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トークの恩人

私は人前で話すことが、大の苦手だった。
16歳から始めたモデルの仕事は、人前で話さなくていい。
カメラの前で表現することは大好きだったため、モデル業はやりたいこととやりたくないことがピッタリ一致していた。


そんな私にリポーターの話が持ち上がったのは、大学を卒業してすぐのことだ。グリーンチャンネル『ターフトピックス』リポーターのオーディション依頼。毎週、栗東トレーニングセンターへ取材に行き、レース出走馬のインタビューやリポートをする仕事だ。

人前で話すことが苦手な私は、すぐに断った。
「私はモデルです!リポーターなんかやりたくない!」
仕事は何でもありがたくお受けしたが、リポーターだけはどうしてもイヤだった。

その夜、モデル事務所の社長から電話がかかってきた。
社長は浅野ゆう子似の美人である。面倒見が良くて情にもろい優しい女性だが、身長が高くて眼鏡をかけているせいか、ドSに見える。
少し前の話だが、大阪難波のひっかけ橋を歩いていた時、見知らぬ男にいきなり
「僕のことを踏んでください!」
と懇願された実績の持ち主である。
その社長から直々の電話だ。私は緊張して電話に出た。


「奈々ちゃん。モデルで一番仕事があるのは、どんな人だと思う?」
「うーん。背が高い人、です。」
「そうだね。20代前半で身長は170㎝ほど、脚が長くて顔が小さくて美人の子。それでもね、モデルの仕事が全部で10種類あったとしたら7種類しかできないものなの。奈々ちゃんはね、身長が160㎝しかないでしょ。するとその時点で、そもそもできる仕事の種類が少ない。ということは今は沢山仕事があったとしても、5年後には若くて可愛いだけのコに仕事を取られちゃうんだよ。」

ギョッ!!!
ま、マジか。

「だからね、今お仕事があるうちに、自分の身を助ける芸として、おしゃべりの勉強をしてみることは、とても良いことなんじゃないかなぁと思うよ。」


確かに。。。
その通りだ。
それに、普通で考えりゃ未経験の私がオーディションで受かるはずもない。
よし!受けるだけ受けてみよう。
これで受かれば、神様がトークの勉強をしなさいと言うことなんだ。


私はオーディションに赴いた。
オーディションでは、簡単な質疑応答と原稿読みがあった。
自分では、まずまずの出来だった。


『原稿読みは一番ヘタだったし、漢字の読み間違いもあったが、イメージが合うので六車でいってみよう!』


なんと、まさかの合格。
神様からの思し召しがあったのだ。


こうして私は、毎週トレセンへ取材に行くこととなった。
初めての現場は、頭を抱えた。
私ではなく、ディレクターが。
なぜなら一歩歩けば、次に言う言葉が出てこないからだ。カメラがまわると緊張して、『歩くこと』と『話すこと』が同時にできない。
結果、たった四行ほどの自己紹介を撮るのに、テイク30くらいかかった。


さらにディレクターを悩ませたのは、インタビューだ。
人生初のインタビューは、世界の武豊騎手。
私が初経験ということもあり、インタビュー内容は簡単なものだった。

「夏は好きですか?」

小学生でも尋ねられるような質問だが、
私は手元のカンペをガン見しながらインタビューを始めた。
豊騎手と隣に並びながらも、顔は逆に背けカンペを見て質問を棒読み。
「夏は好きですか?」と読み終えると、クルっと顔を豊騎手に戻し、
マイクを本人に向ける。
「そうですね。夏は、、、」
豊騎手が話し始めると、話を聞くこともなく再びカンペに顔を戻し、
次の質問に集中。
インタビュアーとしては最低だったが、豊騎手に助けて頂いた。
インタビュー後、豊騎手が
「あの子、大丈夫なの?スタッフも大変だね。」
と、苦笑いをしていたそうだ。


デキとしては悲惨なデビュー戦であったが、現場は楽しかった。
ディレクターさんや先輩リポーターさんにアドバイスを頂きながら、
一つずつ自分で課題を作り、クリアできるように頑張った。


22歳でリポーターデビューをした私は、現在45歳。
気づけば、顔が勝負でトークなど必要ないモデルだった私は、
顔が必要無くてトークで勝負するラジオをさせて頂くようになっていた。


その原点は、大阪SOSモデルエージェンシーのドS社長、、、いや、ドSに見えるだけで本当は優しい女社長と、私に白羽の矢を立てて下さったディレクターさんの存在あってこそ。心から感謝をしている。


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