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さよならパリ、たくさんのありがとうを!

突然ですが、今月で日本へお引越しすることになりました!

パリを去るにあたって7年間のパリ生活総まとめを書きたかったのですが、この街で過ごした日々を一言にまとめてしまうのはどうにも難しそうです。でも帰国したらまた、バタバタと忙しい中でいまの気持ちはどこかへ忘れてしまうことでしょう。その前に何か残しておきたいので、とにかく書き出してみます。




小さなアパートの床を埋め尽くすように全ての持ち物をひっくり返し、必要なもの、誰かにあげるもの、処分するものと選別していく。本を一冊、服を一枚、カバンをひとつ。少しづつ荷物を手放し、残った大切なものをスーツケースに詰める。なにかを手放すたびに、ひとつの章が終わるのだと言う実感が湧いてくる。私はどんどん身軽になっていく。


パリで過ごした7年を振り返ると、面白かったことや楽しかったこと、良き人たちに出会えたことばかりを思い出す。不思議と嫌なことは思い出せない。我ながらお得な性格だ。


この街を去ることに後悔はなく、後ろ髪を引かれる想いもない。

もちろん、あのレストラン行くのを忘れていたとか、あの街に行きたかったとか、ヨーロッパにいる間にあの国を訪ねてみたかったとか、探せばやりたいことはいくらでも見つかる。だけど次の楽しみを残しておくのも嫌いじゃないから、フランスへ来る理由ができたと思うことにする。

この街でやってみたいと思っていたことに挑戦できた7年だった。挑戦して上手くいったことも上手くいかなかったこともあるけれど、いま感じるのはなによりも充実感だ。



パリに着いたのは2015年の9月。25歳になったばかりだった。

子どもの頃から何度かフランスに遊びに来ていたけれど、住むのは初めて。海外に住むの初めてだし、一人暮らしも初めてだ。英語はテキトーだし、フランス語は挨拶ができるくらい。資金は2年間日本でアルバイトを幾つも掛け持ちしてなんとか集めた貯金だけが頼りだった。


パリへ引っ越す前に、いろんな人からいろんなことを言われた。

「お金はどうするの?そんなんじゃ足りないよ」
「せめて大学ぐらい卒業してから行きなよ」
「海外なんか行ってどうするの?」
「ちゃんと日本で正社員の経験を積んでから行きなよ」
「日本で何もできないくせに外国に行けばどうにかなると思うなんて考えが甘い」
「やりたいことをやるのは、やるべきことをやってからだよ」
「世の中を舐めすぎてる」


もちろん応援してくれる人、励ましてくれる人、一緒に喜んでくれる人もいたけれど、どうしてだかネガティブなことを言ってくる人も少なからずいた。

それでも決意が揺らがなかったのは、両親が賛成してくれていたことが大きかったと思う。「やりたいことは自分のお金でやりなさい。その代わりお好きにどうぞ。あなたが幸せで健康ならOK」と言う教育方針だったので助かった。


あの時、一歩踏み出してパリへやって来て本当によかったと、確信を持って言える。



初めの1、2年は必死に節約しながら暮らしていて、仕送りをもらっている留学生を羨ましく思うことも確かにあった。資金不足で、特に住処に関しては大変なことが多かった。だけど同時にそれは、世の中にはこんなにも優しい人がいるのか!と驚くことの多い、出会いの日々でもあった。


短期契約のアパートの期限が切れる時、一緒になって引越し先を探してくれたこと。家なき子になりそうな私に、アパートのリビングを差し出してくれたこと。食うに困っていたときに毎週のように美味しいものを食べさせてくれたこと。又借りしていたアパートの契約人が実は家賃を滞納していたばっかりに差し押さえ人がやって来た時、途方に暮れている私を助けてくれたこと。引っ越しのたびに文句も言わず重たい荷物を運ぶのを手伝ってくれたこと(7年間で13回引っ越しした!)。

9平方メートルの極小屋根裏部屋に引っ越した日の夜、初めて閉所恐怖症を発症し、パニックになってしまったことがあった。すがるように友人に連絡すると、深夜1時過ぎにもかかわらずタクシーを呼んでくれ、彼女のうちへ私のことを引き取ってくれたこと。


思い返すと大変だったこともあるはずだけど、それよりもたくさんの人が惜しみなく助けてくれたお陰で生活して来れたのだなという感謝の気持ちの方が格段に大きい。困ったことの後には嬉しいことがやってくるのだ。


助けてくれるのは出会ってまだ数ヶ月の友人だったり、知り合ったばかりの人だったり、時には全く知らない人だったりもした。優しくしてもらうことで学んだことは計り知れない。確実に私の人間性と人生に良い影響を与え、世界を広げてくれた。

お世話になったことを書き出すとキリがない。

書いたり写真を撮ったりする仕事をしたいと話すと、友達の友達まであたってくれて面接の約束を取り付けてくれたこと。語学テストのための面接の練習やフランス語作文の添削に何度も付き合ってくれたこと。個人事業主になるための複雑難解な手続きを手伝ってくれたこと。アシスタントになれるよう写真スタジオに紹介してくれたこと。無償で高価な撮影機材を貸してくれたこと。

そして何でもない毎日を一緒に楽しく過ごしてくれた友人たち。

いろんな国に友達ができた。いまでは連絡の途絶えてしまった人もいるけれど、共に過ごした時間は私の中に残り、決して消えることはない。


パリへ出発する前、とあるアルバイトで知り合った先輩で、アメリカに住んだことのある人から言われた言葉をよく覚えている。

「すごく良いと思う。私も若い時にアメリカに住んだことがあって、あの時の経験は今でも宝物のような時間だから」

そう言い切る彼女の清々しい表情に憧れた。

あれから7年経ったいま、私も自分の中に、かけがえのない宝物のような時間を持っている。





あと数日でパートナーと一緒に日本へお引っ越しします!

彼がシャルキュトリー(ハムやソーセージやパテなど豚肉メインの食肉加工品)の職人の資格を取得したので、一緒に日本のどこかで自家製ハムを使ったサンドイッチ屋さんを開く予定です。

どこに良い物件が見つかるか次第ですが、まずは生まれ育った阪神間で始めようか。でも知らない町に行くのも楽しそう。ゆくゆくは山の方で燻製や塩漬け肉も作りたい(作ってもらいたい)などなど夢が広がります。すごく楽しみです。

日本に帰ってもnoteは続けていこうと思っています。本や映画のこと、日常生活のなかで気づいたことや考えたこと、それにサンドイッチ屋開業日誌も書きたいな。

これからもnote、読んでもらえたら嬉しいです。



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