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私も彼女を忘れてしまったし、彼女も私を忘れてしまった。

どうやら3年前に実家に行ったらしい。
ずっと4年間行ってない気がしてたけれど。

その時は妹と……写真を漁りに行っていた。
長男長女あるあるな気がするが、写真が一番多かったりする。

私の父は写真が上手い。流石、美術系の大学を出た(らしい)だけある。
私の絵の色塗りの仕方や、写真の撮り方は、少なからず彼に影響されている。 
教えてもらったことはないけれど。

対して母は、絵が下手である。
とは言っても、彼女も器用な人なので色々私が小さい頃は作っていたし、ユニット折り紙にどハマりしていたのも知っている。
それに、彼女はピアノを弾ける。歌も上手かったと思う。
流石、保育士を目指していた(腰をやってしまい断念したらしい)だけある。


私と両親は、とんでもない大事件があって疎遠なわけではない。 
思春期の私からしたら息の根を止めてやりたいほど憎んだ相手ではあった。
大人になった今は別に。ムカつきはしても、離れていれば問題ない、親としてみなければ面白い人達だと思う。  

まぁ、とんでもなく希薄な関係にあるのは確かだ。


彼も彼女も、私の父親と母親に向かなかっただけだ。
いや、私が彼と彼女の子供に向かなかっただけかな。

父と母を、親として話すと恨み言しか出てこないが一個人として話すと、割と面白い話が多いと思う。  
私は実際、彼らにも言ったが
「結婚しないで、自由にしてたほうが向いてたねぇ」と思う。

それか、結婚相手を変えたほうが良かったのでは?と思う。
それぞれは問題はあれ面白さもある人なのに、夫婦としてみた時に、なんの纏まりもなさすぎる。


娘からこんな言われよう。
普通の親は激怒するのだろうか?


しかし、彼らは怒らない。
いや、怒れない。
なぜなら私の言葉が本当に、嘘じゃないからだ。
本人達がそう思っている。
自分達の結婚生活はなんだかおかしいけど、まぁいいやと過ごしてきた事を知っている。


特に母はそうだ。
私の言葉の前にメソメソ泣き出す母は、いつまでたっても祖父母の娘のままだ。  

そんな彼女が、良き母を目指していた片鱗は実家にある。
私を囲っていたかった彼女。
私の性格がこうでなければ、立派な共依存親子になっていたであろう。

「〇〇は私のもの。この子だけが血の繋がった家族」

というのが私を産んで育てだした彼女の強い想いである。
本人にそう思っていたのだと、そう言われた。
 
しかし、私は親の意図を読まない子だった。
なにしろ、空気を読むのがワンテンポ遅いのである。
というか、感じ取って『なんで???』となる事が多い。
少しだけ人と違う視点で生きていたらしい。
特別だとか、何か秀でてるとかじゃなくて、そう、とにかく空気読むのが遅いのだ。

それは同級生にたいしてもそうで、だからこそ、私は弾かれたのだと思っている。


そんな私だから、母の思うようには行かなかった。
中学を卒業する時に親宛に手紙を書かされた。
なんて書いたか忘れたが、それを読んだ母から
「あんたの手紙読んで出かけてた涙ひっこんだ。なんなの、これはからは一人で生きていきますみたいな事書いて。それで、親は親で自由にやってくださいみたいな事書いて」
みたいな事を言われたのは覚えている。

そんな、母の感想をきいて『あー、やっぱ駄目だわこの人』と思ったのを覚えている。


産んでくれて有難うだの、育ててくれて有難うだの、そんな言葉が生まれると何処かで思っていた彼女は当時の私を、何も見ていなかったなぁと、今の私は思う。  

3年前。ゴミ屋敷な実家で、私のファーストアルバム(って言えばいいのか?赤ん坊の写真ばかりのやつ)がホコリをかぶっているのをみた。
豪奢な布張りの真っ白なアルバムは、黄ばみ、ホコリをかぶり、みられることなく棚に押し込まれていた。

中身には丁寧にコメントがつけられていた。
まだまだ、若い母や父。祖父母。そして赤ん坊の私。

写真が並んでそこにある。

私はそれを閉じた。
持って帰ってこなかった。
ベトベトしてたし、重かったから。

父も母もそのアルバムを見返すこともないのだろう。実家にはこれでもかと写真があるが、私達姉妹が漁りにいった時、押し入れの中でホコリをかぶっていた。

父はもとから、父親としての自覚があるのか謎な人なので、写真を見返さなくても不思議ではないが、母はどちらかといえば子供に執着を見せたタイプなので、写真を見返しそうなもんである。

ふと、ホコリだらけのアルバムを思い出して、題名が浮かんだ。


憎み続けるほどの相手でもない。
執着し続けるほどの相手でもない。


私達は互いに存在を遠い彼方に追いやったのだと思った。


現在、両親との関わりは、互いの誕生日に『おめでとう』とlineしあうくらい。
父も母も、私が仕事をどうしているかとか、何も知らない。聞いても来ない。
私も、彼等がどう生きているか何も知らない。聞きもしない。

あの家、そのうち壊れる(物理的)んじゃないか?

とは思っているが、壊れたらきっと警察かなんかが連絡してくれるだろうと思っている。

大人になったら、少し現実的に距離が変わるかと思っていた時もあったが、希薄さが日々増していくだけだ。

私の本当に小さい頃の思い出は、そんなに酷くはないと思う。
同じ歳の頃に悲惨な過去を過ごして、今を懸命に生きる人達は、とことん幸せであって欲しいと思う。

世界規模で比べられたら、なんてことのない私と親の関係は、私の中で薄まって良かったものである。

それを悲しいとか、寂しいと言う人もいるが、親子関係はそんなもので切れないと言われたこともあるが、適度な距離感とは様々だと思う。


私にとって心穏やかに過ごすためには、父母は遠い何処かの親戚くらいがちょうどいい。

この写真の女の子は、そんなことは露知らず。
泣き虫で、甘ったれなのだ。
あー。
このあとに待ち受けるものを知らないままだったなら………

大人の私は、小さな私を見返して思う。

いや、ないか……。

だって、この子も私だもんね。



私、どの写真も割と真顔だな。
なんだ、小さい時から写真で笑顔下手くそじゃん。









サポート設定出来てるのかしら?出来ていたとして、サポートしてもらえたら、明日も生きていけると思います。その明日に何かをつくりたいなぁ。