Natsuki Tagawa

大学院生

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最近の記事

超私的名画座ラインナップ2024🎬

1月のラインナップ🎞小津安二郎『東京物語』(1953) 鑑賞理由 2023年に鑑賞したアキ・カウリスマキ『枯れ葉』、2024年1月に鑑賞したベキル・ビュルビュル『葬送のカーネーション』、鑑賞できていないけれど話題になっているヴィム・ヴェンダース『PERFECT DAYS』。この3作品の監督がみな小津安二郎の影響を受けていると聞き、小津安二郎の作品を一つは見てみなくては…!と思いたち。 感想 噂には聞いていた、低いカメラ位置によって撮影された画が印象的だった。画の面でいえ

    • 2023年の映画とわたしージュリア(s)

      もしあの時パスポートを忘れずにベルリンに行くことができていたら、もしあの時少しタイミングがずれてあの人に出会えていなかったら、もしあの時のコイントスの表裏が逆であったなら……。本作は、主人公ジュリアの意志とか選択以前の、“偶然”に他ならないものによって、4つに分岐していったそれぞれのジュリアの半生を並行して描いている。 *** あの大学に行きたいから合格するために努力する、短期留学してみたいから学内のプログラムに応募する、就職するか博士課程に進学するか悩むけれど研究を続け

      • 2023年の映画とわたしーaftersun

        あの時の父と同じ歳になった今、20年前に父と二人きりで過ごしたひと夏を記録したビデオを再生する―― 人生において、何が起こったか、という事象としての事実は一つだけである。あの夏、11歳の自分が31歳の父と一緒にバカンスを過ごしたということ、もう父には会えないということ。 でも、その事実が自分の中でどう意味づけられるかは、経験を重ねたり、新しい人と出会ったりしながら時を経る中で如何様にも変わっていく。 現在ソフィアは31歳、小さな子どもと同性のパートナーを持つ女性であること

        • いつも通りからの逸脱と、八百屋のおじちゃん

          通学も、買い物も、”過剰”のないようにいつも通りを繰り返す。 朝はいつもちょっと遅刻気味であの交差点を走って渡る。あそこの公園を突っ切ると少しだけショートカットになる。 夜ごはんの買い出しには、家から一番近いチェーンのあそこのスーパーを使う。 ある日、それをちょっと逸脱してみたくなった。いつも横目にしか見ていなかった個人経営のさん八百屋さんで買い物してみることにした。いつも通りへのささやかな抵抗。 「見ない顔だね!お前さんこの辺の人?」 店主のおじちゃんに話しかけられる。

        超私的名画座ラインナップ2024🎬

          物語に救われる、という感覚 #「わたしは最悪。」感想

          「わたしは最悪。」という映画を鑑賞した。舞台はノルウェー、主人公は30歳になる女性のユリヤである。 26歳になってようやく気が付いた。人生は淡々とした日常を、自分ができる方法でただ続けていくことでしかないのだなあと思う。 大学入学時、活動範囲が広がり親の支配からも逃れたことでなんでもできるようになる気がしていた。そして「〇〇大学に入学する」に代わる、次なる明確な目標がいずれ与えられるのだと思っていた。しかし、授業を受け続けても、サークル活動に勤しんでいても、いつまで経って

          物語に救われる、という感覚 #「わたしは最悪。」感想

          どんな箱を満たすのか

          先日、東京都新美術館で開催されているメトロポリタン美術館展に行った。 美術館鑑賞は、私の数少ない趣味である。言葉を越えたところで心が動く場に時折身を置くのは心地が良い。 今回メトロポリタン美術館展に行くにあたって、予習をしてみることにした。予習といっても軽いものである。今回「初期ルネサンス」から「ポスト印象派」までの絵画を順を追って鑑賞できるということなので、それぞれはどういう時代に興った芸術なのかということ、どのような画家の絵画が来日しているのかということなどを、メモに簡

          どんな箱を満たすのか

          久しぶりのお出かけ、と考えごと

          数ヶ月ぶりにお出かけした。 行き先は学芸大学駅。 事前に行きたい場所をいくつか調べて臨んだ。 iPhoneのマップのガイド機能にピックアップした場所を登録して、万全で臨んだ…つもりが肝心の降り立つ駅を間違えてしまった。東横線、都立大学駅と学芸大学駅が並んでいて大学駅トラップが仕掛けられていた。 久しぶりのお出かけ、知らない街を歩くのは楽しい。 ちょうどいい、ということにして一駅分歩くことにした。 私のあまり知らない東京だ、はじめての景色、はじめての人たち。これを少しでも

          久しぶりのお出かけ、と考えごと

          "私"はどこにいるのか

          親密な関係には身体を突き合わせることが必要らしい。 でもこの身体が私であることの邪魔をする。 その表情、鼓動、ふと合う視線が私をどこかに押しのける。 身体を離れれば離れるほど、私であることに近づくような感覚。 私は私のままであなたに身を呈したいのになあ。 あなたが思う私らしさ、私が思う私らしさ。 ”私”はどこにあるのか。 *** 友達と話をするといったらLINEのやりとりや、お茶しながらのおしゃべり。そしてコロナ禍でZOOMで友達と話す機会も増えたこの頃。 なかなか人

          "私"はどこにいるのか

          歯磨き粉は虫刺され薬の味がした#自分のための覚書

          最近、20代半ばにして親元を離れた暮らしを始めた。 どうやら自分の半径1m以内にも、まだまだ知らないことが山ほどあったらしい。数日ワイパーを掛けないだけでこんなに床に埃が溜まること、一回シャワーを浴びるだけでこんなに髪が抜けているのだということ、卵はゆで卵にしておけば長持ちするらしいのだということ。 初めて自分で選んだ柔軟剤の香りが好きな香りであったこと、100円ショップで買った収納ボックスがすっぽりきれいに収まったこと、そういう一つひとつがただ楽しい。 なんとなく買った歯

          歯磨き粉は虫刺され薬の味がした#自分のための覚書

          「花束みたいな恋をした」をみた帰り道のこと。

          映画「花束みたいな恋をした」を観た。その帰り道、映画館から近かった、高校時代の通学路になんとなく足を運んだ。当時の恋人と、あの裏道で誰にも見つからないようにこっそり手を繋いで帰ったなあ、とか、大学生や大人になることに疑いのない憧れを寄せていたなあ、とか思い出しながら、麦と絹に想いを馳せていた。私は、劇中の二人に、いつかの私を見ていた。 *** 私は、たまたま一緒に終電に乗り遅れた知らない男性と一晩飲み明かした経験もないし、クロノスタシスも知らなかったし、ジャンケンのルール

          「花束みたいな恋をした」をみた帰り道のこと。

          ショートショート「噂のマッチングアプリ」

          私の恋人は、鈴木誠である。 横浜に住んでいて、年齢は28歳。小学校の教員をしているらしい。きっと子供相手にも優しく人気のある先生なんだろうなと思う。背は180cmらしく、159cm、160cmにあと僅か満たなかった私が見上げて覗き込んで見る彼の顔はきっと格好がいい。 社会人3年目。恋は私にとって、最重要にして最難関課題であった。大学時代には山ほどあった人との出会いも、めっきりなくなってしまった。有限な時間を、自分以外の誰かのために使うことに億劫になってしまった。そもそも無垢

          ショートショート「噂のマッチングアプリ」

          だから私はnoteを書く。

          文章を綴る時、私が私でなくなることによって、より私になれる気がする。 私が社会の眼差しを向けられた私から逃れて、ああ、本当は自分は自分のことをこういう言葉を使って語りたかったんだなあと知ることができるのだ。 人は良くも悪くも、自分とその自分の周りを纏う場と共に生きている。 その場に求められているノリや当意即妙さに乗れなかった自分も嫌いになるし、乗ってしまった自分も嫌になる。 Twitter。分かりやすい言葉が広がる、人に刺さる。 ただ自分の思考から140字分だけを切り取っ

          だから私はnoteを書く。

          「ニューシネマパラダイス」という体験

          私のニューシネマパラダイスとの出会いは3年前の目黒シネマだった。 「来週、目黒シネマでニューシネマパラダイスが上映されるらしいよ」 ある日知人が教えてくれた。 目黒シネマとは、旧作の作品を主に上映する「名画座」という場所らしい。 初めて知ったその「名画座」という響きのかっこよさと、名作と呼ばれる作品であることのみ知っていたニューシネマパラダイスを観ておきたい、という思いで即座に手帳に映画の予定を書き入れたのを覚えている。 [映画 名作]と検索すると「絶対に観るべき○○作品

          「ニューシネマパラダイス」という体験

          青春は美しいという幻想。【浅野いにお「うみべの女の子」】

          「装丁がきれいな本だな」 そう思って手に取った浅野いにおさんの「うみべの女の子」。 長期にわたって連載が続く漫画が苦手な私にとって、二巻完結であるところも惹かれた理由の一つだった。 海の近くの小さな田舎町に暮らす、中学生の小梅と磯部。恋と呼んでいいのかもわからない、ぎこちない、二人の交わりを描いたお話。 人生って、自分をどう象っていきたいか、という問いの連続なんだなあと感じる。例えば、友達に対してこう振舞う自分は居心地がいいなとか、生物の勉強をしている時は楽しいなとか。そう

          青春は美しいという幻想。【浅野いにお「うみべの女の子」】

          「好き」が分からない

          美容院に行った時、自分の髪型も「お任せで」 洋服を買う時も「これは母親に似合わないといわれるのではないか」なんて考えが頭を過って、無難な服に落ち着いて 昨日のテレビ番組が面白かったかどうかも、友達の話の流れに合わせて 頭で見当をつけた自分の立ち位置に合わせて、学校のクラスでの振る舞いもさじ加減して 自意識がばれるのが怖かったからなのかもしれない。 期待外れになって、目の前の相手の表情が変わる瞬間を見るのが怖かったのかもしれない。 そんなことをずっと繰り返していたら、元々あっ

          「好き」が分からない

          私を生きるということ

          嬉しいことがあった時には、全部脳にメモしておいて あの人に次会ったら教えてあげる予行練習 している間に嬉しさ、もくもく膨らんでった 脳に私を張り巡らせるあの人が、私の脳を張り巡るあの人が、 私がここを生きる実感だった 喜怒哀楽は淡々とこなされていく 嬉しいことも私の脳を跳ね返り続けるだけ 誰かと一緒に日々を歩むなんてそんな恐れ多いこと 自分をどう生きるかで一杯いっぱいだ どこにだって歩いていけるけど どこに向かって歩き出せばいいんだろう 今の私はとてつもなく自由で、不自由

          私を生きるということ