それは心の絡んだ紐を解く時なのかもしれない –自省録–


自分を愛すること、自分をあるがまま受け入れること、自分を肯定する練習を始めた。


幼少期から、様々な形の暴力を受けて来て、様々なトラウマを抱えて来て、苦しんできた。何も出来なくなってしまう日々。もやの中から抜け出せない日々。現実との接点を持てない日々。チャイコフスキーとベートーベンの交響曲が爆音で同時に聴こえてしまう時。自傷行為でしか、存在を保てない時。感覚を殺すことでやっと心の均等を保てる時。突然感情の箍が前触れもなく弾けてしまう時。

今まで、色んな方法で、できると信じて解決の道を歩むように、歩んでるようなふりをしてきた。今のパートナーが助けてくれるものの、結局それは孤独な闘いである。抜け出せない時は、どう足掻いても抜け出せられない。抜け出そうとすればするほど、蟻地獄のように落ちていく。そんな時の瞑想やお経も心あらずで頼りにならない。
自分の心に絡んで埋もれた棘なんてそう簡単に抜き取れない。その傷も受け入れ、受け入れず、愛で、愛でられない日々。

肯定的な言葉や信念でなんとか、この頂いた身体と心を動かす。
表の私は幸せの思い出だけをアルバムに貼っている。
何が現実で何が自分の妄想なのかもわからないまま生きてしまう。
その奥の傷は決して癒えていないのだから。
空が暗い日は特に古傷がジンジンと重く響く。


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