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パートナーの好きなところ

先日、友人と話していて「パートナーのどこが好きか?」という話になりました。突然聞かれると難しい質問です。
咄嗟に思いついた答えは「なんでも話せること」でした。

パートナーといると会話をすることが1番の遊びになるところが最高です。
一緒に話しているだけで楽しく、幅広い話題について議論することができます。

振り返ってみると、こんなになんでも話せて、なんでも聞いてくれる人に、これまでの人生で出会ったことがありませんでした。心からの疑問や考えを開示し話し合い、議論できるような人ってなかなか出会えるものじゃありません。

中学校の時の同級生から「生きる意味とか考えている人に初めて会ったからNanaoとなにを話していいのか分からなかった」と言われたことがありました。
高校生の時はいつも、なんで?なんで?と言っていたから「なんで」があだ名になったことがありました。

大抵、私の疑問や質問は、「めんどくさい」「何言ってんの?」「大人になれよ」みたいな言葉で流されたり、一笑されて終わり。
疑問に思うことを一緒に考えて楽しめるような人はいませんでした。

まだ子どもだったあの頃、「分かる、分かる」「私も」「そうだよね」と共感を積み重ねていくような会話にうんざりしていた私は、「どうして?」「私はそうは思わない」「私はこう思うけれどあなたは?」と深く掘っていくような会話に憧れていました。

考えるとめんどくさいようなこととか、社会の規範に不適合なことにも、考えるべき大切なことはたくさんあります。そういうことをパートナーとは膝を突き合わせて議論することができるのです。これは本当に幸せなことです。


ふと気になった日常のことも、人生のことも、芸術のことも、人類についても、政治についても、多様な話題を共有することができます。
いつも二人の意見が同じという訳ではありません。でも意見が対立するときが面白い。そういう時、お互いに視野が広がり、考えが深まります。

もちろん、白熱の議論ばかりしているわけではありません。どうでも良いくだらないことばかり言って毎日ゲラゲラ笑っています。笑いのツボが合うことは外せません。

いちいち色んなことに疑問を抱くことも、生活の糧にはならないようなことを考え続けることも、面倒臭い奴だと思う人が多いだろうことは、これまでの経験から理解することができます。
でもパートナーはそういうところを馬鹿にはしません。そういうところが素晴らしいと言ってくれます。だから信頼し、共有することができるのです。


彼と出会うまでは、私の人生の最良のパートナーは自分自身でした。自分と話したり議論している時間がとても楽しく、自分と一緒にいることが大好きでした。

今でももちろん自分のことが大好きですが、誰かと一緒にいるからこそ深まる時間の味わいがあるのだと分かったのは、パートナーのお陰です。
私の言葉に耳を傾けてくれる人がいるというのは、自分という存在が受け入れられているなと日々感じさせてくれる、とても大きなことです。


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