家族の死を乗り越えるために、私が考えた生きることと死ぬこと。

「人は必ず死ぬ」ということは、誰もが例外なく深い悲しみを経験するということ。
若い時には生死感についてあまり考えた事も
なかったけど、家族の死を経験してから考察した「死」について書いてみよう。これまでの諸々の話はこちらです⬇︎


この世には、誰にも例外なく親や家族というものがいる。だから、誰もが大切な人や肉親を失うという深い悲しみを経験するということになる。

例え、家族関係が上手くいっていなくても、会っていない期間が長いとしても、やはり肉親が亡くなると複雑な思いや、死を持って初めて深い悲しみを経験する人もいるだろう。


私は、父母を亡くしてから、自分の生きる意味を考えるようになった。

何か自分の中で、この答えを出さなければ、深い悲しみを乗り越えて生きていくことができなかったのかもしれない。

自分がこの世に生を受けた日から、ずっと、私という存在を育て見守り続けてきてくれた父母がいなくなる。これは、自分の人生において、恋人と別れたとか、友達を失った、とかいう別れとは大きく違う。


私は生前の父をそんなに好きだった訳ではなく、どちらかと言えば苦手だった。だけど、亡くなってからその父が、自分にとってどんなに大切な存在だったかを思い知った。

母に関して言えば、母の事はとても好きだったので更に私の喪失感は大きかった。


人は、どうして亡くなってからその人の大切さや存在の偉大さに気付くのだろう。

生きてる間も感謝をしているつもりだったが、
亡くなってからの想いはその比にならないくらい「ありがとう」や「大好きだよ」の気持ちがあふれ出ててくる。


ある日、音楽を聴きながら土手を歩いていた時、MISIA の歌が流れてきて大泣きしながら歩いたことが思い出される。

"あのね 大好きだよ
あなたが心の中で 広がってくたび
愛が 溢れ 涙こぼれるんだ

星の数ほどの中 ただ一人の
あなたが 心にいるんだ
あのね あのね ずっと 大好きだよ
大好きだよ ああ ありがとう
何万回も伝えよう"

この歌詞は私の想いを全て代弁してくれていた。



人生の大きな出来事を経験して、更に私は、この先の生き方を考えていった。

そして、亡くなった父や母が見ていると思うと、心配かけない為にも、二人の死を悲しみ過ぎないことが、まず何より大切だと思った。それでも、何かの折にメソメソ泣いたりしたけど、それも必要最低限におさめた。

また、自分があの世に行った時に
「私、精一杯自分の人生を生き抜いたよ!」と
胸を張って会いたいから、日々を後悔することがないよう、自分に嘘をついたりしないように心掛けて、一日一日を大切に生きることにした。

また、母は自殺、父も寂しい死に方だったので、私は、生きる意味という問いに対して

"より良く死ぬために今を生きる" という答えを出した。

両親は、裕福な老後だったけど、二人とも亡くなる時は本当に寂しく悲しい死に方だった。

だから、私は、二人の死に様から大きく学んだのだ。両親は裕福に見えただろうけど、精神的には貧しかったと私は感じている。

やっぱりお金だけでは人は幸せに生きられない。私は両親を見ていてそう思わずにいられなかった。

人が生まれる時も大仕事だけど、死ぬことも本当に大仕事だと思う。生まれてきた時には大きな声で泣くのだから、出来たら私は微笑みながら死んでいきたい。それが出来ないなら、心だけは穏やかに天に昇っていきたい。

人は生きてきたようにしか死ねない。

と言われているけど、私は両親の死に様を見て、この言葉が本当だということを身を持って知った。

私の両親は悲しい死に様だったけど、私に色々なことを教えてくれた。

両親の死から学んだ私は

より良く死んで行けるように、
今を生きていく!と強く心に決めて
立ち上がることができたのだ。


家族や大切な人の「死」という体験は、誰にも平等に訪れる悲しい体験だからこそ、絶対に乗り越えていけるよ、大丈夫!という私の想いをシェアしてみました。


亡くなったことをいつまでも悲しむのはやめて、頭を上げて、この先どう生きていくのかを考えて一歩を踏み出せたらいいよね。



死について考えていたら、結果、生きるということを考えていた私です。

形あるものは変化し、いつか崩れ去っていく。
だからこそ、今の一瞬はかけがえのないもの、
だと私は思う。

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