画像_573

4、雪国から南国へ -島旅日記ー


 沖縄産の旦那と、三歳の息子と、わたしの故郷、東北にある港町で暮らすこと三年。
冬の凍てついた時期になると、沖縄そばが食べたいな、オリオン飲みたいなと沖縄熱が首をもたげる。
 初めて、沖縄へ行ってから、もう四度来訪していたが、やっぱり沖縄は、いつ行っても、気持ちが楽チンになる楽しい場所だった。

旦那が、三年勤めていた会社を独立を期に退社した。
わたしは、バイトをしたりしながら専業主婦だったので、
「一ヶ月くらい沖縄に行ってみようか」
ということになった。
旦那の仕事はWEBデザイナーなので、場所を選ばなかった。
今までは、盆や正月や、決まった長い休みのときに一週間くらいとっていっていたが、
会社がなくなったんだし、期間を決めずに沖縄にいってみようということになったのだ。
「沖縄に住みたい」
いつも口癖か、呪文のように唱えていたわたしに、ためしに滞在してみようと旦那が提案してくれたのだった。

1月30日
雪で視界が真っ白になる東北道を抜けながら、仙台空港に着いた。
これから、沖縄に向かうのだ。
そして、それをいつまで、と期限を決めない旅にしたかった。
わたしたちの感性で、宿や、そのときどきのことを決めようといって、旦那と子供と旅たった。
那覇につくと、義母が迎えに来てくれていた。
旦那の実家のある那覇の中心地のあたりは、すこし涼しげで、沖縄の冬を感じさせた。
実家に到着すると、旧正月にむけた、中身汁つくりに取り掛かった。
体がまだ飛行機気分か、温度差かでふわふわする中で、何かを考える余裕もなかったかもしれない。
そして、新月の前だったからかもしれない。
そのまま、煮込みながら、酒好きな家族と宴会が始まった。
いつも通りの沖縄帰省だった。

1月31日
旧正月で、新月だった。
これから何か新しいことが、起こるような気がしていたが、それが何かはわからないし、考えることもできなかった。
なぜか、大石林山にのぼりたい!という衝動のまま旦那と子供と三人で、北部にむかった。
北部は、わたしたちのお気に入りの場所だった。
沖縄に住むなら、絶対このヤンバルだ、と想っていた。
住みたい家も、どのへんがいいかもいろいろ考えたのに、どうしてもあと一歩がでなかった。
 このへんがいいなあ、と想いつつも、どうしても、ここだ!という合図が自分の体の奥の部分から出なかったのだ。
大石林山へは、わたし一人で上った。
旦那も、子供も、駐車場で急に「行かない」と言ったためだ。
 楽な道を歩きながら、ほとんど客もいない中一人で、いろんなことを考えながら歩いた。
けれど、一番に考えたというよりも、祈りに近かったのは、
「どうしたら、沖縄に暮らせますか?どうか沖縄に暮らせますように」
ということだった。
わたし一人で歩く、巨石の中、何も声など聞こえなかった。
がじゅまるは、楽しそうに茂っていたし、石はかたくなに、口を閉ざしていた。
自分の個人的な欲望や望みばかり言うわたしへ、メッセージなどないかもしれませんが、
どうか、沖縄に住まわせてください。
そう願いながら、歩いた。
行のようだった。
カルサイトの前に立ったとき、よりいっそうお願いした。
念に近かったかもしれない。
すると、なぜか、
「農をするなら、手助けしてやってもいい」
と言われたように感じた。
なんだか、その声に励まされた気がした。
よし、農しよう。
それをするので、どうか住まわせてください。
そうお願いした。

それから、また那覇に戻ったが、二三日那覇に滞在する中で、わたしはここにいたいじゃないと想うようになった。
だんだん那覇にいることが、苦しくなっていった。
大好きな沖縄にいるのに、ちっとも癒されていない。
そして、ずっとマントラを書いていた。
何か苦しくて、そこからぬけだせずに、眠れずにいた明け方、急に、
「もうダメだ、家族になんと言われようと、島に行こう!」
と思い立ち、航空券を予約した。
起きてから旦那に話し、子供もつれて離島にいくことにした。
義母の実家がある島で、旦那が生まれた島だった。
そこはずっと行きたかったのに、いけずに、はじめていく場所だった。
急遽思い立ったために、義母もなんで?という顔をしていた。
けれど、何日いるかわかんないし、すぐ帰るかもしれないと、旦那は言った。
わたしは、3週間くらいはいようと考えていた。

そして、2月4日の朝、空港に向かう前、
荷物を持って出発しようとした瞬間、二年前恩納村で買ったフローライトのブレスレットの石が割れた。
はじまりの合図に思えた。
島での宿は三日しか決めてなかった。
子供もいるので個室で、素泊まり、一人2500円。
けれど、長くいるには、厳しい値段。
その後の宿はどうしよう。
けど、こういうときは、なんとかなるもんだ。という妙な自信があった。
航空券が取れた時点で、きっと受け入れてもらえるのだ。
そう考えながら、飛行機にのった
    

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?