見出し画像

思考できない程、寒かったあの日のこと

2019年を迎えて半月少し。
去年末、久しぶりにキャンプをしたあの日のことを思い出す。

夜、数えきれないほどの星が降り注いでいた。
その現実に、涙した。
・・・

なんだか毎日忙しくて、せわしなくて、取り返しがつかなく
ずっとずっと思考していて、
年末年始は常に色々な言葉がぐるぐると回っていた。

「次はこうしてああして」
「そのために今日はこれして」
「いやこうした方がいい」
「やらなきゃ」
「休みたい」

いつか誰かに言われた言葉のような
その瞬間に自分から出てきた感情、価値観のような
意味の分からない単語のような
いつか読んだニュースや文章のような
言葉たちがずっと頭を駆け巡っていて、抜け出せない。

思考しない時は、何かにすごくすごくギュッと集中している瞬間。
でもその瞬間の前後は、全然集中力がもたずにボーとしているような感覚。
理由はわからないけれど、
「目」と「耳」を使い過ぎていた のだと今は思う。

・・・

あの日の夜は、背中が思わずぴんとする、ダウンを着ていても身震いする寒さだった。
そしてそれは、何も思考できないほど。

あたりはすっかり寝静まる人も増えてきて、その沈黙のなかに
相方が焚き火をしながら、火の粉がパチンとする音がほんの少し聞こえる気がする。

何よりも綺麗だった星たちが、
「ずっとあなたを見てたよ」と伝えて、流れた気がする、いとおしい時間だった。
わたしは自分の生きる世界を
とてもとても狭い視野で世界を見ていたよ、と空に返した。

・・・

仕事も踊りも、視覚と聴覚を優位に働かせて積み重ねる日々だ。

踊りでは。。
鏡越しに、いかに綺麗で格好良く可憐に見せるかを研究するために
穴があく程、鏡を見る。
そして、先生からの注意も足の音も、耳を開いて聞く。

仕事では。。
接客も、お客様の動きを見て興味ポイントを探ったり
表情や所作を見て対応を変えていく。
そして、要望やイメージに耳を傾ける。

・・・

私たちの生活に、言葉や思考は欠かせないものだけど
使い過ぎると、どうしても機能不全が起きるものだと思う。
痛みとして現れたり、体調を崩したり、怪我をしたり、涙になったり。

思考を手放して、もう少し他の感覚に頼れたなら
もう少し自由に生きられるかもしれない。

・・・

自分の起きる、一つ一つの出来事に
丁寧に向き合うこと。そしてそこに自分が付き合うこと。

たまには息抜きもしたい。今夜は、そう思った。

#2019年 #冬空 #思考 #備忘録 #心と身体のこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?