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nanaは音楽サービスなのか?

先週末から大切な用事があり海外に来ているのだが、まさかの帰りのフライトがトラブって帰国の予定が1日遅れ、あらゆる人達に謝罪とリスケのお願いを送りつつ絶望感と申し訳なさに囚われながら、まあ起きたもんはしょうがねえこういう時こそ文章を書こう(※遅筆のため時間が必要)と開き直って空港でMac開いてカタカタやってます。ちなみに海外行くと50%ぐらいの確率でなんらかトラブってる気がする。おれか?おれのせいなのか?

ああ人生がつらい

新年早々こんなトラブルに会うとは。もうこっからは上がっていくしかないね。2019年は最高の年になりそうだいやっほぅ。いやする。

新年1発目のnoteということで、一番声を大にして言いたいことを書こう。

nanaが生まれたキッカケ

具体的なストーリーは↑でも書いたが、「音楽で世界をつなぐ」というビジョンの元に、nanaは生まれました。

nanaはスマホひとつで世界中の人たちと歌い合ったり、セッションしたりと、音楽を中心とした音でコラボレーションができるモバイルアプリで、2012年8月にリリース後、現在は700万ユーザー(日本国内のみだと300万ユーザー)を突破。
ちなみにユーザーの多くが女子中高生(18歳以下)で、毎日約5万曲のコンテンツが投稿されています。
機能としては、動画ではなく音に特化。それも90秒のみ
「コラボ」がユニークな機能で、その90秒のサウンド内で「オーバーダブ」機能を通じて誰とでも重ね録りをすることができる。

nanaは音楽サービスなのか?

nanaは音楽SNSと定義しているが、nanaの説明をすると大体は音楽サービス、もう少し具体的にいうとプロ志向をイメージしたり、作品作りの文脈だったり、プロが生まれる場所、という捉え方をされる。
これはもちろん間違っちゃいない。

が、nanaはSNSなんです。

僕らは音楽をコミュニケーションとして捉えている。コラボという機能を軸として、音楽を媒介に人と人がつながる。それは互いの共感や愛着を生み出し、精神的な絆が生まれる。そしてその精神的な絆が、居場所を生み出す。
それこそがnanaの本質的な価値。

プロ志向の人がもちろん居てもいい。素晴らしいこと。誰だって参加できる場所であるべきという考えは変わらない。
ただ、プロ志向の人々は基本的には自分のプロモーションになればどこだっていい。つまりそのサービスのボリュームが増えて、その中で活動することがわかりやすくプロモーションになれば、彼らは自然と使い始めてくれる。
作品作りの文脈も確かにある。が、それは主従が違う。コラボというのは骨子だけ見ればたしかに作品を分業して制作する要素もある。が、nanaはこの作品作りを通じて人と人がつながることが目的。作品を分業で作り出すツール、ではない。
そしてプロが生まれる場所、というのももちろん素晴らしいことだし、そうなれれば嬉しい。ただ、これも結果論。ユーザーボリュームが増えれば、そういう人たちも生まれる。プロが生まれること、それが目的ではない。

ぼくはよくnanaのことを、代々木公園に例える。nanaは代々木公園。
友人らとギター持ちこんで酒飲みながらジャカジャカ弾いて歌って楽しんで、周りを見渡せば同じような集団や個人がいて、そこに加わってまた一緒にジャカジャカ弾いて歌って楽しんで、終わったらハイタッチしたりして、そうやって友人の輪が広がっていく。。
そんな場所。それぐらいカジュアルに音楽を楽しむ場所。それがnana。
なんなら音楽という言葉すら固い。楽器が弾けなかったらテーブル叩いたり、お箸でグラスを叩けばいい。手拍子でもいい。音あそび、という言葉のほうが正しいかもしれない。

それがインターネット、モバイルといったテクノロジーの力で、現実の場所に依存せず、世界中の人たちと音あそびができる。
nanaで創りたいのは、そんな仕組み。

nanaをもっと良い場所にしたいので助けてください

創りたい場所は明確にある。あとはやり切るだけ。。。なんだけど、僕らが目指す場所を実現するためには、まだまだやることが盛りだくさんなのですが、まったく手が追いついてません。。;; 一緒にnanaを創っていってくれる仲間を募集しています。
ほんの少しでも興味があれば、まずはランチ等でもご一緒しつつざっくばらんにお話できれば嬉しいです。

👆(気軽にお話しませう)👆

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