見出し画像

相手との間にある距離をはかりつづけることが、やさしさ


私は、両親や少数の友人を除いたほとんどの人に敬語で話すようにしている。年下であっても、私が教える立場であっても、基本的には敬語を使うようにしている。


なぜかといえば、当たり前だけれど相手は他人であって、私ではないからだ。どんな言葉が相手を傷つけるのか、不快な気持ちにさせるのか分からない。また、相手がどのくらいの距離間で自分と接するのが良いのかも、分からない。なので私は一定の距離間を保つことができる敬語を、基本的に誰にでも使う。相手に配慮して近づきすぎないことも、大切なコミュニケーションの技法ではないのだろうかと、思っている。


親しくなった後も、相手と自分の間にある距離を、私は常にはかりつづけるようにしている。親しい、仲が良いと感じていても、相手もまったく同じように感じているとは限らない。なぜなら向き合っている相手は、私ではない他人なのだから。なので、一方的に自分の好意を押しつけないよう、押しつけられないよう、こまめに距離を調整するようにしている。慎重かもしれないけれど、無闇に人の心に踏み入るよりはずっといい。


また、互いの間にある距離をその時ごとに協力して調整してくれる人とは親しい関係が長期になりやすく、会って話すと安心感を与えてくれる貴重な存在になる。淡々と生活をつづけていても、いつでも人と会って話せる健康的な状態を維持することは私には難しい。疲れている時、元気がない時、距離をはかって放っといてくれる人のやさしさに、私はたくさん助けられてきた。なので私も同じように、親しい人を労わるために、放っておける人になりたい。


どこにその人の心の琴線があるのか、他人である自分では分からないからこそ、自分と相手の間の距離をはかりつづける。感情が先走り、距離の調節を間違えたこともたくさんある。けれど失敗をしても、その時相手を傷つけた後悔を忘れないようにする。忘れないようにして、失敗を糧に改善できるよう内省し、心を閉ざさないようにする。


近づきすぎず、離れすぎない。相手と自分、両方にとって居心地がよく、丁度いい距離をはかりつづけることがやさしさだと、私は思っている。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?