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11年前の死産の記憶~「すべてのいのちは奇跡であること」を教えてくれた

2月。
指の先までピリッと痛みを感じるほど冷たくなる。
肌感覚があの頃に戻されて、もの思いにふけることが多くなる。

きゅうっと胸がしめつけられるような
ほんのり心の中があたたかくなるような

心の中はパステルカラーもダークカラーも
ぐるぐる ぐるぐる ぐるぐる混ざり合った
マーブル模様を描いているようだ。

11年前の、2月18日。
私は、死産(子宮内胎児死亡)を経験した。


はじめての妊娠・出産

わたしのはじめての妊娠は、11年前。
当時は、赤ちゃんを授かれば、安定期に入れば、経過順調で無事にうまれてきてくれるものだと信じていた。

そういえば生理が来ないなと、ドキドキしながらピンク色の妊娠検査薬を買った。
どっくんどっくんと胸を高鳴らせながらトイレに入って結果を待つ。
くっきりまっすぐ残ったブルーラインに戸惑いを隠せないまま、ニヤニヤした顔で仕事帰りの元夫を待っていたっけ。

はじめて向かう病院、2時間ほど待ったっけ、ようやく診察になってモニター越しにうつるまあるい袋。ちょんちょんちょんと点滅している。

「わかるかな?あかちゃんの心臓ですよ」

エコー写真を眺めていたら、ちょっぴりあったかい涙が出た。

わくわく。そわそわ。
小さな家族が増える喜びの中に、はじめて命をお腹で育んでいく重責感は誰しも当然ある。
未熟なわたしなんかが、人間を育てていけるのだろうか。
まわりの妊婦さんみんな同じ心持ちなのだろうかと、勝手に病院の待合室で励まされたり不安になったりしたものだ。


妊娠中期、突然の破水からの早過ぎるお産


からだの芯からぶるっと冷える2月。
ふっくらまんまるお腹になってきた妊娠6ヶ月目前。

からだのだるさからはじまり、39度の高熱が続いた。
時期的に風邪なんだろうなと医者に行き、「早く熱下がってほしいな」と家で寝ていた。

あのときのことは忘れもしない。

フラフラと歩いて夜中お手洗いに行ったら「バシャーーーー!」と何かが出てきた。おしっこなのかなんなのかわからないけど、大量の水が流れたのだ。

訳がわからず、産科に電話し、急いで真っ暗な中救急診療へ。

「原因がわからないけど破水ですね、、、入院です」

高熱と何が起こったのか訳がわからず、話が頭に入ってこない。
歩いちゃいけないからと車椅子に乗ってと促され、ボーゼンとしたまま病室に通されすぐさまエコーをしてもらった。

「羊水のない中でも赤ちゃんはがんばっています、おかあさんもがんばろう」

そう先生に言われた。
頭の中がまっしろで、涙だけが流れていた。

そのあとひとりになり、お腹をさすった。
「ごめんね、苦しい思いをさせてごめんね」って言い続けた。

元夫にも大阪から飛んできてくれた両親にも「ごめんね」と言い続けた。

破水から3日後の夜、生理痛のようなお腹が痛みが襲ってきた。波がある。
ナースコールをして助産師さんにきてもらう。

「・・・陣痛がはじまったのかも。赤ちゃん自分で出ようとしてるからね。おかあさんがんばらなきゃだよ」

痛みがずっと続くようになり、ベッドのまま分娩室へ移動になった。

「残念だけど、あかちゃんは助かりません。でも産んであげなきゃね、おかあさん」

医師の言葉で、経腟分娩となった。

お産中はあまり記憶がない。
耳まで涙がつたったことだけは覚えている。

「産まれたよ、赤ちゃん。きれいにふくから待っててね」

目の前にあらわれたのは、手のひらに乗るほどのちいさなちいさなかわいい男の子。

にっこりと天使のように微笑んでいた。
羊水のない中苦しくなかったのかな、なんでこんなふうに笑ってるんだろうって、心の中がぐちゃぐちゃになって涙をボタボタ落としているわたしがいた。

「ごめんね」よりも「おかあさんに選んでくれてありがとう」って思いがあふれていた。


ちいさな赤ちゃん、さようなら。ありがとう。


産んだあとはお見送りの準備をする。

ひとつ隣のベッドでは陣痛がきたらしいおかあさんが、うう、ううとうなっている。

わたしはカーテンで自分の存在を隠した。
産科の中の部屋に、生と死があるだなんて。

ただただ現実を信じることができなかった。

薄暗い中、赤ちゃんへの手紙を書いた。
元夫に手編みのベビーシューズを家から持ってきてもらった。
朝になり、青や黄色やらの赤ちゃんに似合いそうなお花を買いにいった。

病院が準備してくれたお棺の中で眠っているあかちゃんのまわりに
お花をそおっとそおっと丁寧に添えていく。

お顔よりお花のほうが大きい。
からだの周りに添えるだけでとってもかっこよくなった。

赤ちゃんに、ありがとうの声をかけ続けた。

そしてお棺のまま抱っこした。
皮膚の形成が不十分であまり体がやわらかく、直接は抱っこできない。

ふわふわでとても軽かった。
でもそのずっしりした重みを感じようと、腕にその感覚を集中させた。

産科スタッフの方たちは、黙って私に寄り添ってくださった。
ギリギリまで赤ちゃんといっしょにいさせてくれた。

赤ちゃんのからだがこれ以上傷んではいけないからと、温度の低い部屋にお棺を移動してくださった。

小さな赤ちゃんを、最後まで「人」として見送ってくださった。

はらはらとはかない雪がちらついている。
うっすらと奇跡的に青色がのぞいている分厚いグレー雲の曇り空。
退院した、病院に戻ることもないその足で、火葬場へ。
雪が舞う中、まっすぐにまっすぐに、煙が空へのぼっていった。

「私たちを選んでくれて、うまれてきてくれて、ありがとう」


妊娠経過も、お産も、ひとの数だけあるもの。比較するものではない

妊娠・出産は、人の数だけドラマがある。

何事もなくふつうに過ごすひと。
悪阻(つわり)があるひと、ないひと。
原因不明でお腹が張りやすいひと。
ずっと病院のベッドで過ごすひと。
反対に、家のおふとんでトイレと寝室の往復だけ。
外出もまったくできないひと。

10-20代で産むひと、高齢で産むひと。
不妊治療を乗り越えてようやく授かったひと。

前置胎盤のひと。
不育症で毎日自分で注射を打たなきゃいけないひと。
ガンや難病など、闘病中のひと。

産んだ後のドラマも、ひとそれぞれ。

ダウン症や18トリソミーなどの、先天性の病気。
指がないなど、奇形がある。
あかちゃんのアトピーがひどい。
おかあさんの産後うつ。

書ききれないほど、ひとの数だけお産にはドラマがある。

もう、なにが「普通」なのか「当たり前」なのかがわからない。

でも目の前で起きている事実、それがそのひとの現実。
ひとの人生なんだから、教科書通りだなんていきっこないのだ。


限りあるいのちの時間をどう過ごす?


どのお産も、母も子も、命がけ。
そして、すべての命がここにあるのは、奇跡だということ。

奇跡というと陳腐な言葉に聞こえるのだけど、死産を経験した私はそうは思わない。

たいのうがあるのに心拍が確認できなかった命も
早産で超未熟児で生まれた命も
助かっても、亡くなっても

それぞれの与えられた「いのち=生きた時間」をまっとうしている。
過去でも未来でもない「今」を、懸命に生きたあかしを残してくれる。

そう、「いのち」があること自体が奇跡。

私の大切な第1子が、いのちを張って教えてくれた。


だからこそ。

自分のいのちを粗末にせず、もっともっと自分に、今に、目を向けて大切にして過ごしていきたいと改めて強く思う。


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