ポンコツはなにをやっても全部ダメ

 2017年はいくつかの目標を立てており、どれほど実現できるかはわからないが、とにかく粉骨砕身の気持ちで取り組むつもりであった。
 「つもりであった。」という書き出しの段階で不穏な予感しかしないのだが、そういうことである。

 そのうちのひとつに「身体を鍛える」というものがあり、お恥ずかしながら私の身体は小さい頃から運動不足で非常に貧弱である。特にスポーツの経験がなくとも男子の身体はそこそこの筋肉や骨格が形成されるものだけれど、私とくれば未だに中学生レベルのボディラインであり、身長は167あるのだけれど、どうやら成人男子の平均身長は170を超えている模様。おまけにちょっとした気温の変化で熱を出して寝込むし、慢性鼻炎の持ち主という有様である。高校生になって受けた握力測定で中学女子レベルと診断されたのも忘れられぬ苦い思い出だ。基礎体力がないため、20メートルも走れば心臓が痛い。生まれ育った家庭が食うにも困る貧困家庭だったので、栄養が充分に摂取できなかった影響もあったかもしれない。
 二十歳半ば頃に知人から「30超えたときに筋肉がないと不安だよ」と言われたのを機に肉体改造をいくらか検討していたのだけれど、元々の運動音痴も相まってどうも要領を得ない。唯一好きでやっていたスポーツは水泳くらいなのだけれど、それも一時期かじっていた程度である。

 このまま私の身体はスペランカーのように貧弱なままなのだろうか、と思っていたのだけれど、2017年は少し違う。私生活において大きな変化が起きる予定なので、それに伴って健康な肉体を作っておく必要が出てきた。また、仕事においても部下や後輩を指導する立場になってくるため、いつまでも気温の変化程度で身体を崩しているわけにはいかないのだ。
 よって2017年はたくましい肉体づくりに捧げることにしたのだが、さて一体何をしよう。好きに続けられることがいいかなと思っていた矢先に、知人からボルダリングに誘われた。
 ボルダリングとは壁に埋められた石などの出っ張りを掴んで登っていくスポーツで、どうやら現在ちょっとしたブームになっているようだ。知人と共に赴いた小さなボルダリングジムには、たくましい肉体を持ったおじいさんがスパイダーマンのように壁を登ったり、小さな子供が一生懸命壁に張り付こうとしたりと、老若男女問わずに楽しく石掴みに耽っていた。
 ルール事態は単純だった。いざ登ってみると結構楽しい。そういえば小さい頃から僅かな隙間を張っていくのは好きだった気がする。ゴールに到達すると達成感で気持ちがいい。運動不足に肉体には2時間で限界が訪れたが、ジムを出る頃には近頃味わえていなかった爽快感に満ち満ちていた。
 ツイッターでボルダリングについて検索すると、ボルダリングにハマったことがきっかけで身体を鍛えたという方のマンガ付きツイートが目に飛び込んだ。私は直感でこれしかない、と思った。2017年、私はボルダリングで身体を鍛えるのだ。不健康な肉体とはおさらばするのだ、と。

 新たな誓いを胸に秘めて迎えた年明け早々、職場に新入社員が入ってくることになり、私は現場で指導を任されることになった。この職場に入って初めて、マンツーマンの新人指導である。いつもより気合を入れる必要がある、と思った。そのためにも早め早めに、身体を鍛え始めなければ。

 私は市内のボルダリングジムをみっちり調べ上げ、ついに理想のジムを発見した。職場から近いので仕事帰りにも通えるし、値段も手頃。比較的新しいのでジムが広くて綺麗という利点もありがたい。この日のためにスウエットも買っていた。
 土曜日の午後。私はジムを訪れ入会金と使用料を払うと、初心者用のコースでちまちまと練習を始めた。数十分後、なんだかチャラチャラした若者四人組がジムを訪れ、私と同じように入会金を払って初心者用のコースにやってきた。四人組はウェーイウェーイ言いながらルーティーンで初心者用のコースを独占し始める。私は仕方なく、もうちょっとだけランクが上がった初心者用のコースへと向かった。
 ボルダリングは床に大きく弾力のあるマットを敷くのが義務、というかルールである。基本的には飛び降りて着地をする人が多いのだが怖い人は一歩一歩出っ張りに足をつけてゆっくり降りてもいい。私はとあるルートを選んで登っていたが、途中でどうしても無理になってしまい、順番を待っている人も多く、高さがあまりなかったため、飛び降りることにした。
 これがいけなかった。マットに着地した瞬間、左足を襲う強烈な痛み。足首を思い切り内側に捻っていたのだ。私は普通に歩いていてもよく足首を内側にグリン!としてしまうタイプなのでこういうのは慣れているはずなのだけれど、こればかりは「あ、ちょっとヤバいやつかな」と一瞬で察した。
 足を引きずってベンチに戻り、足首を触ってみて驚いた。足をひねって10秒も経っていないのに、靴下がボンレスハムのように膨れているのだ。
 ジムの人に「すみません、足首を捻ってしまったみたいなのですが、冷却スプレーのようなものはありますか?」と尋ねると、冷却効果のある湿布を無料でいただけた。ありがたい。早速貼るべく靴下を脱ぐと、ゴムゴムのギガントスタンプばり膨れ上がった足がお目見えした。
 足を引きずりながら家を出て、駅に向かいながら「これは病院かもしれない」と思って、家の近所で空いている病院を検索したものの、折り悪くこの日は土曜日の午後。どこもかしこも休診であり、遠くの病院に行こうにもとにかく足が痛い。マツキヨでテーピングと湿布を買って帰宅した。
 氷水で足を冷やし湿布とテーピングを施して、痛みに耐えながら寝ると、翌日曜日には足を引きずりながら病院へと向かった。レントゲンなどを撮り、診察の結果、骨折には見えないものの足の骨が変な方向へ傾いているので可能性がないとは言い切れない、固定して家で安静にしているのがいいと言われた。
 ここで人生初の松葉杖生活へと突入するのだけれど、私はどうしてもすぐに治したかった。なにせ翌日には凄まじく忙しい現場での新人指導が待っているのだ。働くことが嫌いなはずの私が、やだやだ仕事休みたくないと本気で思ってしまった。指導する側の上司が足を捻挫して欠勤だなんて笑い事にもならない。まだ新人の顔すら見ていないのだ。

 初めて手にした松葉杖でヨタヨタ歩き、コンビニへと向かう病院の帰り道。セブンイレブンの店員さんが私の存在に気付き、手動ドアを開けてくれた。食パンを買って帰宅し、足の痛みに耐えながら布団に寝転がると、涙と希死念慮が溢れ出てきた。
 月曜日の朝(昨日)、過呼吸に陥りかけながらも私は職場に電話をして、しばらく有給を使って治療に専念することを告げた。布団の中にくるまると、私は再び泣いた。
 私はボルダリングをしたかっただけだ。楽しく身体を動かしたかっただけだ。私は人並みの健康な肉体を求めただけなのである。それがどうだ。足は捻挫する。会社に迷惑はかける。治療費はとんでいく。私は満足に身体を鍛えることすらできないのか。粉骨砕身の気持ちで取り組むとはいったが、本当に砕けなくてもいいじゃないか。この身体は、一体なんだったらまともに物事を遂行できるというのか。私なんぞよりミドリムシのほうがよっぽど社会の役に立っているではないか。事実私の故郷である石垣島ではミドリムシビジネスが盛んになっているという。私よりミドリムシのほうが石垣に足を踏み入れる資格を持ち合わせている。ミドリムシに足があるかはわからないが。
 おまけに私は週末に、どうしても譲れない大事な約束があった。スーツを着ないといけない感じの、一世一代のかしこまった用事である。その場に足を引きずりながらやってくることの醜態ときたら!
 この日、私はボルダリングを引退する決心を固めた。ヘタレと言われようが、そんなんだからいつまでも貧弱なんだと謗られようが知ったことではない。怖くなったのだ。身体が痛いだけならまだいいが、結果的に多くの人に迷惑をかけてしまったことへの申し訳無さと恐ろしさが大きい。身体を鍛えようと思ったのも、貧弱さによって周囲に迷惑をかけたくなかったからだ。それがこのザマなら、私はもう八方塞がりである。カタツムリにでもなったほうがマシだ。軟体動物には捻挫や骨折の心配はない。
 「挫折」という字は凄い。捻挫の「挫」と骨折の「折」を組み合わせているのだ。今の私にぴったりだ。肉体的にも精神的に人を追い込んでダメにするために作られた悪魔の言葉だとしか思えない。私は次第に人間としての尊厳すらすり減っていくのを感じていた。
 筋肉は心の不安を取り除くとはよく聞いている。筋肉と精神面の健康が密に結びついているのなら、ああ私は確かに脆弱な心を引きずって、それゆえに健康を引き寄せられぬ悪循環に陥るのだろう。健康が羨ましい。
 いつか、女子中学生レベルの握力だと言われた日を思い出した。クラスで一番足が遅いからと、体育祭では各クラスで一番足が早いランクへと犠牲として送られ、圧倒的大差でビリになったことを思い出した。私は未来永劫、肉体を通じて尊厳を勝ち取ることはないような気がしてきた。
 その日の夜、私はAmazonプライムビデオでたまたま「百円の恋」という映画を観た。何をしてもダメな32歳ニートの自堕落負け犬女が、ボクシングを通じて成長していく話である。ラスト、プロとして初の試合に望むもののボコボコに負けてしまった主人公は「一度でもいいから勝ってみたかった」と大泣きして、自分を捨てた昔の男に手を引かれていくシーンで終わるこの映画に、私は安易な共感を覚えていた。
 見えるものと見えないもの、結果が現れるものとしてどちらが一体より残酷なのかはわからない。身体は目に見えて結果が出るが、心に訪れる結果は誰にもわからない。無傷で勝ったチャンピオンの心の中が空虚なこともある。それでもただひとつわかるのは、身体の結果が悲惨だった場合、心の結果も大概悲惨なことである。
 わかっている。精神の怠惰が怠惰な肉体を生んだ。こんな身体になったのは私自身のせいなので、何を恨んでも仕方なく、何をやってもダメなポンコツな身体であることも、全てが因果応報なのだ。涙を流す理由だって本来はないはずである。もっと日頃から、ラジオ体操とかやっていればよかったのだ。

 こうして私は2017年最初の挫折をしたという報告を、今現在、足に氷袋を当てながら書いている。ああ、健康な肉体が欲しい。9階から飛び降りても生き残ってレゲエや役者ができるような人間になりたい。健康は金で買えるらしいけれど、人並みの肉体はお金より先に、不健康故に育んだトラウマを乗り越える、健全な精神を会得するほうが先なのだ。心は金で買えるか。私はどこから手札を切ればいいのか。この足が治る頃には答えを出したい。


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星井七億

コメント1件

はじめまして。とても他人事とは思えない内容で、思わずコメントしております。
私も幼い頃から虚弱児で、未だにひょろ長いばかりです。重いものも普通に持てるのですが、持つと必要以上に心配されます。そして季節の変わり目に大なり小なり体調を崩します…。
ちなみに体力テストは、上体起こしが毎回13回しかできませんでした…。
健康な肉体、憧れですよね!

「健康になりたい」とぼやいていたら、「いきなり筋トレとか運動とかするんじゃなくて、まずはストレッチをしたほうがいいよ。それだけでも筋肉がつくよ」と筋トレマニアの知人が教えてくれました。
(ストレッチもやり方を間違うと体を痛めるそうなのですが)
トライしてみようと思っています。まだ思っているだけです。
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