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”今を大切にする”家族の死を通して感じること。

写真は沖縄県・宮古島の展望台に鎮座しているガジュマロの木:本人撮影

半年前に母が亡くなった。その後、祖母が危篤になり落ち込む父。
家族の生死を通して私が感じた「今を大切にすること」について書きます。関連記事は一番下にリンク貼りました。↓

 半月くらい前、99歳の祖母がヘルペスにかかり一時危篤状態になった。約半年前に最愛の母を亡くし、最近やっと少しずつ元気を取り戻しつつあった父は、またやってきた大切な人との別れの予兆を感じ元気をなくしてしまった。気持ちは痛いほど分かる。私にとって父や母が大切な親であるように、父にとっても祖母は大事な母親だから。たとえ99歳といえども、伴侶を亡くした後なだけに、やっぱり生きて存在してくれてるだけで支えになるんだと思う。父は、今の状況が辛い…と私に弱音を吐いた。


でも、私はこの状況が父にとって母が残してくれたプレゼントだと感じた。きっと母が生きてたら、父は全てを母に任せて、祖母の最後の時間ときちっと向き合おうとせず、後で心残りになったかもしれない。仕事、仕事と忙しくしてた父に対して祖母が『冷たい…寂しい』と、私にこぼしたコトもあったから、今のこの時間は祖母と父にとって大切な時間だと思った。

このことを電話口でも伝えたけど…私が愛読してる本に書いてあった一節を父に贈りたいと思い、手紙を書いた。

その一節は『どれほど多くの人が、赦しを与えられず、赦しを与えず墓場まで持って行くことか。どれほど多くの人が、慈悲や寛容を示す大切な言葉を伝えられないままに、家族や友人や子供や恋人をこの世から失ってしまうことか。終わってしまった関係から生き延びた人間は、どうやって終わらない苦悩に耐えればいいのか。私はようやくその問いに答えを見出した。苦悩の軛(縛るもの、自由を妨げるもの)は、みずから断ち切ることができる。まずは自分の内側から。それは必ずできるし、とても大切なことでもある。」

このフレーズは父だけでなく、多くの人に必要な言葉のような気がする。大切な人が亡くなってから、お墓の前で泣くようなことはできるならない方がいい。そうならない為には「今」が大切なのだ。だから、父にも、今がしんどくても祖母と向き合って欲しいと思った。


祖母は危篤状態からだいぶ持ち直してきている。そして、私の贈った一節を受け、数日後父は言った。近くに迫っている祖母の100歳の誕生日に、ケアホームにいる祖母を自宅に連れて帰り、二人で布団を並べて一緒に寝るんだって。きっと二人が布団を並べて寝るなんて、父が子供の時以来じゃないかな。そして、これは母が生きてたら実行されなかったこと。

母は、亡くなったけど…たくさんのものを私たち家族に残してくれた。人は死んだら居なくなるけど、ただ死んでいくんじゃなくて、誰かに何かを残し、亡くなってからも多くのものを贈り続けてくれるんだと…今もなお、亡き母から贈られてくる愛を感じる日々。私も誰かに何かを残せるように生きていきたい。そして生あるうちに全てを赦し、赦され…大事な言葉を先送りにせず「今この時に」向き合っていこうって思う。

祖母に向き合い始めた父の姿がとても嬉しく微笑ましい。亡き母も、同じ気持ちで見てるだろうな。私も祖母の誕生日は息子と一緒に駆けつけ、大事な人にお祝いの想いを伝えようと思ってる。家族だけじゃなくて、自分の周りの大切な人に、ちゃんと向き合って行動し、言葉にして伝えることができたらいいね。生あるうちに間に合うように。

◆2014年3月2日の日記。その後、祖母は2015年10月に100歳で亡くなった。
父の最後の親孝行は間に合ったようだ( ´Д`)y

後回しにしないで、
今のこの時に大切な言葉を伝えようね!


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