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母の自殺から父へ毎日書いた葉書〜その後

写真は、当時、父へ書いたハガキの一部。

スキルス性の癌で余命宣告された母は、病気を苦に自ら肉体を脱ぎ捨て旅立った。錯乱した父と私はケンカ別れに。その後、父に葉書を出し続けた私と父のその後を書きます。
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母の死の後、ケンカ別れになった父に毎日ハガキを書き始めて約3ヶ月。枚数にすると約90枚。実は、さっきその父から、つ、つ、ついに電話が
きた!私は父の声を聞いた瞬間に涙が出ちゃって喋れなくなった。そして、やっとの思いで声を震わせながら「こないだはごめんね」と言った。

本当に親子って不思議。
母の四十九日の法要で帰省した時、父の言動に爆発した私は「今頃そんなこと言うんなら生きてる時にどうしてもっと大切にしなかったんだ~!」って泣きながら父に向かってって、驚いた息子に後ろから羽交い締めにされたくらい興奮して感情的になっていた。あの時のことは今、思い出しても辛くなる。兄夫婦への不信感と父との衝突、息子とも喧嘩をしてしまい、母を失った私は、世界中で一人ぼっちになった気がして最も孤独だった。

私も生きていたくない、母の所に行きたい…とさえ思っていた。

でも、電話口の父の声を聞いたとき、そんな事はすっかり頭から消えてて…毎日 葉書に綴った父への想いが溢れ出てきた。そして、電話を切った後、声を出して大泣きした。まるで子供のように。

そして、その日は奇しくも父と亡き母の結婚記念日だった。なんて素敵な天の取り計らいなんだろう。やっぱりちゃんとご先祖様たちが守ってくれていて、私の祈りは確実に届いていると思った。今夜は『結婚記念日おめでとう』って葉書に大きく書こう♪

今振り返ると、最愛の人の自殺という、壮絶な体験を共にした者同士の心と心のぶつかり合いだった。でも、そのぶつかり合いがあったからこそお互いに色々な事を考え、残された自分たちの人生をじっくり考える時間が持てたようにも思う。


そこから得た気付きは、父も、親である前にひとりの人間なんだってことだった。人の中には親だからこうあるべき、こうしてくれて当たり前、といった固定概念が知らず知らずのうちに植え付けられている。もっと言えば、男だからこうあるべきだ、女だからこうあるべきだ、夫だから、妻だから、とか様々な固定概念に縛られて生きている。

私は父に、親として母の夫として完璧な親、夫を求めていたから腹が立ってたまらなかったんだ。父は、母を亡くしひとりになって、間違ったり悩んだり迷ったりしながらも懸命に生きている。それだけでいいじゃないか…とケンカ別れしてから連絡を取らなかった空白の時間を過ごすことで、そんな風に思えるようになった。これからは父を親として見る前に、ひとりの人間として見つめていこうと思う。

親だってひとりの人間なのだ!!!
固定概念から自由になろう♪

◆2013年11月13日の日記

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