論点整理:ステレオタイプな表現は悪か

 この記事では表現炎上の定番の論点である「ステレオタイプな表現」について整理する。

概要

 SNSで批判されやすい表現の代表例の一つにステレオタイプな表現がある。

ステレオタイプな表現の代表例(随時追加)
・女性が家事をしている広告

 この記事ではこれらの表現が悪いとされる理由とそれに対する反論を整理してまとめる。
 なお、記事の内容は筆者の情報整理にあわせて断りなく変更する可能性がある。

主張:ステレオタイプな表現は悪である

 ステレオタイプな表現が悪いとされる最大の理由は「ジェンダーバイアスを強化する恐れがあるから」というものである。色々なタイプの主張があるものの、最終的なポイントはここに集約されるだろう。
 主張の種類については、今回の論点に限らないことだが、クレーム系の批判は他所への働きかけの強さで分類するのが整理しやすいと筆者は考える。そこで今回は以下の分類で「ステレオタイプな表現を悪とする主張」を整理してみる。

主張の種類
・純粋な懸念の表明
・配慮要求
・徹底排除
・レッテル貼り

純粋な懸念の表明

 まずは無難な主張から。

・性別に基づいた固定観念を強化する。

・性別による役割固定化を助長する。

・ジェンダーバイアスを強化する。

配慮要求

 「不快な表現(私にとって)の排除を邪魔するな、むしろ配慮しろ」という系統の主張。

・現状では古い固定観念に苦しんできた人が大勢いる。

・昔からの固定観念を変えようとしているのに、その固定観念を強化するような表現は避けるべき。

徹底排除

 「存在自体を認めるわけにはいかない」とする系統の主張。特定パターンに当てはまる表現を固定観念と捉え、認めることはできないと主張する。

・昔からの固定観念が問題のない普通の光景だと思われる。

・固定観念を変えたくない人に得となる表現を許すべきでない。

レッテル貼り

 批判者を差別主義者の枠に押し込め、自分達に正当性があるようにみせる系統の主張。都合のいい対立構造を持ち出すクレーマーのは十八番。

・これは「固定観念を変えたい人VS変えたくない人」の戦いだ。屈するわけにはいかない。

反論:ステレオタイプな表現は悪ではない

 「ステレオタイプな表現は悪である」という主張への反論には複数の観点がある。多様性や客観性の観点は汎用性が高く使いやすい観点である。対象が広告物であればマーケティングの観点も有用だろう。

反論の観点
・多様性の観点
・客観性の観点
・マーケティングの観点

多様性の観点1

 多様性の欠如を指摘する系統の主張。

・従来の価値観と新しい価値観の双方を認めることが多様性。「人それぞれ」の価値観があり、それを受け入れないのは多様性の否定。

・従来の価値観を好意的に捉える人にも配慮が必要。ある価値観を肯定したからといって、別の価値観を否定することにはならない。

多様性の観点2

 価値観の押しつけを批判する系統の主張。

・自分が気に入らない表現が世の中に存在することが多様性。価値観の押し付けはやめるべき。

・ある固定観念を完全に排除したら、別の固定観念を生み出すだけ。それは固定観念の上書きでしかない。

客観性の観点

 「その固定観念、主観だよね?」という系統の主張。主観性の批判。

・ステレオタイプにあてはまる表現が残っていることは、固定観念が残っていることの根拠にはならない。客観的な根拠を示すべき。

・固定観念が残っているというのは個人の主観。固定観念が残っているという固定観念に陥っているのでは?

マーケティングの観点1

 差別意図の否定。広告の役割から。

・広告は「企業の製品・サービスを特定のターゲットに伝達するための手段」であり、誰に対しても快適な表現や、社会全体に対する規範を発信するものではない。

・広告はターゲットのペイン(解決したい悩み事)に訴えるものであり、特定の属性を持つ人のペインを抱えた姿が表現されているからといって、その属性に対する差別・蔑視を意図するかは別の話である。

・広告のメッセージがその人にとって不快だっとしても、その人が広告のターゲットではなかっただけで、それに対して怒るのは被害者意識が高いと言わざるを得ない。

マーケティングの観点2

 男女共通である必要性の否定。具体事例の想定は広告の肝。

広告はターゲットのペインを想定するものであり、思考停止して男女で同じものを作成すればよいというものではない。広告のターゲットを検討した際に浮かび上がった具体事例が男女で異なることはおかしなことではない。

マーケティングの観点3

 ジェンダーバイアス強化の否定。

・世の中には様々な広告があふれており、数ある広告の1つぐらいでジェンダーバイアスは強化されない。結局、人は自分の関心事(ペイン)にしか反応せず、各々が自分の価値観にあったものに共感すればよい。

スマホとSNSの普及によって個人の情報発信が進んでいて、企業が発信する情報の重みは減少している。一企業の広告程度でジェンダーバイアスが強化されるという主張は今の情報社会では説得力がない。

・今の消費者は膨大な情報の中から自分の価値観にあったものを選ぶことができる。売る側と買う側の情報格差はフラット化しており、企業の発信する情報を一方的に受け取るだけの消費者像は10年古い(2000年代まで)。

あとがき

 「ステレオタイプな表現」問題は、結局「ある表現を固定観念と捉えて許せない人」が文句を言っているだけであり、「ステレオタイプな表現は悪である」という主張に妥当性があるとは思えない。反論の観点は色々あるので、状況に応じて適切なものを定型の反論として使っていきたい。

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