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亡くして初めて気付く空気みたいな大切なひと。

写真は、ハワイ島マウナラニリゾートの夕焼け:本人撮影

いつも当たり前のように、父に寄り添い続けて
いた母を亡くした父との会話を通して感じたことを書いてみます。

スキルス性の癌で余命宣告された母。
自分の消えそうな命に最後まで向き合うことなく、自ら肉体を脱ぎ捨て旅立った。

父は、母親のひと通りの法要を終えた後、急速に元気がなくなり…イヤ、生気がなくなっているように思う。そんな父が私に「母は空気のような存在で、生きている時は、こんなにも大事な存在だとは思わなかった。どこに行っても母との思い出だらけで辛い…布団の中に入っても母のことばかりが浮かび、眠ると夢の中に母が出てくる。とにかく辛くて辛くてたまらない」と言う。


母が生きていた時の父は「俺は趣味がたくさんあるからひとりになっても平気」と言い、ひとりになっても人生を謳歌すると豪語してたから…正直、ここまでひどい状態なるとは思ってなかった。そして、父の言葉を聞いてると…私も含め、後悔することがないように、今一度、自分の大切な人を見つめてみるのは重要なことだって思った。

普段は空気についていちいち考えてる人って滅多にいないと思うけど、空気って命を繋ぐ何よりも大切なものだから。母は父にとって、空気のように、存在しないと生きていけない大切な存在だったということなのだ。本当は母の命あるうちに気付いて欲しかった。母は、いつも父の愛情を求めていた。そう、今…父が母に対して感じている愛を。

だから、父の話を聞いてる私は正直「何を今更…」という気持ちもありとても複雑だ。父の気持ちを素直に慰められない自分もいる。だけど、誰にだって過ちや失敗はあるし、私も失敗だらけ。だから父の話にそっと耳を傾ける日々。今の父にとって人生最大の試練は、大切なことに気付く学びの機会だと私は思っている。人は死ぬまで学び続けることができるから。


直ぐにでも父の元に帰り寄り添い慰めてあげる愛もあるけど…あえてそれをしないもっと深い愛もある。手を貸しすぎることは相手の学びを邪魔してしまう。だから、今、私は父の為に祈ろう。それが、今の私にできる唯一のことであり、祈ることで自分の複雑な気持ちも静まっていく。私は、一歩離れた所から父を見守っていようと思う。



自分の傍に当たり前にいる人をまじまじと眺めて感謝や愛の言葉を恥ずかしげもなく伝えること、素直な気持ちを表現することって、人によっては大変なことかも知れないけど…それを受け取る側の人は、本当に嬉しいものなんじゃないかな。自分が言われた時のことを考えると良くわかるよね。「何言ってんの〜」とか口では言いながら悪い気がする人はいないと思う。

だから勇気を出して伝えましょう〜!

「ありがとう」とか「感謝してる」って言葉は、恥ずかしくもなんともない!って私は思う〜(^^)

◆2013年11月27日の日記



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