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性別不合と誠実さの問題にどうやって向き合えばいいのか


【想定している読者層】
性別不合の問題に関心がある方
支援者


私の見解

①「自分の仕事」と「相手の仕事」に分けて向き合う
 ※自分は当事者のこと、相手は当事者が向き合っている人のことです。

向き合い方の2パターン

他人との向き合い方には、大きく分けて2つあると思っています。
その2つは、片方に偏ることもあれば、混ざることもあります。

①幅広い知見を吸収してから向き合う

一つ目は、一般的な知識に基づいて向き合う事です。

一般的に拾いやすい知識を2つ紹介します。

性別不合があると、うつ病等の精神疾患を持ちやすかったり、自傷、希死念慮、自殺企図があったりします。さらに、深刻ないじめを受けている場合があり、自己肯定感に深いダメージを負っている可能性があります。

性別不合があると、雇用契約、賃貸契約、各種保険契約等で不当な扱いを受ける事があります。これは十分な受け入れ態勢が整っていなかったり、日本で認可されていないホルモン剤を使用してる場合における健康リスクにマイナス評価をつけているためです

このような理解があると、
専門機関との連携や将来に起こり得るリスクへの対策等について、
頭の片隅に置きながら、向き合っていく事ができます。

いくつかラベルを準備しておいて、理解の観点として補助的に使用するといったことが可能になります。

②その人をそのまま分かろうとする

理屈や理論ではなく、傾聴や感情交流等によって、自分の中に、その人をありありと思い描こうとする向き合い方です。

これは、その時、その場で、その瞬間に限ったものになります。
別の日に、同じ人と会うときは「出会い直し」になります。

③節のまとめ

 ①は平均値をつかって向き合う感じです。
  誰にでも使えるようで、一部しか使えません。

 ②は外れ値を真ん中に置くように向き合う感じです。
  その人と、いまそこでしか使えないかもしれません。

支援を考えるなら、どちらも重要です。

ただ、②こそが、当事者の姿を「自分の中に」ありありと思い描くために必要になると、私は思います。

数値ではとらえきれない悩みの例

表層的な捉えだけでなく、もっとその人の事を分かりたいと思ったとき、
誠実さ」に着目してはいかがでしょう。

①私(当事者)は誰かをだましているのではないか

カミングアウトを果たしていない当事者からすると、今まさに、周囲の人をだましているような罪悪感を覚える事があります。

そして、人と関わらないようにしてみたり、
自分を納得させるために色々な事を考えたりしています。

特に、カミングアウトせずに恋愛関係を持ってしまうと、
この罪悪感は最大値になることがあります。

パートナーのことは大切だけど、本当のことを言い出せない自分は
パートナーのことをだましているんだ。と、そんな感じです。

ここで、当事者にとって最善の選択は何になるのでしょうか。

カミングアウトした方が誠実なのか
カミングアウトしないのが誠実なのか

状況にもよりますし、
この話題は、あらゆるバッシングを呼び起こし、
否定的な意見を引き付けます。

性別不合の方々は恋愛してはいけないのか。
そんな問いすら生まれてきそうです。

この「誠実にあろうとすること」がとても苦しいのです。

②私(非当事者・パートナー)はだまされたのか

パートナーは、当事者の恋愛相手を想定していますが、
ひとまず、友人や家族で考えてもいいと思います。

それぞれの立場によって、カミングアウトされたときに思い起こされる感情は大きく異なるでしょう。

人によっては、怒り狂ったり、嘆き苦しんだり、自分を責めたりします。

非当事者にとっても難しい問題で、
カミングアウトされなかったら、それはそれで嫌だし、
カミングアウトされたら、それはそれで辛いんですよね。

非当事者にとって、もしかしたら、どちらにしても「誠実ではない」と感じてしまうかもしれません。

では、当事者が誠実でいるためには、全てのパートナーに対して、
パートナーになる前にカミングアウトしなければならないのでしょうか。

それは現実的な方法でしょうか。

「自分の仕事」とは何か

これは、人との関係をどう考え、どう作り、どう維持していきたいか
を考えるといった、非常に困難な仕事です。

本当は、性別不合の有無に関わらず、考えているはずのことなのですが、
普通の人は、「世間一般」というラベルに守られていて、
あまり深く悩む必要がなくなっているんですよね。

「なにはともあれ、これが普通っしょ」みたいな感じで。

この「世間一般」というラベルを、自分に何度貼り付けても、
はがされたり、はがれおちたりするような人たちが、深く悩みだす。

このラベルって、色々な人(支援者)から貰えるんですけど、
なんかきれいにくっつかないんですよね。

ちなみに、この仕事の、本当に苦しい所は、
「人間関係を失うあるいは切り捨てる仕事」が含まれている
可能性があると言う事です。

しかも、その選択をしないためには
「非当事者としてふるまい続ける仕事」をしなければならない
可能性があるということです。

おそらく、多くの人からこの仕事を要求されることになるでしょう。

そうすると、「自分らしさ」を見失い、
「自分のために生きる感覚」が揺らいでいきます。

「相手の仕事」とは何か

ちょっと冷たい言い方になりますが、
その人に決めてもらうしかない部分のことです。

ただ、その人が、当事者との関係をどうしていきたいのかという
「決定のプロセス」において、
当事者が向き合っていく事は必要だと思います。

パートナーには相談相手がいない場合が非常に多いので、
ホットラインのようなものの情報は提供した方が良いでしょう。

ただ、決定を変える事はできません。
そこは「相手の仕事」として分けることが必要かもしれません。

もし、当事者の方が、後になって「やっぱり当事者じゃなかったから、
いままで通りの関係でいてください」となる可能性があるのであれば、
そのあたりは「自分の仕事」として、立ち止まった方が良いと思います。

支援者の文脈に戻してもう一度考える

向き合う事を考え、準備を進めると、この記事の様に
「こうした方が良いかも」「これが必要かも」と考え出しますよね。

私はその傾向が特に強いです。

ただ、当事者は弱っている事が多いので、
アドバイスが毒になることが、非常に多いんです。

だからこそ、相手を心のなかに思い描き、
その人と向き合う自分と、その時に自分が何を言いそうか考え、

どうなりそうか見つめてみるのは、
自分にとって良いことかなと思っています。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。