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『ウリッジ』 第一章 〈二〉ツムギ

〈二〉


『ツムギ』


空族の長老は、言った。


「わしらの一族が生き残るためには、森に生贄をさしださねばならぬ」

そのとき、ウリッジの中でも、長老とともに、村を手伝う年若いマーシャレが言った。


「しかし、どうかそのようなことはしないでください。
生贄とならば、大勢が悲しむことになるでしょう」

長老は、苦しそうな顔をみせた。


「生贄とあらば、誰もがそのもののを想い動揺してしまうだろう。
かといっても、山の神の力は、わしら民族には計り知れないのだ。
恐れおののくことを、わしは選択するわけにはいかぬのだ」


「しかし、誰かが犠牲になるなどと、そのようなことで、残された民が苦しさもなく満足に暮らすことができましょうか」

「民には、ワシから話す」

マーシャレは、尚もくいさがり


「他に、方法はないのでしょうか。
山には、恐れ多い山の神がいるとも聞きます。

その神に、答えを乞うことはできませぬか?」

長老は、押し黙った。

山の威厳を怖れて、山の神にことを伺うというのは、ワシらがしてもいいことなのだろうか。
そもそも、ワシらは何に畏れているのだろうか、と長老は思ったが、口に出すことはできなかった。
山深い、村の外れに、それまでなかった大岩が突然、降って湧いたようにあったために、長老をはじめ、その集落の長、そして長老の小間使いをしているマーシャレが集まっていた。
山が動き、大岩が降ってきたのか、いずこからやってきたのか、いずれにしても、この事態は、やがて村を襲うことにもなると考えられていた。
大昔に、山が一晩で動いたという代々村に伝わる夜伽話を思い出し、みなが重い口を閉ざしていた。
マーシャレは、長老が黙ったことで、聞く答えを待つしかなかった。
自分たちがどうにかできるようなものではないことを分かっていたが、だからといって生贄など彼の中では、あってはならないことだと思った。

長老は、一刻の時ののちに


「オオゼのミゼルに相談してみよう」

と言った。
マーシャルは、聞くとすぐに早馬に飛び乗った。

オオゼの谷にやってきたときには、もう夕刻前だった。
マーシャレが馬を下りる前に、門のところでバアが出迎えた。

息をはずませていた、マーシャレがことを話すまもなく、
とうに80は過ぎたであろうバアは、


「こちらへ」

とすぐに大門の邸に案内した。
マーシャレは、馬をつなぐと、そのまま大門の中へ入っていった。
バアは、腰の曲がった背中をしながら、邸の入り口の上がりを上り、


「こちらでお待ちください」

と中へ入っていった。

マーシャレは、これまでオオゼに来ることも、大門に入ったこともなかった。
大門は、黒い墨で塗られた木の家で、天井は見上げるほどに高かった。
周りは大きな木に囲まれて、村のものたちから少し離れた場所にあった。
特別なものたちが住む、このオオゼの谷。

マーシャルは、このような緊急な場合でなければ、自分のようなものがこれる場所ではないことを
よくわかっていた。

一時の時間が流れると、奥から

「入りなさい」

と言う声がした。マーシャレは、上がり口で草鞋をぬぐと、土間から続く薄暗い奥の間へと入った。
奥に行くと、屏風の部屋があって、そこの戸を入ると、部屋が開けた。
そこの奥にある床の間の前に、着物を着た女性が座っていて、その女性の前には小さな机が置いてあった。

バアは、部屋の入り口に座って腰をまげた背中でうつむいている。

奥にいる女性が、オオゼのミゼルだということを、マーシャルはすぐにわかった。

女性は、年の功は、40になるかそこらだった。
長い黒い髪をして、幾重にも重ねた着物に袖をとおして、机で何ことかを書き記していた。

女性は、長い髪を机に落としながら、書き物に集中しているようだった。
バアも、下を見たまま何も言わない。
マーシャレは、そのまま、入り口に座り黙っていることにした。

しばらくのときが流れると、女性は、顔をあげ、マーシャレをみてこういった。


「お前がやってきた理由はわかっています。しばし待ちなさい」

とそのまままた、机の上の書き物に目を落とした。
マーシャレは、部屋から望む景色をみた。
遠く山々と里が見渡せる高台にあるのがわかる。
里から風が吹いてきていた。
どのくらいの時間がたったことだろう。
少しばかりうとうとしはじめたとき、机に筆の置く音がした。
マーシャルが顔を上げると、女性は、上の着物を脱ぎ立ち上がった。
バアがその着物を後ろで受け取りながら、女性がやることを黙って補佐していた。

そして、新しい白地の着物に着替えると赤い帯を締めてこういった。

「マーシャル、お前が案内しなさい」

マーシャルは、ビックリし、


「長老の場所にですか?」


女性は、言った。


「長老も連れてきなさい。そしてわたしを山の門に連れて行くのです」

マーシャルは、すぐに大門を飛び出すと馬にのって、長老の家に向かった。

日暮れのときに、長老は、馬にまたがりマーシャルとともにオオゼの家に向かった。

大門の前では、大きな松明がたかれ、そこでは、白い着物をきたさきほどの女性がバアと
数人の女性たちとともに、待っていた。

長老は、それをみるなり、馬から飛び降りて、女性の下へと向かい
深深と腰をさげて、礼をした。


「ミゼル、この度はありがとうございます」

そういうと、女性は、うなづきながら馬を用意させた。
長老も、馬に乗ると、


「先頭を行け」

とマーシャルに言った。

マーシャルと、長老、そしてミゼルとその側近のものたちが、松明を燃しながら
山へと走った。

あたりは暗くなり、黒い景色の山々が松明に照らされていた。

マーシャルが、『山の門』といわれる場所に着いたときには、月が頭上を照らしていた。

森か、林か、真っ暗な中を進んでいき、その先で、マーシャルたちは、馬を下りた。

草が追いしげる、木々が開けた場所に出た。

その先には、大きな岩が立ちはだかり、先を見えないようになっていた。

ミゼルと、その山の門と呼ばれている岩の前にたち、女たちは、両側に大きな松明を燃やして準備した。

ミゼルは、白い着物を暗闇の中で浮き上がらせながら、長い髪に白い絹の布を巻いた。


山はしんと静まっている。

ミゼルは、松明より出でたろうそくに火を燃しながら、岩の前に置き、
数珠と数々の白い紙をだして、それを置いた。

マーシャルは辺りいったい風も静まる中、ミゼルの祝詞が流れてくるのを聞いた。
暗闇に住む山々に反響するかのように、祝詞は静かに辺りを流れていった。
優しく、初めてきくミゼルの祝詞。

これがウリッジ族に伝わる王位に値するとまでされるシャーマン最高峰と呼ばれるオオゼの谷のミゼルの祝詞かと思った。
ミゼルの声を初めて聞いた。
絹の糸のようにしなやかで、優しいのに、決して途切れることない力強さだった。
風や自然のものもの、に祈りをささげる祝詞。
彼女の歌声をきき、すべてのあらゆるものが目覚めるようだった。

風が声を届けてきた。
山々が鳴っているのを聞いた。
暗闇で、大地が目を覚ますのを感じた。

マーシャルは、もはや今自分のいる場所が、人の世界ではないところにいるのだと感じ、畏れをなして身体が震えた。
自分のようなものが、ここにいていいのだろうかと、ただ畏れた。
ミゼルは、大岩の前で、尚も変わらず祝詞をあげていた。
バアや側近の女性たちは、彼女のそばに並び、うつむいて祈りをあげている。

大岩の前は、松明の炎で明るさを保ち、そして、限りない大自然のエネルギーが集まっていることをマーシャルは感じた。

傍をみると、長老は腰が抜けたようになってその場にへたり込んで、一身に手を合わせながら、うつむいて何事かを祈っている。
マーシャルは、あまりに異形の光景に、口が利けずに足もすくんでしまっていた。

ミゼルの祝詞は、その場の姿にかかわりなく、変わらず優しく上げられていった。
山々が、異形の姿をみせるとき、大岩が自らの意図を知らせてくれるのだった。

大地が揺れだした。

足がふらつき、立っていることができなかった。マーシャレは、そのままへたり込んだ。

前方をみると、祝詞は終わり、ミゼルが大気の中に浮かび上がっていた。
大岩が、自らの意思を持ち、運ばれし理由を、ミゼルの祝詞へと応えた。

「山が動いた理由は、わたしにもわかりません。そして大岩が、大地を揺るがした理由も、大岩にもわからぬようでした。
けれど、山が動いたことも、大岩も、大地で起こることには、すべてこの星の理由へと繋がっています。
わたしたち一族は、山へと感謝の恩恵をうけてきました。
それが、何か理由をもって、忍び寄る影のように、災いをもたらすということは、この裏に訳があり、そしてまたこの星の道引きを司る対の出来事であるのです。
何か起こることには、すべて理由があります。
そして、それは、決して両面で一つ。
光もあれば、影の力もあるのです。
二つの理由をもって司られるこの星の理なのです」

長老は言った。


「しかし、ミゼル。
わしたちの一族は、山の神を怒らせては生きていけない。
民はみんなそれを畏れているのです」

ミゼルは優しい目をしていった。

「あなたはあなたの役目をするのです。
あなたが民を引っ張らなければいけない、それがあなたの役割なのです。
民が不安に恐れおののくときは、それは大したことではないのだとなだめなさい」

マーシャレには、


「お前は、子供を育てなさい。
子供を作り育てることが、民をこの星を助けることになるのです」


長老は、


「しかし、ミゼル。
わたしたちは、この先どうしたらいいのでしょう。
山が動きを止めないかぎり、ワシたち一族は、この地では生きていけない。
大地が敵となってしまわぬように、ワシらには何ができるのじゃ」


ミゼルは、凜とし、優しい顔で言った。


「わたしを山へやりなさい。
あなたたちの多くが、犠牲と呼ぶものは、大地の祈りの答えであり、
これを、運めと言うのです」

「ええ!ミゼル様を!?
そんなことできません。生贄となるなど。あなたがいなければこの村はどうなるのですか」


「長老、あなたは、いままでどおり、あなたの仕事をやりなさい。
そして、民を導き、答えとなるものを探すのです。
あなた方の考えている生贄というものが、どれほどのものかということを見定めてほしい。
人は、誰かの犠牲の上に、安楽な生き方などしないものです。
わたしが、山へ入るのはそれを絶つため。そして、それは、星に見定められたわたしの運めでもあるのです」


「しかし、ミゼル様がいなくなるということは、この村には誰もいなくなってしまいます。
大地の意思を繋ぐものが」

ミゼルは、暖かいまなざしを向けた。


「長老よ、それは違います。
わたしたちは、大地によっていかされ、この星に守られている一つの命なのです。
大地の意思を繋ぐものは、それがこの星の意思ならまた必ず一族に現れるでしょう。
わたしは、自分の役割をするだけです。
わたしが生まれて、また山で死ぬことは、この星の誕生とともに、刻まれていたことであると思うのです」

長老は、力なくうなだれたまま、言った


「そうはいっても、あなたがいなくなることは、民には大きすぎることです。
わたしは、あなたを山へ行かせてしまうことを、自分を許せないでしょう。
どうか、お考えください」

と力なくいった。

ミゼルは、それが聞こえなかったかのように、


「長老よ。

わたしたちが、生きている理由というのは、この星に残るわが民の生きる理由というのは、
わたしにもわかることができません。
山は、わたしたち民を慈しみ育ててくれました。
そして、いま、その山にわたしたちをも脅かす何かが起こっています。
光と闇があるように、そのバランスなのです。
そのバランスを崩す何かがあるということ、そしてそこに遣わされるものの定めというのも、
すべて一対。
朝に起きて、夕べに眠ることと同じなのです。
わたしたちを脅かすものは、わたしたちを生かすものも、すべて一対。その二つの意思を繋ぐものがわたしに課せられてたこと。
そして、それを繋いでいくために、わたしに与えられていることをするだけなのです」

長老は泣いた。


「民が、悲しみます。
あなたがいなくなることは、この民には大きなことなのです」

肩をふるわせた。


「よくお聞きなさい。

村には、あなたが必要なのです。それと同じように、今、山にはわたしを求めるものがいるのです」


「それは誰ですか?」


首をふり


「それはわかりません。しかし、わたしの祈りの答えを、そこに導く何かがあるのです」


そういうと、少し悲しそうな顔をしてミゼルがいった。

「わたしの願いは、この空族を途絶えさせないで。
わたしたちがどこからやってきたのか、またこの星で眠る我ら先祖たちのために」

そういうと、長老の手をとった。
長老は、うなだれたまま口がきけずに、肩を震わせて泣いていた。

ミゼルは、優しく長老をなだめると、


後ろへ向き直り、バアと女たちへと、何事かを言った。
女たちは、泣きうなだれた。
バアは悲しみの表情をしながらも、ミゼルの着物を直した。


「あなたたちは、里へ降りて、すべて命を育てることをしなさい。
この星は、あなたたち女の命で巡っているのです。
命の尊さを知るものは、命の重さを知っているものなのです。

子をなし、そして慈しみ育てていきなさい。
あなたたちの子の中に、この先の民を幸せにするものが現れるかもしれません」

女たちは、何も言わずに泣いていた。
そして、ミゼルはバアに向き直り

「お前は、わたしの家で暮らしなさい。
そして、次の世代の、ツムギが現れたときに、そのものを育て、また世話をするのです」

バアは、曲がった背中のまま、うつむき、黙ってうなづいた。


ミゼルは、つぶやいた。

「生まれたときは、人であり、死するときは、森の一部となる」


マーシャルは、異形なものをみるかのように、黙って見入っていた。


村の一族のために、生贄となるものの後ろ姿を。


白い着物を脱ぎ、バアがそれを受け取ると、一枚の薄い生地の着物だけとなった。
そして、バアが短剣を挿したベルトを渡すと、それを受けとり腰に巻いた。

ミゼルは、行く道を見据えて

「山と共に生きなさい。あなた方のことを、いつまでも祈っています」


そういうと、暗闇の中、山へと入っていった。

松明の炎が届かなくなると、その姿は森へと消えていった。
誰も口を開かなかった。

残されたものたちは、その場でただ立ち尽くし、不在したものの香りをいつまでも慈しんだ。

マーシャレは、この日の光景を生涯誰にも言わなかった。
このとき、マーシャレは、18の年。
その後、里のウリッジと結婚して、子供を5人もうけたが、彼らにもこのことを話さなかった。


双子の姉弟フレアとルウアたちが生まれる、20年も前のことであった。

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