テキストを画像で投稿するということ

 これら三つのpostは半月ほどの間でツイートされたものだけれど、見ての通りやたらと拡散されている。いずれも、これよりも先にブログなりカクヨムなりに投稿されていたものであり、2013年に投稿したブログのページだけでもすでに42000回ほどツイートされていた死語メロスはともかく、他のふたつは他メディア投稿時、SNSで全然拡散されなかったネタである。それをちょっといじって画像でわかりやすくした結果、こんな具合なのだ。「こんなにチョロくてよろしいのかしら」と、通知欄を見て思う。
 以前、某ライターの方が某作家の文体をパロったカップ焼きそばの作り方テキストを画像でツイートしたところ非常に多く拡散され、だったら私もと思って試しにやってみたら、これである。拡散されることでフォロワーを増やし、現行web上で書き続けているテキストの読者流入を増やしたいという思惑もあった。文字数制限のあるツイッターでも一度で長めのテキストを届けることが出来て、かつURLよりもコンタクトしやすいとなると、今後こういった形式が流行るかもしれない……らしい。
 完全に把握することをとっくの昔に放棄するほど多数の反応をもらったものの、いまひとつしっくりこない。画像だから当たり前なのかもしれないけれど、「見られている」という感覚があっても、「読まれている」という感覚が薄いのだ。
 理由のひとつとして、実はこれらの画像テキスト、全てスマホでスクショしたものなのだけれど、「スマホでスクショする際、文章のキリのいいところが一枚の画像に収まるよう、文字数や行数を削ったり、前後の文章を排除したりしている」ので、拡散されやすいテキスト画像としての完成度は高まったものの、本来のテキストにあった文脈や雰囲気が消滅している」ので、望まぬ情報量調整を施した挙句に私の本来表現したかったものからある程度切り離された、私のためのテキストではなく拡散される画像のためのテキストなので、いくら拡散されようが「これは私のテキストではない」という感覚が残ってしまう。とはいえ誤字などが修正されていない辺りが私らしいといえば私らしい。
 ならば画像として投稿するために特化したテキストを書けばいいのだけれど、それもなんだか違うのだ。私はテキストを書きたいのであって画像を作りたいわけではない。表現が違うだけで読み手からすれば全部一緒だと言われてもいまひとつ納得出来ない。自分のテキストが、わかりやすい画像という挑む価値を見出せない制約や、URLよりもコンタクトしやすいといった読み手側の理由で左右されるのはいまひとつ面白くない。変に意識が高いわけではなく、私の雑な気持ちの問題なので理解や共感は必要ない。
 が、メディア関係者など拡散されることに意味を見出す者にとって大きな助けになるのかもしれない。とはいえ私にとってはおそらく最後まで、画像テキストという手法はそのテキストを読ませるためではなく、もっと別の動機を含んでいるものになるだろう。なんだかんだでフォロワーも増えて、当初の目的はある程度達成されたし……。

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星井七億

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