見出し画像

ネットで簡単に買えるから、物足りなくなってしまった


今月から月に一回、「服を買いに行く日」を設定してみることにした。ここ2〜3年はZOZOTOWNで買うのがほとんどで、実店舗を利用をほぼ0にまで減らしていた。服の買い物は試着など時間がかかるので、億劫になっていたのだ。


しかし、服をすべてネットで買うようになってから、手持ちの服への愛着が、なんとなく薄れているのを感じていた。本来服は永続的に着続けることはできない消耗品だから、当たり前なのかもしれないけれど、愛着の薄い服を毎日着ることに、ここのところ寂しさを感じるようになっていた。


私が服に愛着を持つのは、自分から能動的に探し出したという気持ちを持つことができるかどうかが大きい。古着屋さんや、有名ではないブランドからわざわざ足を使って探し出した労力が、その服への愛着に変わるのだ。


ネットでも、数ある商品の中から自分好みの服を見つけることはできる。しかし、同じサイズの人であれば誰もが同じように買える環境にあるすべての服に、私だけのものという愛着を持つのはなかなか難しい。


もちろんネットで服を買うことを一切辞める、なんてことはなく、ネットで気軽に服を買いつづけたい。ただ、ネットでの買い物だけでは、欲張りなもので、なんとなく心が物足りなくなってしまったのだ。


私は特に服装にこだわりがあったり、ファッション業界で働いていたりするわけではないけれど、生活を彩るために、変えたくなるのは、服だ。こういう女性は多いのではないだろうか。そして、中学校時代の制服を着る生活がとても嫌だったからだと思うが、私にとって自由を象徴するものも服で、好きな服を着られることが、自由を感じられて生活の満足感を高めるのだということに、最近になって気付いた。


買い物のどの部分を消費と捉えて、どの部分を生活の余剰と捉えるかは人によって違う。違った方がいい。ただただ何も考えずにネットで服を買っていたここ2〜3年の私は、時間を節約していたようで、実はお気に入りの服が着られるはずだった日常を無駄づかいしていたのかもしれない。


今は月に一回の買い物の日が楽しみで、どんな服を買おうか、どこに行こうか、ネットで検索しながら計画を立てている。いざ買い物に行っても、もったいないなどと考え出して、思うように買うことができないのが常だけれど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?