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SNSで切れてしまった人たち

最近、会話をしていて楽しいと思う相手がいた。住んでいる場所も近くて、バックグラウンドも似ていた。連絡先が欲しい、と言われてインスタグラムある?と聞かれた。持ってないけどラインならある、と言ったらあとで交換しようという事になった。

別れ際にIDをもらった。紙に手書きで書いてあって、なんだか可愛かった。けど、そういえば私、ラインのID検索できないんだった。と気づいた時にはもう一人だった。番号か、Facebookを聞けばよかった。でも、知っていたのは苗字と出身大学くらいで検索も出来ない。職場は知ってるけど、そこに行って聞くほどでもない。こうやって、人との繋がりはどんどんこぼれ落ちていく。SNSは力強いコネクションになる時もあるけれど、ひどく素っ気なく人間同士の関係を切るきっかけにもなる。

大学生の時に出演した舞台で、仲良くなった女の子がいた。アキちゃんは、笑顔が可愛くて、明るくて、いつでも一緒にいてすごく楽しかった。共演した場面も多く、帰り道は毎日一緒に帰った。稽古場の近くにあったインド料理屋に行きたいよね、と盛り上がって稽古前に一緒に行ったこともあった。恋人の話、出身地の話、演劇の話、色々なことをたくさん話した。でも、この舞台が終わっても仲良くしたいな、と思っていたのは私だけだった。アキちゃんは打ち上げに来なかった。1週間後、FacebookやLINEやTwitter、全てのSNSアカウントが消えてしまって連絡がとれなくなってしまった。名前も毎回違う芸名を使っていたのか、他の出演舞台の情報も出て来なかった。

1ヶ月間毎日一緒にいたのに、アキちゃんはあっけなく私の人生からいなくなってしまった。

SNSは人間同士を簡単に繋げるけれど、切りやすくもさせる。全てブロックしたり、もしくは自分がアカウントを削除してしまえば誰とも連絡がつかなくなってしまう。ネット上で相互フォローしていたり、友達だったりする事からくる関係性への安心からだろうか、相手を必要以上に知ろうと思わなくなったからかもしれない。SNSは、ぼんやりと相手を知っている、もしくはそれなりの関係にあるように錯覚させてしまう。それなりの関係というのは、相手の近況を知っている、そしてなんとなく自分も知ってもらっているのではないか、と思うようなこと。今、私はFacebookで1000人以上の友達がいるがこの中でそれなりに近況をチェックしているのは正直に言うと5人程度(これって少ないのだろうか)、連絡をコンスタントに取り合うのは3人程度だ。それでも、彼らのことを私はよく知らないし、彼らも私のことを少しも知らない。

他にも、高校時代に男友達が私の悪口をSNSで言ったことにたいして、女友達がそれにリプライで同調していたTwitterを見た時のことを思い出した。あいつ(私)、自分で調べもしないで俺に○○について聞いてくるんだけどググれカス、と書いてあったことに対して彼女が「それな」と送っていた。でも、その数分後にその子から、ななちゃん!と連絡が来ていてもう何も信じられなくなった。絵文字やスタンプが踊るラインの画面を見て、人間直接会うだけでも色々な顔があって混乱するのに、SNSでも多面的なのは勘弁してくれ、と思った。

他にも既読/未読無視の連発で関係が悪くなったり、限定公開の投稿だけは見られない設定でブロックされたり、裏アカウントの存在を隠されたり... 一つ一つ、大した出来事ではないけれど何ヶ月、何年間のスパンで降り積もって、疑心暗鬼になったりストレスになったりして関係が切れることは多々ある。SNSは人間関係を物凄く単純化しているだけなのかもしれない。好意も嫌悪も、全て可視化されて、話したい時は気軽に話しかけられ、捨てられるときは言葉なしに捨てられる。あの人は毎回いいねしてくれる。でも会ってる時はすごく素っ気ない。あの人はSNSではよく絡んでくる。でも実際に会おうとは言って来ない。SNSで可視化されるものと、直接顔を合わせた際のコミュニケーションを統計化して、相手との距離を測ることに、気付かないうちに疲労を感じているのかもしれない。

関係にレベルをつける。でも、複雑化させるだけさせて、切ることだけは無責任にできる。SNSとの付き合い方がまだいまいち掴めない。でも、人間関係と同じで一生掴めないものなのかもしれない。

久しぶりに、アキちゃんのことを思い出す。一回、確か家に泊まりに来てくれたような気もするけど、それは違う人だったかもしれない。5年前、大切だと思っていた人間関係も時間が経つと記憶の中でぼやけてしまう。だとしたら、今、関係がある人たちとどう接していけばいいのだろう。いつか、別れて、忘れてしまう人たちと楽しい時間を過ごすのが悲しい。


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