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信頼関係・技術がなければ指摘は相手に響かない


仕事でのミスを注意する必要があったり、改善を要望する必要があったりして、相手に「指摘」をしなければいけない時がある。そして相手の行動に対して口を出す「指摘」という行為は、信頼関係、言うタイミング、言葉遣いなど、多くの要素に気を遣う必要があり、高い技術を求められる作業だと私は思っている。


優秀になりたい、仕事ができるようになりたいと思って仕事に取り組んでいる人にとって、指摘は貴重な情報だ。しかし自戒を込めて言うが「指摘が的確とは思えない。」と相手に感じさせてしまったら、その指摘が相手の心に響くことはない。指摘を言う相手を信頼していなかったら、その指摘の言葉も真実か疑われてしまうのだ。


また信頼関係があっても、口調や言うタイミングには慎重になった方がいいと思っている。強い口調や反論を許さない断定口調だった場合、人によっては恐怖を感じて二度と指摘を受けないよう失敗に怯えるようになってしまう。また相手に余裕のない時などは指摘するのを避けている。言葉が想像以上に響き、さらに余裕を失わせて混乱させてしまうこともある。


指摘をする時も受ける時も、慎重になった方がいい。私が人よりも繊細な気質だから気を遣うのもあるけれど、指摘は他人の行動を変える言葉だ。他人の行動を変えるということは、下手をするとその人の未来を悪い方向へと持っていくリスクがある。言葉とは意図せずに「呪い」として機能することもある、鍛錬して使う必要のあるものだと私は思っている。なので指摘という他人の行動を変えることを目的とした言葉は、呪いを伴わないよう多くの配慮と思考が必要な、取り扱うのに危険を要する言葉なのだ。


先日、私はある人に指摘を行い、失敗した。思っていた以上に私が指摘した内容は相手にショックを与え、本意ではない形で伝わってしまった。指摘の内容の重要性を、計り間違えたのだ。相手は私の様子を気にするようになり、指摘をした私の欠点を露呈するための指摘が始まった。私の指摘は相手に正しく響かず、歪んで伝わってしまった。伝え方が乱暴だったこと、前置きがなかったことなどを、私は反省した。もっと良い伝え方はあったはずなのに。


同じ感覚、価値観でいる人などいないのだから、自分の言葉を正しく伝えるには技術が必要だ。相手の状況を想像し、相手がこちらの言葉を受け入れてくれるよう信頼関係を構築する必要がある。ただ自分の思ったことを口に出しても相手には伝わらない。加工したり包装したり調理したりする必要がある。マテリアルだけ渡しても、相手が正しく理解できるはずがない。


よく何を言うかよりも、誰が言うかの方が大切だと言われているけれど、それはその通りで、信頼されている人が言う言葉と、されていない人が言う言葉では、相手も耳を傾ける姿勢が違う。私とその人は信頼関係が築けていなかったし、正直なところ私は信頼関係を築こうともしていなかった。大失敗だ。


後悔はせず反省だけして、次へと進んでいくしかない。





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