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雑記:安寧への近道、感情の解像度 #1

直近の元彼とはたいへんいい恋愛ができたんです。

というと、「さぞ大事にされていて、やむをえない事情で別れてしまったのね」と思われることだろうが、実際は女としての尊厳を切り刻まれ、心底病んでいた。

どん底からの再生過程が我が事ながら面白いのだが、付き合っていた期間の倍の期間をひたすらに相手との対話に費やし、相手と自分自身を理解することに努め、その過程を経て再生するに至った。
それはお互いの資質と、恋人としては続けられなくても人間としてある程度尊敬できる部分があったからできたことだとは思う。

人と円滑に交際を続けるにあたって、相互理解の重要性は誰しもが理解しているが、その過程で行き詰まることが殆どだ。
話し合いを持つにも、気遣い、世間常識、プライド、上下関係などが絡み合って当初の目的を遂げられないか、本当の願いから遠いところへ着地してしまうことすらある。

それは、まぎれもなく不幸だ。違和感が常につきまとい、満たされない何かを抱えて彷徨うこととなる。
そして多くの場合、その不幸がどこから来るかも分からない。

それを打破する自分なりの答えが、感情の解像度を上げることである。
汎用性が高そうなので、パートナーシップの築き方をベースに記していく。
例によって長文だが、誰かの役に立てたらと願う。

1 感情の解像度とは

解像度について、wikipediadでは「観測対象がどこまで詳しく測定(描写)されているか(後略)」と定義されている。技術的な説明はこちらが明るい。

感情の解像度とは、自己分析力の精度だと私は定義している。
自分は何を感じ、何が好きで、何が許せないのか、といったこと事柄を、初期衝動からできるだけ近いところで汲み取る力。

自分が何を感じているかを本当の意味で知ることは、想像以上に難しい。

社会生活で可塑性を身につけ、器に合わせて自分を変容させるうちに、自分が何をしたかったのか見失ってしまうことはざらにあるし、自分が見失っているものに気づかないことすら珍しくない。

人によっては一人で気づくこともできるが、深い人間関係は散逸したり深層心理に埋め戻されてしまった自分自身の欠片を拾い集めるに大変役に立つ。

2 感情の解像度が低いことで起きる問題

Web埋め込み用と印刷版下用で、必要な画像サイズが全く異なることは、多少印刷物作りをした人ならご存知だろう。

推奨される解像度は、Web用が72dpi(Retinaディスプレイが台頭した現在144dpiが適正とされているが、一旦おいておく)、印刷用が300-350dpi
Web用の画像はデータ量が軽く取り回しがしやすいが、印刷に転用すると、情報量が少なくてぼやけて見えてしまう。印刷の知識がない人でも、手作り感溢れるチラシで見かけたことがあるはずだ。

解像度が低いと、見栄えが悪いだけでなく、必要な情報を伝えることができない。

つまり、感情の解像度が低いと、問題が起こった時に、何が問題なのか把握できず、建設的な対策がとれないままで終わってしまう。

だがそれは、すぐに改善可能だ。

3 感情の解像度を上げると良い理由

解像度が低ければ扱いやすくなる画像と違い、感情の解像度が低くて良いことは残念ながらほとんどない。深く考えないので落ち込まない、といったことはなく、自分自身の感情に自分が振り回されることが多くなる。

逆に高い場合は、マイナス思考に陥りやすくなったりはするが、情報処理能力や問題解決能力をが上がるにつれて軽減される。

どちらもその人の性格や資質による部分は大きいが、自身の感情を適切に取り扱うことは、最終的に人生の質を大きく底上げする。

人付き合いの中で必要以上に気をもむことがなくなり、トラブルが起きても迅速な解決に向かい、余計な人付き合いや浪費がなくなり、心から心地よいと思える時間が増える。

それらの全ては、自分を知ることから始まる。

長くなったので、続きは別稿で。


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