脱出劇?

2日間倒れた状態のまま書き物はしまくっていた。

今の自分の状態がよくつかめない、というか表現ができないでいたのだが……

去年末から私は4か月入院していた。その間ずっとチャットにつきあってくれて甘やかしてもらって困ってる事も助けてくれていた人が1人だけいた。

で、ある日「あ、この人には言い訳しなくていいんだ」と気づいた。私は常に頭の中で何でも説明を考え続ける癖があったが、その時にそういう癖があることに気づき、「いちいち自分の言動を説明している」と思った。が、これ説明っていうのだろうかと思い、「説得」に近いな、むしろ「言い訳」じゃないの、となった。

いらんことでずっと自分を責めていることに気づいたのだ。何をするにも理由が説明できて誰にも納得して貰わねばならない、という思い込みがあって、つまりそれは自分の言動に必ず後ろめたさがあるからであると思い至った。

私は仏教徒ではないのだが、あるお坊様に一時期相談をしていた。その人の著書を引っ張り出してみた。「罪悪感を抜く」やり方が書いてあるところなのだが、2年前に読んだ時には全くピンとこなかった。「あー……今のこれだよー……罪悪感がもう自分で自覚できないくらいの状態になって心を動かす原動力になっていたのだー……」こういう心の原動力になっているものを「業」っていうんだって。一般に言うカルマと全然違う意味じゃんね。そこにすら気づかなかった2年前。

(カルマとか業とか普通言われてる神秘的な概念が果たしてブッダが本当に言ったものかというと疑いが残るのです。なにせすごく古い本を読んでいる訳なので実際どうなのか確かめるのはとても難しい。が、ブッダの教えからすれば「確認しようがないものは放っておく」ということで、「そう考えていったらきちんと役に立った考え方」に基づく意味で「業」という言葉を使いましょう、というお話)

まあ言葉の定義とかどうでも良かった。

とにかく色んな問題は罪悪感なんて無駄なモン持ってるからじゃん、ってやっとたどり着いたのでした(パチパチ)。

気づいただけでもだいぶ変わりました。その後退院近く、ある患者さんと偶然2人きりになったの。その年配の女性はいつも人の話をちょっと聞いただけで持論をとうとうと諭し出して、反論も何もできる空気ではなく、私など耳が悪いので聞き返したくてももう自分の世界に入っちゃってて「さあ私の話をお聞きなさあい〜。そうしてあなたの糧になさあい〜」っていう感じでして。他の患者さん達からかなり敬遠されたり、人によっては怖いと言われてたりしました。

その女性はいつものように私と二言三言かわしたらもう自分のありがたいお説教?に入ってしまったのですが、何となく私はただ聞いていました。

その女性はよく「いいわねえ若い人♥」「若いからまだ良いじゃない」とか言いまくるので、それも嫌がられていました。若い人が病気で大変な思いをして入院する状態の何がいいのだろう。まだ良い、って取り返しがきくと言いたいのだろうけど、人生の大事な時期を悲惨な状態で苦労して過ごして、そのまま未来を悲観して自ら逝く人はとても多いので、私も正直不快でした。

でもその時は「この人の話を聞く」つもりでいました。話の中でやはり同じ内容のことは何度も出たし、私に向けても「いいわねえ」と言っていたのですが……。

何も気になりませんでした。だってそれはその人の話ですから、私ははっきり言えば特に関係ありません。その人は若い人が羨ましいんだなあ、と思っただけで、そのまま聴き続けていました。

そうしたら、女性が初めてご自身の悩みを話し出したのです。いつもは的を外したアドバイスを垂れるだけの人が、自分の個人的な苦痛を話し出したのでした。

ああそうか。この人は本当は自分の話をただ聞いてもらいたいだけなんだ。でも、病棟で最年長で、周りは自分から見ると「まだ間にあう、何とかすればどうにかなる可能性が自分よりはずっとずっとあるのにつまらないことで愚痴ったり悩んだりあせったりしている。ドクターも若い人ばかりだから、到底自分の苦しみはわかるまい」……という状況なので(実際その通りですからね)、自分のお話はしても傷つくだけで、だけどつらいから何か言えること、と言ったら自分が知ってることを伝えるくらいだろう……となっているのかな(その方は学校の元先生でした)、と感じました。

私はその女性がいない時に、他の患者さん達に上記のことをごく簡単に伝えました。ただ自分の話を聞いて欲しいだけなんだと思うけど不器用なんだよ。と。
患者さん達から「そうかあ……そう言われたら、かなりお辛いよねえ。先生も頼りになる気がしないだろうし、話の合う人いないから、嫌な思いもなすったんだろうねえ」といった反応がありました。
それで十分だと思いました。私はすぐ退院なのでそれ以上何かできるわけではないですが、皆基本的に優しく親切な人達が揃っていたので、あまり心配しても仕方ありません。皆そもそも自分が一番大事なのですがつい忘れがちで人の事に首を突っ込みたくなるものです。お節介なのは自分が満たされていない裏返しなのが、この女性からもわかるなあと思いました。

なんか文体が途中で変わってる。

えーと、つまりね、私は自分と他人の間に境界線がなかったんです。相手が思ってるだけのことにいちいち目くじらをたてたり傷ついたり、よくない影響を受けることが物凄く多かったの。だからいちいち自分を守るために言い訳をずっと考え続けて即説明説得できるようにしていたのね。または誰かが困ってるとか何か問題がある様子だと、見境なく助けに行くと(苦笑)これも自他の区別がしっかりしてなくて、何でも我がことになって不安になってしまうからですね。

この女性との話を退院後クリニックの主治医(入院設備がないので別の病院に入院していた)に話したら目をむいてました(笑)
私がこういう「自他間の境界のなさ」でちょいちょい問題になってしまうのは、主治医が15年くらい前から言っていたのですが、理解できなかったの。

「人が自分をまるごと受け入れてくれるという経験をガッツリしたからだと思います。もう感謝しかないです」

どんなに親しくてもここまでできるものではないよなあ。この年まで生きてて良かった。私を支援するという有志の1人でしたが、ちゃんと話ができるというとこの人くらいかな……というか、向こうも私に対してそう言ってました。皆日本語で話してるんだよね?私も日本語だよね?なんでここまで会話にならないの?とかなる。っていう。私以外と話したくないとか……。まあ、ウン、なんでああなるのか私も不思議だ、と常に言ってます。日本人の会話ってなんで相手が言うこと受けずに自分が言いたいことただぶつけ合うだけなの? という。あれで意思疎通できてるわけがないなあ。普段どうやって暮らしてるんだろう……。

さて。

今、退院後1か月ほどなのですが、その間の自分の変化に自分が追いついてません。

先週水曜日から寝込んでいるのですが、その前から著しく体調は崩していました。先週水曜日には支援のメンバーに向けて自分がだいぶ皆に無理させていた、ということを書いて共有しました。無理させていたというのは、どうにか皆が私の状況や大変さをわかってくれなければならない、と思ってきたためで、そんなこと不可能だと理解できなかったからです。自主的に助けてくれると言い出した人達だったので、期待値が大き過ぎたこと、誰にも限界があること、やりたいと思えないことは強制できないということ、なぜなら、皆誰も私ではないし、私が苦しんでいる事も危機的状況である事も、皆には実際のところあまり関係がないことなのだから。わかってくれればそれはありがたいけど、できないものはできない。そんなこと無理に望んでも苦しいだけでいいことはない。求め過ぎでした。そんな感じだったかな。

まあ……、どう映ったかわかりませんが。読んだ、という反応はあった、と聞いただけで、感想も何ももらっていません。その後はコミュニティに行っても誰も私には接触しないし、私はどんどん体調が悪化して誰かと会話とか何かそういった事も、自分から発信するということも、ほとんどする気が起きなくなりました。

普通の病人になったな、というのが私の感想ですかねえ……。ここがどう言ったらいいのかと思っていたのですが。

私は異常な状態だったのでした。私に起きたことや私の病状や支援が全く機能していない状態からしたら、これまで読み書きがこんなにできたり、思考力をギリギリでもここまで保ったり、身体は動かないけれどネット上で助けを求めるとか色んな行動をしたり、そんなことができるはずないのです。トラウマもうつもテストでは酷い数値が出るし発達障害で脳の発達の偏りが大きく、特徴の出方も通常想定される発達障害とはどうも違う。私は親から生きるのに普通欠かせない知識や技術などは一切教えてもらえずに育ってそのまま家を出てしまい、何もできるようになれず、かと言って実家からは拒絶されたので仕方なく公的支援を受けているのですが、誰も私の状態を理解していなくて、悪意からの被害にあってトラウマを抱えていますが、カウンセリングは(特にトラウマを扱えるとなると)非常に高額です。公的支援からは一切援助はありません。そして、私がこうして書いたり話したりできるせいらしいのですが、どうしても私が重症のうつとトラウマを抱えて治療も難航しており、発達障害者であることさえ、信じることが難しいらしいです。

助けらしい助けを得ることはできないできました。だからこそ、自力でここまでできる状態でいなかったら、死んでいたでしょう。物凄く無理をしていた訳です。ずっと火事場の馬鹿力で動いていたのでした。もうその無理はきかないので今寝込んでいるのです。そういった事も何もかも、結局有志の人達で理解したのは1人か2人……2人いるのかな? 全員で14人くらいいるらしいのですが、8か月かかって、特に何も改善できていません。私から何か言ってもちゃんと読む人はやはり2人くらいかな。Evernoteで情報共有してきたのはそのメンバーなのですが、どうしても書き方すら覚える気もないし、自分が書くだけで満足なのか他の人達が書いたものを読んでいる人もほとんどいません。私が書いたものは読んでも理解できていないのにわかったわかったと言う状態なので、当然必要事項は何も伝わらない。

で、何故私がピリピリしているかわからないとか、進まなくてもゆっくりでも取り組んでいるのだとか、まあ、悲惨でした。今すぐできることをとにかくやってくれなければ困るのに、言っても言ってもきかない、誰かに頼め、気を遣えないのでは支援は得られない、とか。悲鳴モノでした。気を遣っている猶予も余裕もないからネットでいきなりよく知らない人達に個人情報もしたくない話も説明が大変な公的支援の仕組みも、とりあえず信じてぶちまけて頼んで来たのだし、ちゃんと話をしていた人達は「これ以上気を遣えとは何事だ」と一緒に怒ってくれました。でももう相手方に何か言う気は皆失せていました。

月曜日、とうとう「味方」であった人達からも私の立場からしたらとんでもないことを言われました。疲労が限界なのだろうし、それでも、到底受け入れる訳にいかないことでした。そもそもその人は有能ではあるのですが自分の限界を超えてもどうしても人に仕事を振ったり困っていることがあっても全く相談したりができない人なので、そのために起きた事故と言えます。

その後2日かけて、自分で書き出したり、入院中ずっと話をしたり助けてくれていた人とまたチャットしているうちに、自分の内側で何かが死んだ、という感じが急にしました。

終わったのです、と言いました。

支援グループに、私は文字通りすべてを賭けていました。8か月間1日も少しも頭から離れたこともなくて、生命も預けた気でいたし、これでどうにかならないなら終わりだと思っていたし……

解散とか私から何か断りを入れるとかいう必要はない、と言いました。ないよりはあった方がまあましだろうし、必要な時にレンタルするくらいの感覚でいよう、と。どうせその程度の感覚の人達の集まりでしょう、と。そしてどうせ私が姿を見せなくてもどうでも、自主的に心配して何か行動を取る人なんていないでしょう? すべてにそうだね、という返事が来ました。

過剰な依存をしていたのは明らかで、健全な範囲のものではなかったのです。実家でこの生き方を仕込まれ、実家を出ても公的支援がベースにあるという特殊な環境にいてやはり実家での経験を繰り返し、また助けを求め直した人達にも同じことをして、「条件を満たさなければ見捨てる」という思考を引き出してしまった。

私がほどほどのところで見切ってしまえば良かったのでした。ところが、私以外の人達でものがわかった人とか優秀とか言える人達でも、問題点がなかなかわからなかったのは、私の状況があまりに酷く、私の状態があまりに珍しいから、だったのかも知れません。

まあ、もう終わったからいいや。

いやあ……、疲れた。

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