根無し草もいつかは死ぬ  –自省録II–

『根無し草』私にぴったりな言葉。

思春期の頃から、足を地に着けて生きなさいと、良くいわれてきた。でも、いつも綿毛のように生きたいと思っていた。風におもむくままひらひらと。大地に根を張った木より、道端の小石に魅力を感じていた。
皮肉にも風にゆられて辿り着いた地、ドイツでは、堅実な人が好まれ、よく地に足をつけた(bodenständig)人って言葉を耳にする。私とは縁遠い言葉だ。とくに生まれ育った狭い地域内で帰属意識を抱けず、常にエトランジェな気分で育った私は、地に足をつけることは苦痛以外のなににでもなかった。精神的に帰る場所や地元意識ってものがどこにもなかった。幼児期からここから飛び出したいと思っていた。もちろん、生まれ育った地の関西人だという認識はぼんやりと大義的にあるが、地元の人との共感覚は薄かった。子供の頃は、空想の世界と世界地図の中が私の唯一の居場所だった。10代の頃は、常に京阪神エリアを偶然の出会いを求めて徘徊していた。関西弁が不自然だと指摘されることも多かった。宇宙語を話しているの?、って言われることもよくあった。そんな私には、ただ常に何にでもない自分に対する漠然とした不安と恐怖があった。何にでもある自分を作るために、感じるために、結局刹那な外世界に依存してきたのだろう。とくに、この長引くパンデミック下、私の根無草根性は柔軟性は全くない枯れ枝のように諸々だ。綿毛としても着床点が見つからずに彷徨している。強い軸がないことの弱さが、ここではっきり露呈してしまった。

ドイツに来てから、家族との関係性が良い人によく会うようになった。もちろん、
家族との関係性がドライなドイツ在住者もいる。しかし、今までのパートナーや親しい友人等の多くは、びっくりするぐらい家族との距離感が近い。常にお互いを気遣い、コミュニケーションをとり、精神的に支え合う家族ってものが実存する。そんな家族を日本にいるときは、あまり見たことがなかった。そんな家族はフィクションでの存在だと思っていた。物質的な家はもうなくても、帰る家ってものがある人がいることを知った。家族とは深いところでどうしても繋がれない私は、どこにいてもエトランジェなのであろう。もちろん家族と、良い想い出もある。今は仲良くしていただいている。しかし、私のインナーチャイルドが出てきた時、さらりと蹴散らしてしまう。心の奥がキュッと締めつけられる。ふとした瞬間、突然泣いたり、嗚咽がもれたり、ただただ叫んでしまう。精神的な平衡感覚を失ってしまう。

数年前までは、毎日死にたいと思って生きてきた。自殺ができる保険を意識することで、気を治めてきた。もちろん強い衝動にかられることもあるし、生きている喜びや感謝を体いっぱいに感じることもある。ありがたいことに、その明るい経験はドイツに来てから心と体が喜びの悲鳴をあげるほどたくさんある。でも、死に対する衝動は突然やってくる。
このパンデミックが始まって、死について改めて考えることが増えた。死ぬと、この肉体から解放される。それは喜びでもあり、また、この肉体を通して感じれる喜びとの別れを意味する。この世界に実在することは、絶望、そして胸の奥の消えない痛みを感じることをも意味する。でも、その暗い感覚は、肉体が朽ち果てたら、なくなるのであろうか。

ここ十年ぐらいは、最期を過ごす土地は、薄暗く冷涼な湿地帯の小屋がいいと思ってきた。自分の遺体が人知れず薄暗い場所で腐食していけば良いなって思ってきた。でも、そんな死生観が変わるかもしれない。今またゆらぎはじめた死へへの眼差しが変わり行くことが楽しみだ。

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