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1、あこがれの島 -島旅日記ー

〈島旅日記〉

 わたしは、小さいころから南の島にあこがれていた。

 小学校の五年生くらいのときだったと、思う。
 街の大きなお祭りの屋台で、さとうきびが生で売られていた。
 五月だったので、ちょうどその年刈られたキビをそのまま、わたしのいる東北の港町まで持ってきたのだろうと思う。

初めて見る、さとうきび。
 その竹のようなものが、皮をむくと甘い汁が出て、ずっとチュウチュウとしゃぶっていたのを思い出す。
 こんなに美味しいものが、世の中にあったのか!と、すごく感動して、
 三日あるお祭りを三日とも、サトウキビ屋さんに通い、最終日は、10本買いしめて帰ってきた。

わたしと南の島との初めての出会いだった。

 その年のサンタさんには、サトウキビをお願いした。
 どうか、あの竹のような美味しいサトウキビをまた食べさせてください。
そう紙に書いて、机に張っておいた。
 12月25日の朝に、目が覚めると、枕元にあったのはお菓子の入る用のボール紙で出来たサンタの靴下だった。

 その中にあったのは、黒いのも、茶色のも含めて、三種類の、
「さとうきびから取れた砂糖」
とでっかく書いてある、ただの砂糖だった。
母が、
「プレゼントどうだった?」
とニコニコ顔でやってきたが、わたしは、一気に表情が冷め一年で一番なんでもねだれるサンタのプレゼントが、こんな惨敗した結果に終わるなんてと、ふてくされた。
文句たれるわたしを見て、母が怒ったように
「こんな時期に、さとうきびなんて、どこにあるの!」
と外の雪景色を指差した。
そんなことは、子供のわたしには、知らん。
サンタのくせに、手を抜いた!というクレームばかりが頭にあって、相当腹が立っていた。

 隣で、幼稚園児の妹が、豚の顔の時計をもらって、いじっていた。
それをみて、せめて、そっちのほうがマシだったと、思った。

結局、その三種の砂糖は、毎日コーヒーを飲むおばあちゃんにあげた。
おばあちゃんは、ありがとう~といい、
これどうしたんだ?というので、説明すると、顔くしゃくしゃにして笑った。

本当、情けないサンタクロース。
その年は、そう思った。


数年後、中学にあがった、あるとき、テレビを見ていると真っ青のエメラルドの色した海と白い砂浜が映った。
いつも、こういった映像をみるたびに、外国のどこかの映像だなと、思っていた。
何気なく、
「これ、どこの国だろう。綺麗だなあ」
と言うと、
「たぶん、沖縄じゃないか?」
父か誰かがそういった。

沖縄って?
教科書では習ったことあるけど、
「それって、日本?」
と聞くと、
「当たり前だよ、南の方にあるんだよ」
同じ日本に、こんな綺麗な海の色した場所があるなんて!
わたしは、感動して、絶対にいきたい!思った。

わたしの沖縄熱は、そこから受験の年まで続いた。
父は、わたしが、高校受験に合格したら、沖縄に連れて行ってやる!と言い出した。

なんとしても、このご褒美を前にがんばらなきゃと、勉強し、とうとう、第一志望に合格した。

卒業式を前に、この春休み中に、沖縄に行くかもしれない、そう仲のいい友達にも話し、
浮かれた気持ちのまま、雪積もる毎日をわくわくドキドキしながら過ごしていたある日、いっこうに、父から、「沖縄」という単語すら聞けないので
「ねえ、沖縄っていつ行くの?」
そうたずねてみると、父の口から聞けたのは、

「あ~沖縄ね。父ちゃんやっぱり行けないみたいだから、ダイエーの商品券で我慢してくれないか?」

といわれた。
数年前のサンタの記憶がよみがえってきた。
惨敗。
沖縄とダイエーじゃ大きな違いだよ!
人に話すと、「でも、商品券もらえたんだからよかったじゃん」と言われたが、そういう問題ではない。
どれだけ沖縄に行くことを大事に思って楽しみにしていたことか。
その気持ちのやり場を商品券ではごまかされないのだ。
父のできない約束の吹聴癖は、そのあたりから加速しはじめたと思う。

18才になったら、新車を買ってやる!
二十歳になったし、海外でもどこでも連れて行ってやる!
ブランド品、なんでも買ってやる!
家買ってやる!
ETC・・・

わたしの沖縄に行く夢は、それから、17年後に実現する。
沖縄で育った、旦那さんの実家に挨拶にいくためだった。

長い時間をかけて、途切れないように思い続けていることは、自分でも説明できない何か大きな理由の根源からきているように思う。
長い間、同じ人を思い続けてゆくことと似ているかもしれない。

個人的な理由をこえた、大きな理由がそこにあるように思う。
そして、なぜ?の神秘を求めながら、大きな何かに抱かれたくて、人は自分を追い求める旅をやめられないのかもしれない。

説明のつかないことの中で、人へつなげられるものがあるとすれば、体験ではなく、そこから勝ち得た想いではないだろうか。

わたしは、どこにいても人が当たり前にできることができなかったり、難しく思うことも多かった。
沖縄の自然や、文化、風土は、「あたしって、ダメなやつ」と想う自分ひっくるめて抱きしめてくれるように思う。
わたしみたいなタイプの人は南の島に来たから、生きづらさが、なくなるとか、何か魂が劇的に解放されたということはないと思う。

ただ、飾ったりしないで自分らしく生きていこうと思えるようにはなるかもしれない。

沖縄の離島の中でも、宮古島というところは、特別の場所のように思う。
他の島にはない、何か大きなものが存在している。
大きすぎて、中にいるとわからない。
けれど、確かにある。
それを宮古の神様というべきか、自然というべきか、身近で、すぐに願いをかなえてくれたり、メッセージをくれたりしないくらい大きいけれど、いつも、島の人たちを受け入れている大きなものがある島。
そんな島に、なぜ来たか、どう感じたかをつづって生きたい。



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