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自分をさがす旅 part41 肩書をおろす

あなたは、手放したくない肩書を持っていますか?

私は、「健常者」という肩書だ。生まれてからずっと自分のものだと信じて疑わなかったことば。そろそろけじめをつける時が来た。

私は、ちょっと変わった子どもだった。他の子どもができる「当たり前」ができない難しい子。それでも受け入れたくない肩書がある。それは、『障害者』という存在だ。私は、数少ない存在にあざ笑い、後ろ指を立てて絶対になるまいと、決心する程ひどかった。嫌いな存在に認定した。自分でいうのも恥ずかしいが、自分が醜い。

「ずっと何かを口にしている可笑しな人」と思われる存在にも、「言葉が通じないと馬鹿にされる存在」にもなりたくないと考えていた。彼らをよく思う人は少ない。日本人は、優しいと耳にするが、本当は心が狭い。とても格好悪い人種だと思う。知識の足りない大勢の意見を正解として疑わず、少数の意見を不正解と決めつける。白黒はっきりするのを拒む勇気のないひとのひとりに私がいる。

最近になり、障害者の存在の可能性や需要を認知してきた。コロナ禍により、不登校生や精神疾患者への理解が広がった。それは、嬉しいことだが、気づくのが遅すぎた。だからこそ、学校生活のルールや教えは、もう通用するターゲットを見直すべきだと思う。古き良き時代の本質を理解できていない大人が多く、社会福祉や看護師、教員の需要が金額と見合っていない現実は痛い問題だと思う。

私は、不登校生や精神障害は、永遠ではないからこそ受け入れ自分を強くする課題に選んできた。そして、生まれた道徳心に胸を張って言えることがある。「自分を好きになることを育てる。その行動に対し、努力を惜しまないひとが幸せをつかむこと」を見つけた。

陰気な女の子。嘘をついて目をくらませる。自分を追い込んで追い込んだ先に現実逃避をする。病気を患い、自分を追い込む真意の答えは、「自分を見失う」こと。つまり、自分の可能性をいちばん否定するのは、自分であるという悲しい理由に気が付いた。しかし、核心には目をつぶり、痛い想いをしないでも健康という幸せの存在を探して生活してきた。それは、焦りと同じくらいのスピードで病気の本質を明確にしてきた。

逃げられない自分の体質。生まれ持っていた災い、ある意味こだわりが、網に引っかかる。自分の目指す「健康のカタチ」がずれた瞬間だった。私は、難しい子ではなく、障害者の気質がある子だった。どんなに足掻いても隠れられない自分の姿に驚愕した。足元をひっくり返された気分。私が、守ろうとした存在は、『私はわたしである』という枠の中には透かすことが出来ない壁だった。

恋人から言われた宣告。働かないなら別れる。その強いことばと一緒に想った言葉は、障害者手帳という資格を自分が持つ時が来た「悔しさ」だった。泣いて、泣いて、足掻いて。泣いて、歯を食いしばって、自分を追い込む。その時間は、長く続いた。三日三晩泣いて、腹をくくる。

自分の嫌いな存在へととことん落ちてやる。そう思い込むほど固い決心になった。病気を患ってはや四年が経った。病気を受け入れ、生活を共にして分かる。健常者の壁が高いこと。現実の世界の強さに目がチカチカする。

はじめまして。『障害者という肩書をもって働く自分。』給料の低さに唖然とする。自分の可能性はいくらになるだろうか。ないものねだり。妬みや比較は日常茶飯事になりそうだ。私の価値を決めるのは、これから。今じゃない。働き方が変わりつつあるこの空間に。障害者という存在の重みが深く、必ずしも炎を燃やして生きていることを忘れないでほしい。

私は、弱い。自分を壊しては自分を嫌う。されど、自分の可能性をあきらめない強い存在を生み出す。それが、こだわりであり、個性だと信じている。

今年の年末に、全身麻酔をかけ親知らずを抜歯する手術をした。二泊三日の入院生活で気付いたことは、健常者も障害者も同じ「健在」という星を失わないこと。まだ、病院の厄介になるのは嫌だという事実だけ。

弐〇弐弐年は、障害者という存在を輝かせる月日を歩みたい。
また会えたら会おうね。「健常者」にすがらない格好良い自分に。今の自分を越える、好きと言いたくなるような自分の料理を始めよう。おつかれ。重くてきつかった肩書を背負って生きていた自分へ。

ありのままの自分は、まだまだ先で待っているみたいだから。行ってくる。

きなこは、どんな感情や経験した人生だけでなく、名前も愛しています💓そんなピュアな愛情を隠さずに、たくさんの人たちに届けます!!よかったら、一緒に人生のネタを探しに行きませんか😊?