「君の名は。」を百合厨視点で読み解く

 新海誠監督の「君の名は。」が現時点で興行収入150億超えのメガヒットとなっている。私は2回観た。最初はひとりで、2回目はまだ観てないという知人の付き添いで。

 作品の基本情報は今さら語らないとして、本作は予告編を、いやポスターだけ見てもわかるように互いに惹かれあう男女の関係がシナリオの下敷きにある。主人公の瀧と三葉の関係のみならず、瀧と奥寺先輩、奥寺先輩に憧れる男達、テッシーとさやちゃん、三葉の両親など男女恋愛のオンパレードだ。そうなると私のような百合厨や腐男子が介入する隙間がないのかというとそうでもなく、3秒にも満たない場面ではあるが三葉が後輩(?)の女の子からラブレターをもらうシーンがあれば、瀧の友人の司が瀧(in三葉)に対して頬を染めながら「かわいかった」と言うシーンもある。いずれも本作屈指の名シーンである。

 本作公開直後のSNSを覗いていると、私の観測範囲が非常に偏っているためか、「新海誠に百合を撮ってほしい」という声が続々と相次いでいた。本作に出てくる女性キャラが魅力的であることや、新海誠の生み出す演出やシナリオに心奪われた百合厨達が贅沢を言い始めたのだ。当然私もそのひとりなのだけれど、元々オタクとはひとりぼっちで霞のような都合の良い妄想を食らう仙人のごとき生物だ。ないなら作る。考える。

 X染色体がふたつあれば妄想が完了する我々百合厨の視点で「君の名は。」を読み解く。もしくは我々にとって非常に都合の良い設定を練り上げる。Ifの世界を考える。そうすると本作が非常に百合厨の琴線に触れるコンテンツであることがよくわかる。ここまで言っておいてなんだけれど、ネタバレありなので未鑑賞の方は気を付けてほしい。

・なぜあの日、三葉は涙を流したか

 主人公の男子高校生・瀧には片思いをしている相手がいる。バイト先の先輩、奥寺ミキである。高嶺の花であるミキにアプローチを仕掛けられない瀧ではあるが、二人の距離を急激に縮めるイベントが起こる。それが瀧と三葉の入れ替わりである。瀧の身体に入った三葉は、レストランに訪れたヤクザ客によって切られたミキのスカートを刺繍して直してあげた。それをきっかけに瀧とミキの精神的距離はぐっと近づくのであるが、当然ながらそれは本当の「瀧」の仕業ではない。三葉を中に宿した「瀧」はそれからも少しずつミキとの距離を埋めていく。三葉にとってそれは瀧の片思いを後押しするための行為であり、単純に念願であった都会の生活を楽しむ女子として当然の振る舞いでもあった、三葉のおかげでついにミキと「瀧」は初デートへとこぎつけるものの、肝心の初デートの日、瀧の中にいたのは三葉ではなく「瀧」だった。ミキの中に違和感を残し続けたデートは消化不良に終わり、瀧はミキから他の相手に好意を持っていることを指摘され、一方の三葉は鏡の前で、瀧のデートを応援しながらも自分の頬に流れる涙に気付く。ここで三葉と瀧は互いに惹かれ合っていたことに気付き、その後、旅館にてミキも「最近の瀧(三葉を宿した瀧)」に惹かれていたことを司に打ち明ける。

 観客からの批判意見が比較的少ない「君の名は。」ではあるが、当然欠点が全く無いわけでもなく、私を始めいくらかの人達が指摘している本作の欠点に「瀧と三葉が惹かれあうだけのきっかけ・描写がない」という部分がある。基本的に瀧と三葉がお互いの入れ替わりを認識してからは、てんやわんやの入れ替わり生活が「前前前世」と共に流れていくだけで、「入れ替わりの最中でこういう事件・イベントがあったから瀧は(三葉は)相手に惹かれるようになった」という描写は極めて少ない、というかほとんど無いに等しい。私達には見せてもらえてないだけできっと色々とあったのだろうけれど、私達が観測できる範囲ではうるさがたが納得するような場面は無いように見える。「恋をするのに理由やきっかけなんていらねえよ」などと言われたら、非モテの私としては何も言い返せない。

 暴力的な見解を述べると、「二人の恋心錯覚説」というのもある(というか私が意見の一つとして持っているものだ)。年頃の人間が互いの肉体と、入れ替わりという誰にも信じてもらえなさそうな常識離れした出来事を共有しているのだから、吊り橋効果とはまた違うかもしれないが、程よい緊張感を恋愛感情と錯覚しているのではないかという説だ。お互いの居場所が離れていたり、ティアマト彗星衝突の件など、障害の多さが二人の感情をますます煽り立てる。しかも二人のルックスはさほど悪いというわけでもない。

 実際、二人が惹かれ合っていたわけではないとしたならば、なぜ三葉はミキとのデートの日、鏡の前で涙を流したか。それは本当に「瀧をミキに取られるかもしれない」という思いが胸の内に去来して流れたものなのか。それは全くの逆で、実は「ミキを瀧に取られるかもしれない」という思いからくるものではなかったか。

 瀧のためにデートにこぎつけたのではなく、自分がミキとデートをしたかっただけなのではないか、ということだ。

 「瀧」として都会の生活を送る三葉が、都会で接点を持つことができる人物は観測できる範囲でも瀧の友人(および学校の人間)、ミキを始めとしたバイト先の人間、瀧の父親、あとは放課後に立ち寄るカフェの店員くらいだろうか。その中で最も関係性が深く、濃厚なのはやはり、デートまでこぎつけたミキだろう。瀧の周辺には極めて女性の数が少なく、女子である三葉にとってミキは憧れながらも危険が多い都会の中で不安なく付き合いやすい存在だ。

 劇中、瀧と三葉の入れ替わり生活の中で、互いに鏡に向かって「俺は(私は)彼女が(彼氏が)できないんじゃなくて、作らないの!」と叫ぶシーンがある。ミキに横恋慕している瀧は完全に意地っ張りでしかないのでそれはともかく、三葉にとっての「作らない」は本気の可能性もある。単に興味を持てる男性が糸守にいない可能性もあるが、恋愛ないし男性に興味を持てないということもあるかもしれない。それは三葉が無自覚の同性愛者(両性愛者)なのではないか、という可能性だ。三葉の生まれ育った田舎町の糸守は閉鎖的で出会いも少なく、昔からの顔なじみで構成された社会。巫女として代々伝わる家を守り家系を偏重する家庭に育った関係もあって「外」への欲求が人一倍強く、「家系を紡いでいかなければならない」という圧を受け続けていた三葉にとって、すでに馴染みきった存在だけが闊歩する空間では、自分がどういった対象に対し特別な感情を抱くのか、というのも気付きにくいかもしれない。自分のセクシャリティに遅れて気づく人間など何も珍しくはない。当然、女性が女性に恋をすることに、必ずしも同性愛者であったり両性愛者であったりとセクシャリティを必ずしも分類する必要などなく、その逆も然りなのだが。

 憧れの都会生活で興奮と不安が内在する三葉の前に現れたミキという大人の女性。入れ替わり生活における諸々の混乱において、最も頼れる心の拠り所である。ミキの振る舞いはたくましく、美しく、時にノリノリで、どこか儚げな一面も見せる。三葉が己のセクシャリティを自覚せずとも、コロッといってしまうのは仕方ないだろう。距離を縮めるのにも、「瀧の片思いを後押しするため」という都合のいい動機が存在する。自分がミキに対し恋心を抱いていたとしても、激しい入れ替わり生活の中、特に入れ替わりのあとは記憶がおぼろげになるという設定を考えると、残るのは「自分が入れ替わっている相手には好きな人間がいて、自分は二人の距離を縮めている」という事実だけなので、自身の恋心を自覚するのは極めて難しい。

 だとするとなぜ、鏡の前で涙を流して以降、つまりは二人の入れ替わりが発生しなくなって以降、三葉が瀧に惹かれていることを前提として物語が進むのかというと、それは先述のように「錯覚」なのだ。ミキに対して三葉は恋心を抱いている、けれど恋心はおろか、自分のセクシャリティにすら自覚がない。わかるのは自分が男の子と夢の中で入れ替わるという特別な出来事を共有していて、その男の子が今日、女性とデートすること。その場面を思うと自分は涙を流すほど悲しいのだということ……ここで三葉の中に「自分は瀧のことが(恋愛対象として)好きなのだ」という錯覚が起こり、その後の彗星衝突に絡んだ瀧の頑張りや二人で協力してひとつの大きな災厄に立ち向かうというイベントをはさむことにより、ここに三葉の「私は異性愛者で瀧のことが恋愛対象として好き」という、本来のセクシャリティに反した自覚が確固なものになる。その後は互いの顔も名前も思い出せないほど記憶がおぼろげになるものの、全部ハッキリとしているよりはよほど、自分の性自認を一層不鮮明なものにさせる。ミキの存在は三葉の記憶より遠い彼方へと消えていった。「君の名は。」はハッピーエンドのラブストーリーどころか、三葉にとっての自覚なき悲恋だったかもしれないのだ。

・奥寺先輩はなぜ、少女の心を持つ瀧に惹かれたか

 瀧のバイト先ではマドンナ的な存在である奥寺ミキだが、劇中に記された範囲でその恋愛観を覗くことは少々難しい。デートの選択肢として四ツ谷駅付近のなにか大きなタワーで写真展を鑑賞する嗜好がある、というのはわかる。

 恋愛対象の好みや過去の恋愛遍歴はつかめないものの、ここまで書いたらもう私が何を言いたいのかみんなわかっているとは思うが、ミキは同性愛者ないし両性愛者である可能性はないかということだ。

 ただ、同性愛者だとすると、なぜミキが瀧に惹かれたかという矛盾が生じるだろう。ミキとの距離を縮め、ミキが魅力を感じていたのは、あくまで身体の中に三葉を宿していた状態の「瀧」ではあり、その後のミキからの言及を鑑みてもミキが惹かれていたのは瀧の内面、つまりは三葉の存在に対してであり、これはミキが知らないだけでミキは三葉に恋をしていたといっても過言ではなさそうなのだが、もし三葉が瀧の身体を宿さず心身ともに三葉のままで、同じ環境でミキの前にいたとしたら、ミキははたして三葉に恋をしていたかというのを考慮しないといけない。三葉の心のみならず瀧の身体(極端に言ってしまえば瀧の「性別」)という二つの属性が合わさった結果に惚れたとなると、ミキの同性愛者説は難しい。男性の肉体にあったとしても、女性の精神に惚れたら同性愛者なのか。

 もっとも、この2016年において精神性などをいちいち性別で篩い分けて話をするのも時代遅れだ。破れたスカートにかわいい刺繍をする、パンケーキを写真で撮る、というのが「女性的である」とするのもおかしいし、写真展デートなどは性別など一切関係ない。ミキが惹かれたのは三葉の精神性、人格であり、三葉の女性性ではないとわかる。そうなると三葉の人格に惚れていたとしてもミキは確固とした異性愛者なのか。しかし、三葉が憑依しなくなったあとの瀧から魅力を感じなくなったという面から見れば、酷な話ではあるが一度は惚れた相手だったとしても、瀧の「精神性」はミキを惹きつけられなかったのだ。瀧の「肉体」や「性別」はそれを凌駕できなかった。ゆえにミキは完全に「三葉」に恋をしていた。きっと身体が三葉であっても同じだっただろう。ミキのセクシャリティがなんであったとしてもミキは同性とも恋に落ちる事ができるのは私的な願望として大前提でありたい。誰がなんと言おうとこれは百合なのだ。

 今回はあくまで百合厨の視点なので、基本的にはミキが同性にも恋愛感情を抱く人間であるという前提で話を進めているものの、ここでミキが「完全に同性愛者としての自覚がある人間だったなら」という想定をしてみる。すると、いくら三葉の人格に惚れていたとはいえ“男性の肉体”に宿っている以上、恋心を持つことは無いだろうという話になるのだが、恋愛や性愛の感情ではなくとも限りなくそれに近い尊敬や愛情を抱くことも当然できる。また人間の心はグラデーションだ。同性愛者であろうが異性に恋をする可能性も、極めて稀ながらあるのかもしれないし、もしかしたら三葉を宿した瀧に惚れることで、自分が両性愛者である自覚を遅ればせながら手に入れるのかもしれない。ミキは過去に女性達との色々と波の激しい恋愛をし続けて疲れ切っていたところに、まるで穏やかな山に佇む宿り木のような「三葉」に出会って、ようやく心からの安らぎを得たのだというのは私の勝手な脳内設定だ。

 本作の終盤、似合わないスーツを着て就職活動に勤しむ瀧に対し、君も早く自分の幸せを見付けなよ、とミキは左手の薬指に輝くリングを見せる。このことからミキが結婚していることがわかるのだが、はたしてその相手が異性であるなどと誰が決められるだろうか。

 糸守にティアマト彗星が衝突したのは2013年。瀧と三葉の入れ替わりが起きたのは(瀧の時系列で)3年後の2016年。社会人になった瀧と三葉が再会を果たすのはその5年後なので2021年。東京五輪の翌年である。2016年現在の日本は同性婚に対する法的な整備こそ行われていないものの、企業から自治体に至るまで同性間のパートナーシップを支援する制度が次々と生まれ、今から五年後の2021年には、東京五輪開催に伴う国際化の流れに乗って同性婚の法制化も整っているかもしれない。仮にそれらがなかったか、あったとしても結婚という手段を意図的に取らなかったとしても、結婚に相当するような関係性の相手がいることの一種の証明として指輪を付けている可能性もあるし、仮面結婚をしているのかもしれないし、実は指輪は悪い虫を追い払うための小道具で結婚はおろか恋人もおらず、ミキの言う幸せが「宗教にハマる」とかである可能性だって捨てきれない。実は指輪職人だったということだってある。

 色々と考えを巡らせてみたが、奥寺先輩にはどうか幸せになってほしいし、ごく個人的感情で言えばその相手は女性であってほしい。

・三葉に告白した女の子の未来

 女子校では女の子が女の子にラブレターを渡すことは珍しいことではないということをコミック百合姫という政府指定教科書で教わった私なのだが、「君の名は。」における百合厨垂涎の「あのシーン」は、我々に喜びを与えてくれた一方で、後々になって実は恐ろしいことなのではないかと思うようになった。

 先にも記したが劇中、三葉と同じ学校の女子が三葉にラブレターを渡すシーンが、本当に一瞬だけだが存在する。バックで「前前前世」が流れているので台詞すらない場面なのだが、これは瀧の精神を宿した三葉がバスケットで活躍したりとあまりにもイケ女子なので、そんな三葉に惹かれた女子がラブレターを渡すのだ。その現場で存在を確認できる人物は、三葉、テッシー、さやちゃん、ラブレター女子、ラブレター女子の友人達(2人だったか3人だったか)。現場は小さな鉄橋の上である。

 わずか一瞬で我々百合厨の心を鷲づかみ、恵比寿顔にしてくれたこのシーンなのだけれど、あれから少しばかり考えてみた。先述のように糸守町は見る限り、あってもなくてもいいような選挙が延々続くような閉鎖的な土地柄であり、過疎化に追われ、それでも子供を産み育て家を守ることを重要視する価値観が根づき、彗星が堕ちずともゆくゆくは滅びゆきそうな典型的な村社会である。こういう町では二階から落っこちて足の骨を折っただけでも湖を挟んだ向こう側まで話が轟くものだ。一度でも「こいつは自分達と異なる」と認識したら悪辣な言動で排除を徹底するだろう。そんな土地において、人目につくオープンな現場で、それも他の人間たちも見ている前で、同性に告白をすることの難易度の高さときたら。

 三葉達がわざわざそれを周囲へ言いふらすことはないだろうし、ラブレター女子の友達もそんな人間ではないからこそラブレター女子の後ろで彼女を応援しているのだろうが、若さは怖いもの知らずとはいえ、万が一心無い誰かがその現場を見るなりして、「あの家の娘はレズだ!」などとアウティングしようものなら、もう目も当てられない状況がこのラブレター女子に降りかかることも想像に難くない。実際、三葉やテッシーに心無い嫌味を言うようなキャラも劇中に登場していた。

 希望があるとしたら、あのラブレター女子や三葉達がブレイクスルーになることだ。偏見、排除、知るかボケ!のエネルギーで糸守の閉鎖感を叩き壊すべく動き回ったなら、きっと糸守にも変化が訪れるかもしれない。

 もっとも、あの女子が渡した手紙が本気のラブレターなのか、それとも単なるファンレターにしか過ぎないのか、というのはハッキリとわからない。それを瀧が読んだのか、三葉が読んだのか、それに対し誰がどのようなリアクションを取ったのかも仔細は知る由もない。私達はただあの女の子に何か悲しい非難の言動が降り掛かっていないことを祈るのみだ。とはいっても、それからさほど間を置かずして糸守は消えてなくなるのだが……。

 このラブレター女子が以後どうなったのか、スピンオフ小説にも書かれていなかった。奥寺先輩の件も含めて新海誠監督にはどうかいい感じで形にしてほしいし、なんならラブレター女子と奥寺先輩が付き合ったっていいのだ。それで全部丸く収まるじゃないか。

 もう一つの可能性として「瀧の女体化」も検討したものの、それはもう二次創作でしかないのでどうか冬コミあたりで誰かが勝手にやってほしい。

 ハッキリとしていることはただひとつ、新海誠監督。急いで百合を撮ってください。

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星井七億

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