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雑記:ADD(注意欠陥障害)を疑って調べたら、高IQ(ギフテッド)だった話

ギフテッド。

映画好きか、臨床心理学に触れた人でない限り、この単語を聞いたことはないのではないか。私もつい最近知ったのだけれども、今回はギフテッドにまつわることを少し書き記したい。

Wikipedia先生によると、
「ギフテッドとは、同世代の子供と比較して、並外れた成果を出せる程、突出した才能を持つ子供のことである。-Wikipedia 「ギフテッド」
と、ある。より具体的な例はアスペルGUY「高IQなギフテッドとアスペルガー症候群の特徴と違い」が明るい。

もともと飛び級制度を持つアメリカの教育現場では比較的広く知られており、その扱いについては意見が分かれるところであるが、特別カリキュラムや特別クラス等が設けられている。
これについては、2017年のアメリカ映画「ギフテッド」が忠実に描写したと言われている。

自分がこの映画に出てくるようないわゆる天才ではないことは自分が一番よく知っているが、ギフテッドの特徴を調べるにつれ(参考:ギフテッドが抱える問題)、昔の自分のことを書かれているように感じた。

また、知能検査の結果でもある程度の裏付けがとれたため(後述)、どうやら自分はギフテッドらしい、ということにする。ギフテッドは精神疾患ではないため、医師の診断はいずれにしてもつかない。

1.生きづらかった子供時代
2.きっかけは弟の検査結果
3.ド健常、ただし異常
4.もしギフテッドと知れていたら
5.人生万事塞翁が馬

1.生きづらかった子供時代

子供時代、私は自分で振り返ってみても変わっていた。
物心ついたころから常に読書とお絵かきに耽ってばかり。
熱中/集中しやすい一方で、落ち着きがない。
学校の授業は退屈で、すぐに落書きを始めて怒られる。
授業態度は悪いくせに、成績だけは優秀。
(周りがちゃんと勉強しだす中学生までだったが)
自分が納得したことでないと、とにかく動かない。

周囲になじめなかった私は当然周囲と軋轢を起こし、分かりやすい形でいじめられもした。当時の同級生を擁護するわけではないが、客観的に観て自分は子供社会の中で相当浮いていたので、いじめたくなるのも当然かと思う。
話が合い、心を開いて話せる友達を同年代で見つけることは難しく、孤独感を募らせていた。

そうして自身の居場所を見つけられず、自己肯定感を育めないまま年齢を重ねた私は、結果的に成人を前後して精神を深く病むことになる。今はそれを乗り越えているが、また別の話。


2.きっかけは弟の検査

さて30も半ばになった頃の私。
それまでに相談してきた病院では、成育歴や病歴、カウンセリングシートから、発達障害の一種、ADD(注意欠陥障害)だろうと診断が下りていたが、自分の特性を自分なりに理解して環境や友人関係を整え、人生を楽しんでいた。

そんな折、弟が知能検査を受けたらしく、実家の父から電話がかかってきた。「あいつはキチガイだった」との趣旨に何のことかと聞くと、知能検査の結果、いわゆる発達障害の診断が下りたとのこと。
私は弟の発達障害は以前からよく知っていたし、父自身もどこか気づいていたようだったが、医者の診断が下った、という現実を受け止め切れていないようだった。

後で検査結果用紙を見せてもらうと、弟の知能指数は低くなく、むしろ一般よりは高い方に入っていた。それでキチガイ呼ばわりはいくら何でも気の毒だ。何より、今時発達障害は割合どこにでもいて、それぞれが折り合いをつけて生きている。私だってそうだ(と当時は思っていた)。

幸い私は父と仲がよく、私が言うことなら父もある程度耳を傾ける。
ここはひとつ、私も検査結果用紙を突きつけて、弟は駄目なんかじゃないと言ってやろうじゃないか。

そう思った私は、臨床心理士のもとで知能検査を受けることにした。


3.ド健常、ただし異常

最終的に、ご縁あって最新の知能検査WAIS-Ⅳを受けた。
WAIS-Ⅳ解説サイト
一つ前のバージョンWAIS-Ⅲは1990年から広く用いられており現在も主流であるが、最新の研究を反映した最新バージョンでは用いられる指標がそもそも異なるなど変更点が多い。

発達障害かどうかは、主に結果グラフの凹凸で見る。
言語性IQと動作性IQの差がよく言われている。詳しい様子は「WAIS 発達障害」で画像検索すると一目瞭然で、凹凸の激しさは弟もそれらとほぼ同じ様子だった。検査結果の例はこのブログが詳しい。
※ただし、このブログのような細かい点数の公表は推奨されていない。

さて、私の結果グラフは下記の通り。

画像1

パっと見、全くといっていいほど凸凹がない。

担当臨床心理士さんが言う、「こんなにバランスがいい人は珍しいです」。
発達障害の可能性はほぼないだろう、との見解も添えられた。そこで一気に疑問が巻き起こる。

じゃあ私は定型発達だったのか?
それなら以前の医師の診断、というか生きづらさはどこから来ていたのか?
もしかして、単に性格の問題か?

それの答えは、別紙にあった。

画像2

画面下部にあるように、IQの平均が90~109であることからすると、最終的な判断材料である全検査IQの137という数値は幾分高い。

また、ギフテッドの一つの判断基準がIQ130以上(標準偏差15)のため、程度としては軽くも、ギフテッドであると言える。

一般的に、IQが20違えば、話が合いにくくなると言われている。137-20=117。それでも平均の109より上になってしまう。実際のところ、IQ差20は俗説で実際の会話に広く当てはまるわけではないと私は考えているが(話題を選んだり話すスピードを調整することで容易く埋められる)、これまで感じてきた孤独感の原因の一つは、ここにあったようだ。
IQごとに話の合う人数をグラフ化した記事がある。

能力の凹凸が目立つのが発達障害、平均値から外れているのを異常値だと定義すれば、私は定型発達であると同時に、異常者と言える。

つまり「ド健常、ただし異常」。


4.もしギフテッドと知れていたら

IQは高ければ高いほど良さそうに思える。しかし、平均より高いことによる弊害が幼少期~20代後半までの自分には多くあった。

圧倒的な孤独感である。

誰から見てもずば抜けて頭がよければ、「そういうもの」、すなわち天才としてのポジショニングができるが、私はけして天才ではなかったので、普通よりおかしな人のままで社会から一枚浮いたレイヤー上で生きていた。

年齢と経験を重ねるとともにバランスをとれるようになってきたが、あのころの孤独感を思い返すと、よく諦めないで生きてきたな、と自分を褒めたくなる。

IQが高いという話になると自慢のように思われがちだが、努力の結果が反映されやすい学業成績と異なり、IQは持って生まれた特性の一つ。背の高低などの本人の努力では変えにくい身体的特徴と同じだ。(IQも栄養状態や生活習慣等により、ある程度後天的に伸ばすことができるという説もある)

IQが平均より高いということは、特性を掴めば可能性を広げることに大いに役立つが、残念ながら、私は今、30も半ばを過ぎるまでそれを実感することがなかった。

思い返せば、小学生の頃に、知能偏差値が70だと教師に言われたとか、進学校受験や公務員試験をほどほどの勉強で通ったという、地頭が悪くないフラグは色々とあった。しかし過去にいじめられていて、興味が持てるものが偏っていて、周囲に思考や行動のペースを合わせられなかった自分は、本気で努力を重ねる気にもなれずに、なんとなく手癖でできることだけで歩みを進めてしまっていた。

もちろん、実際のIQは関係なく「自分ならもっとできる」と信じ、努力を重ねることが肝要なのは言うまでもない。

私の場合は、自分を過小評価しすぎて、結果的に精神病罹患を含む苦しい時間を長く過ごしてしまっていた。

正直なところ、この検査結果を自分が思春期に知ることができていたら、それまでの成育歴の中で自ら育んできた自己否定を和らげ、人と違うことをポジティブに受け止めて、可能性を伸ばすことに早い段階でシフトできていたかと思う。

また、ギフテッドの特性に応じた教育がなされるような社会であったなら、より適した学習機会を得ていたのは間違いない。
(もっと広く、もっと先へと進みたいのに周囲と足並みを揃えざるを得ない学校の授業は、自分にとって牢獄のようだった)
ギフテッドについての知識と、その支援が広がるような未来を期待したい。


5.人生万事塞翁が馬

人生万事塞翁が馬。

私の座右の銘で、人生における幸不幸は予測しがたいという意味の故事だ。結局、これまでの決して平坦ではない人生があって、今がある。

あの時もっとこうしていたら、と全く思わないと言えば嘘になるが、これまでの経験全てが自分を形作っているので、どの出来事も愛おしくすら思う。

辛い時期を乗り越えて(今も安泰とは言い難いけれど)自分を見つめ、表現することをひとつひとつ重ねていったことで腹を割って話せる友人たちに恵まれた。年代や職業、性別関係ない友人たちと、いつも笑って過ごせている。もう、昔のような孤独を感じることはない。

そんなタイミングで受けたWAIS-Ⅳだったが、検査結果は想定以上の気づきを与えてくれた。

自分がギフテッドだったことをもう少し早く知りたかった、という気持ちは確かにあるけれども、検査結果を受け取って、人と同じようになりたくてもなれなかった幼少時代のコンプレックスが昇華された。

もちろん、年齢を重ねるにつれて、人はみな違うと理解していたが、医学的見地から考察されたことで、初めてちゃんと腑に落ちたように感じる。

それによって、自分の可能性に対して肯定的になり「どうせ自分はここ止まりだろう」と限界を決めなくなった。

例えば自分は生まれてこのかたずっと太目の運動音痴だったのだけど、暗闇ボクシングを始めた。自主的に運動をするなんて自分で信じられないが、今、人生で初めて運動が楽しいと感じている。

人と違っていて当たり前なのだから、自分がなりたいものにだってなれる。

ちょっと変なロジックだが、今では心からそう思う。

発端となった父親には私の検査結果はしまっておいて、頭の良さとか発達障害だとか、そういうので人を測るものじゃないよ、ましてや子供なんて、と対話と態度で気長に伝えていくつもりだ。

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