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ハワイの多層性のこと

カリフォルニアから来た母娘のマウイ島ドライブに便乗することになったことがある。20代終わりごろのことで、その時が初ハワイ。帰りはホノルル空港を飛び立った飛行機のエンジンが火を吹き空港に舞い戻り、一泊おまけつきだった。まさか二十数年もの後に、そこに移り住むことになるとは思いもよらなかった。

レンタカーのハンドルを握る運動神経抜群そうな、ラテンダンスの先生をしているお母さんが断崖絶壁のくねくね道を運転しながら「ここがアメリカだなんて、信じられないわ〜。まるで異国よね」とつぶやいた。海沿いには椰子の木が並び、モンステラは本当にモンスター的大きさで山肌をしっかり濃い緑色に覆い、熱帯っぽい。ああ、アメリカ人にとっても、ここはエキゾティックなんだ、と妙に印象に残ってる。

これがハワイに移り住んでとても戸惑ったことの一つだ。

ハワイは「アメリカ」というイメージとは違うアメリカで、ハワイ王国やハワイ文化という層と、そこを侵略したアメリカ本土の文化という層、さらにペストで人手がなくなってしまったところにサトウキビ畑の労働者として移住してきた日本人や他の様々な民族の文化という層が重なっている。この3レイヤーはきれいに分かれているわけではなく、入り混じってたり、古い層がところどころ地表に露出していたりする。

日系人にとってはパールハーバーに続いて第二次世界大戦中の日系人強制収容や日系二世軍のストーリーなど、新たにハワイに移り住んだ日本人やデュアルライフを楽しむ日本人には、知ろうとしなければ、知られることのない側面もある。そう言えば、ワイキキのレストランで日本からのツーリスト女性が「あら、あなた日本語できないの? ダメね」とウエイターに言い放っているのを耳にして、なんとも言えない気持ちになったこともある。

そして、寄るべない日本からの移民労働者たちのために、仏教寺院もやってきて、100年以上、心の支えとして大きな役割を果たしてきていることも移住してだんだん知るようになってきた。

ハワイに移住してすぐのころ、佐藤初女さんの講演会があると聞いて出かけた先が妙法寺という日蓮宗のお寺だった。そこで隣りに座った女性に声をかけていただいて、参加したのがお寺で毎週やってるコーラスグループで、70代の方がたくさん参加していらっしゃり、ハワイにある日本寺院、そして「日系」という文化に接近遭遇することになった。そこで出会った女性たちの持つ、母親世代よりもさらにもう一世代上的なカルチャーにショックを受けた。「だって、ここ、アメリカだよね?」って言いたくなるような。

WW2以前の移民日本人的文化から受け継がれた、三つ指ついて「お帰りなさいませ」と夫を迎えるような、男子厨房に入らず的なものをヨシとする雰囲気が残っていた。皿洗いは僕が、というのがデフォルトな米国人男子のカルチャーとマルチスタンダードというか、マルチカルチャーというか、そういうものが混交しているのがハワイなのだ。

その後、6月から毎週末、島内のお寺をヤグラとお囃子が転々と巡って行われる盆ダンスの盛大さにびっくりしたり、レインボーフォージャパンキッズのイベントで天台宗のお寺にお邪魔したり、リビングオハナを一緒に始めたNaokoさんが育った曹洞ミッションで絵本の会をやったり、ランディさんにご紹介いただいた藤森住職のいらっしゃるパロロ本願寺で寺カフェをやらせてもらったりと、日本寺院に深入りしていくことになったのだが、未だにこの不思議な多層性に驚き続けている。

余談だが、冒頭でご紹介したダンスの先生の娘さんは当時の私とほぼ同じ体重で私より10センチほど背が高く、さらさらロングヘアーの美人だった(観光ヘリコプターに乗る時に身長と体重を知らせなくてはならなくて、知ることになった)。すれ違いざま、顔を輝かせて「Hi!」と声をかける男子が次々に現れるところに、キリッと前を向いたままニコリともせず「Hi」と答えているのを見て、ほぅ、こういう風に対応するものなのか、と妙な感心をしたことも忘れないように書いておこう。

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