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7.相手のためにと思ったら、結局自分自身を救っていた話。個展に寄せて

ヘッダー画像は年齢差だいたい40歳くらいの3人組です。

「女装は自由」と示すことは、
過去の自分を救済することに他ならなかった。

振り返ってみて、そう思います。

女として生まれて、女として生活している私がどうして女装によって救われたのか?紐解けば、子供時代の私は、コンプレックスだらけでした。

流行りの顔でなく、太ましく、自信がなく、オタクで、せっかちで、卑屈。
そのくせ周囲が決めた価値観に合わせて生きるのがたまらなく苦痛で、
我がとびきり強いものだから、20歳前後の数年間は深く病んでいたものです。

そこから数々の出会いに恵まれて、自分という人間を再構築する中で写真に救われ、人と関わっていく中で、社会に関わるツールとして写真撮影を選びとりました。

その当時、10年前の女装は、不自由そのものでした。

女装趣味は変態で、後ろ指を指されるもので、若々しく美しくなければ存在価値がない、とさえとれました。

その雰囲気に激しく反発心を抱いた私は、「女装はその人なりの楽しみでよいのではないか、性的嗜好も、容姿も、年齢も、ファッションも、人に迷惑をかけなければ謗られるいわれはない」ということを、様々な人々の写真を撮ることで伝えてきました。
(ご興味を持たれた方は2014年個展「女装の軌跡と幸福論」カタログを銀座ヴァニラ画廊でお求めください)

女装という軸で様々な人々を撮ろうと思ったのは、社会の中や自分自身の中で、それぞれに葛藤している人々の全てを受け止め、肯定し、ありのままの姿に寄り添いたかったから。

<自分は他人であり、他人は自分である>

と、どこかで感じているせいでしょう。
それは自分が苦しかった頃、きみはそのままでいいよ、と一言言ってくれる人が傍にいてくれたらよかったな、という気持ちからきています。

モデルさんとの出会い全ては縁が織りなすもので、彼・彼女らがその生き様で私に問いかけ、教えてくれたことの全てが、かけがえのない学びに満ちています。

自分が撮影活動を通して、生き生きと人生を謳歌する人々の姿を世に示しつづけてきたことは、「私はここにいていいんだ」と確認するための、自分なりの戦いだったように思います。

私の活動はちょうどジェンダーフリー*が台頭し始めた世の中の潮流と合流し(あるいは飲み込まれ)ある意味、勝利を収めました。いつの日だったか、「女装という言葉がなくなればいい」という話を誰かとした記憶があります。

女装という言葉が全ての軛から放たれ、その意味が過去のものとして融解する。

そんな未来は案外、すぐそこなのかもしれません。

一人でも多くの人が、ありのままの自分自身を愛せますように。
そして、人に愛を与えていける人が増えますように。

祈りを込めて。

立花奈央子

*…男らしさや女らしさといった性別による固定概念に囚われず、それぞれの個性や生き方で自己決定できるようにしよう、という考え方

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