見出し画像

共感と向上

精神的に向上心のない者はばかだ。
 『こころ』夏目漱石


 僕は元先生だけれども、あんまり人と話すのが得意ではない。
 授業や会議、論議だったりすると全然苦手意識はなくて、むしろ好きなくらいだけれども、テーマの無い雑談であったりすると、口が重くなる。話すことが無いのに話すことができる人には、ちょっとした感動を覚えさえする。

 そんなわけで、無意識に自分の不足を補おうとする本能が働いているのか本屋などに行くと、しばしば「コミュニケーション術」などを謳う書籍に目を奪われる。

 そこで最近よく目にするのが、「共感力」というワードだ。

 目を通してみると、大体そこに書かれている論理は通底している。
 コミュニケーションが苦手な人は相手の気持ちを考えていない。相手のことを考える力が必要だ。だから共感を表す言葉などを学んでコミュニケーションを成立させよう。といったようなことが、大体どの書籍においても異口同音に語られているように見えた。


 共感。

 確かにそれは、相手とのコミュニケーションを円滑に行うために有効な手段であるように思う。
 自分が受け入れられると感じたとき、肯定されていると感じたとき、人は憂いなく自分についての二の句を紡ぐことができるだろう。自分が批判されるかもしれないという不安を抱いたままでは、安心して何かを語ることは難しい。

 けれども、何よりも共感に重きを置くような今の風潮には、どうにも疑問を覚える。


 共感の本質は肯定だ。あなたの在り方、考え方について異論はありませんよと伝える意思表示だ。

 しかし、肯定はある意味で、新しいものを何も呼び込まない。今の姿を是とした瞬間、新しい姿への前進は停止してしまう


 「上司が最悪でさ」と漏らす同僚がいたとする。
 共感の原理に従えば、「私もそう思う。ひどいよね」なんて返すのがいいのだろう。気分を肯定された同僚はきっと意気揚々と更なる愚痴を漏らし、自分と同僚の間には確固としたコミュニケーションが成立することだろう。

 ここで「あなたにも問題があるんじゃない?」なんて返すのは、共感力の無い人の典型として持ち出されるだろう。相手は否定されて気分を害すことに加えて、愚痴も言えなくなる。ここにコミュニケーションは成立しない。


 だが前者は現在の充実の代わりに、未来の成長を失っている。
 後者は現在の充実を失うかわりに、未来の成長の可能性を示している。


 向上の精神は、常に現在の自分の否定から生まれるものだ。今の自分のここが良くない、あれを直さなければいけないと意識して初めて、今の自分ではない自分へと脱皮することができる。

 その意味において、共感と向上は全く相反するものだと言えなくもないだろう。共感するところに、向上は芽生えない

 

 少し、暴論だった。別に共感が全き悪だと言うつもりはない。それは社会で生きていく上で、とても重要な力だと思う。

 ただ、共感だけでは相手に真なる利益をもたらせないのだと、自分への戒めとしてここに書いておく。
 
 いつか大切な人ができたとき、本当に相手を大切にするための方法を、今度は間違えないように。

ここから先は

0字

¥ 100

思考の剝片を綴っています。 応援していただけると、剥がれ落ちるスピードが上がること請負いです。