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歌舞伎町でいらない5000円を稼ぐ

歌舞伎町を歩いていた夜21時、目的地の場所が分からなくなり、騒がしい飲み屋の前でGoogle Mapを開いた。落とした視線の中、私の黒い靴のちょうど前に、顔を合わせるような形で、見知らぬ二足の靴がパーキングされた車のように止まった。距離が近い。飲み屋への勧誘か、ナンパか。避けるように歩き出すにも、顔をあげる必要があり、話しかけられるであろうリスクに心を痛めながらも、スマホから顔をあげた。

そこにいたのは、大きなリュックを背負った四十代半ばの中年男性だった。思わず「こんにちは」と言ってしまった。何も言わずに逃げ出したかったが、あまりにも相手が物言いたげだったため、とりあえず挨拶をした。日本で培ってしまった自分の無意味な丁寧さが憎い。だが、人通りも多い道で、背後では多くの男女が飲み屋へズラズラと入っていく。何かあっても大丈夫だろう、と思った。

男性は辿々しい口調で私のことを「すごくいいな、と思った」と言った。この時点で、足早にその場から去りたかったが、恐怖とセットになった好奇心が「はあ」と私に言わせ、そのまま会話を続けるボールを投げてしまった。

男性は、いわゆる女性慣れしてなさそうな、というと語弊があるかもしれないが、渋谷にいるような軽やかなナンパ師ではなく、「マスクで、顔は見えないけど、、なんかすごく、いいです」と全ての単語の間にいくつもの読点を交えながら言葉を続けた。

何に対してかの謝礼は曖昧なものの「ありがとうございます」と言い、分かりやすくスマホを開き、Google Mapを相手に見せた。何処かへ向かう途中であることを仄かしながら、「すみません」と言って、歩き出そうとすると、私の背後を、大人数の男女のグループが横切った。男は、「危ない」と言って、私の両手首を握って自分の方へ引き寄せた。突然、手首を触れられて、急に身体のどこかが冷ややかに縮こまる。

何がこの男の目的なのだろう、と瞬時に疑問に思ったが、そんなことは明瞭だった。「1万円あげるから、お茶しないか」というのが、簡潔に言うと男の出した条件だった。「それより、もし、他にももっと大丈夫だったら、もっと、出します」と言った後に、明確化しようと考えたのか「あ、ホ、ホテルとか」と続け、「触っちゃってごめんなさい」と段落を締め括った。大胆さと臆病さが、風に揺れるカーテンが覆いかぶさった窓のように、ちらちらと交互に姿を見せる。私のように小柄で若そうな女性に手当たり次第に声をかけているのだろうと思うと、心が痛くなった。 

「ごめんなさい、予定があるので」とまた歩き出そうとする。すると、「じゃあ、さっき手を触っちゃったので、そのぶん、あげます」と言ってきた。これには、驚いてしまって足が止まった。

「今、こうやってお話して、お時間、もらってるし。5000円、、払います」と、鞄を開いた。「いりませんし、え、どういうことですか?」とつい、本音が出る。この人は、一体何にお金を出そうとしているのか?お金は何かの対価となった時のみ役割を果たす、と考えてきた私にとっては、あまりにも衝撃的なオファーだった。お金は一切欲しくない。タダなものより怖いのは、タダでもらえてしまうお金だろう。

しかし、男は「手、触っちゃったので。お時間もいただいてるので。お金、払わない他の男みたいになりたくないので」と続け、これは“タダ”のお金ではないと主張した。他の男とは?ここは男が女に触れる際は金銭のやり取りが必須の世界ではない。断り続けると、「どうして? 君、こんな場所にいるってことは、お金困ってるんでしょ。他の女の子なら、欲しいって言う」と来た。答えに詰まってしまった。何から否定をすればいいのか、分からなかった。否定するべきことなのかも分からなかった。

そのまま何も言わずに走り去れる空気では決してなく、「いらない」と言い続けると永遠に食い下がる男を前に、どうにもこうにもならず1000円札を5枚渡されてしまった。そこにあったのは、なんの意味もない紙だった。

男は、自分の電話番号を書いたATMの横にあるような封筒を追加で渡し、その場を去った。一人きりになり、全てのお札を封筒の中に入れた。

予定までまだ20分あった。言葉にできない気持ちと5000円を抱えて歩くネオン街で、とにかく誰かと会話したくなった。そこでタイミングよくナンパしてきた男性と会話を続け、セブンイレブンの前でコーヒーを飲んだ。男との一部始終を話し「コンビニに寄付しようと思う」と言うと「コンビニはダメじゃないですか?ユニセフとかの方がいいと思います」と言われた。彼は会社帰りに歌舞伎町を彷徨い、ナンパで結婚相手を探そうとしているらしかった。「ナンパでいけるものですか?」と聞くと「いけてません」と言う。「だから、まだここにいるんですよね」

一杯のコーヒーを飲み干してその人とも別れた。彼にこの5000円をあげたら、受け取っただろうか。どんな使い方をしただろうか。歌舞伎町の奥へ入っていきながら、そんなことを考えた。26年経った今も、私はお金の存在と価値が、いまいち理解できない。

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