。

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