Nana
桜は4月を忘れたりしない。そしてここが、なにかしらかの節目であることを絶対的使命として悲しくも嬉しくもそれを知らせる。一言だけ言いたい。4月、ちょっと花粉がひどすぎる。 久しぶりにデパ地下でお惣菜を買った。閉店間際のショーケースに貼られた値引シールが贅沢を許す免罪符のようで嬉しかった。値段を見ずに好きなものを選んだら、ほとんどが変わったサラダだった。よくがんばったな、と簡単に自分を褒められる贅沢はすごい。今日もごはんはおいしい。 この1年はこれまでで1番意味不明で、軽い言
東京の夜は短い。誰かが気合いで乗り切れると信じて疑わないそれらは幻で、誰かが喉から手が出るほど欲しいものは普通に転がっている。それが東京なのだ、ということを痛感した。マジョリティだと思っていたものは全然マジョリティではなくて、マイノリティだと認識していたいくつかはマジョリティだった。多分それは、なにを切り取ってもそうなんだと思う。 高校生の頃に集め始めたスタバのカードは100枚を超え、1年かけて味噌をつくるようになって数年が経った。時間軸を伸ばして、毎日じゃないけれど「なん
歴史の授業以外で初めてフランスという国を意識したのは高校生の頃だった。ミッドナイト・イン・パリという映画を観たことと、Phoenixというバンドに出会ったことだった。 ちなみに、大人になって見返した時に「あれ、いい映画だな…」と思ったものの、初めてミッドナイト・イン・パリを観た時は「なんだこの退屈な映画は」と思った(今でこそああいう作品は好きだが17歳には早かった) パリの地下鉄は最悪で、なぜか乗った後降ろされた(多分何かの不良だった、フランス語のアナウンスなのでわからな
この夏は、随分と上手(うわて)だった。そろそろ期限が切れてきたか、夜の涼しさを手に入れて意気揚々と歩いて帰ったら、案の定汗は止まらなかった。ちょっと敵わない。 一番わくわくする汗をかいたのは、高校の夏。修学旅行で中国に行ったわたしたちは(旅先が選択式だった、今思えば公立にしては随分自由だ)定番観光ルートをまわり、とある観光ストリートへと行き着いた。 修学旅行の自由時間にはいくつか決まりが課せられる。ひとつは集合時間を厳守すること、ふたつめはルールを破らないこと。そこでの
ミニシアターの小さな入り口で、いくつもパンフレットを取って眺めた。よく知らない演者が、何かを表現している。その「よくわからないもの」と対峙する感覚だけで充分だった。ビデオショップで100円レンタルを何度も繰り返した田舎の高校生あがりの上京なんて、それぐらいの変化で十分なほどに新鮮である。 「しぶといんだよなあ、この街」 いつも行っていた喫茶店のカウンターで、職人のおじさんがつぶやいたその一言がすべてだと、今では思う。人口150万人にも満たないこの小さな都市にこれだけミニシア
1996年に誕生したたまごっちは、手のひらに収まるサイズにも関わらず人々の注目の的であり、ちいさな宇宙だった。卵から生まれたこども、のようなものを手の中で育成するそれらはフンをする、放置すると死んでしまうなどのリアルな設定で、わたしたち自身が「育てている」という感覚をつくりだしていた。その後派生したデジタルモンスターもいまだに現役であることからみて、とにかく「育成ゲーム」というものに無意識的に触れる環境下であることはおそらく間違いない。 村上龍による「オーディション」では、
文章を書くことを始めたのはいつだったか、もう覚えていない。小学生の頃にはすでに新聞の投書欄的なところに文章を送って、掲載されるともらえる図書カードを持って本屋に行くのが好きだった。本名で載る欄に出すようになってから、当時の彼の母親が「載ってるね」と気付いてくれていたらしい。恥ずかしかったけど、嬉しかった。 ずっと、どうして「書くこと」が好きなのかを明確にしてこなかった。グレーなままの方がずっと好きでいられる。わからないものも、そのまま持っておく強さも存在するからこそ。でも、そ
 マジックバーというものに足を運んだ先日。どこかでみたことあるようなフォークを曲げる王道のそれや、気づいたらトランプが2枚両面くっついている事態に、普通に驚いたし歓声が止まらなかった。アルコールも相まってまわりの驚きも最高潮だったし、タネがあるに違いないという事実なんてどうでも良くなるぐらい笑った。あの夜は、最高だった。 — エンターテイメントの正体は一体何者か。物心ついた頃から、多分人よりも少しちかいところにエンタメというものがあった気がする。幼い頃、連れられた運動競
そのとき歴史は動いた、と彼女はTシャツの裏に堂々と記した。真っ赤なそれに記された白は誰がみてもまっすぐで、眩しかったに違いない。ヒーローについてわたしが書いたことをふと思い出して、懐かしくなった。 よく言うけれど、大人になってからの日常というのはわりとうまくできていて、まわりの平均値が「自分」になっている。わりとよく、そう思う。だからわたしにとって芸術に触れることはすべての自分の壁を壊すための破壊活動ともいえるし、チャレンジとも言える。だから、わざわざ知らないところを覗いて
B7のエスカレーターをのぼる。綺麗だった、としか言いようがない。いちばん叶えたくて、いちばん叶ってほしくないことだった。寒さが明け始めた頃、夕方の真風が体温をちょうど下げてくれる。当たり前に前に立ったし、後ろを歩いた。地図アプリを開かなくて済むから、携帯の電池なんか要らなかった。何の話をしていたんだろう。気づいた時には夕日が髪の毛を綺麗に茶色に染めて、わたしの巻いてあげた髪が可愛くてつい手を伸ばしていたし、あの頃にはすでに白シャツが好きだった。あの出口を、わたしはいまだに避け
不安を理由に決断をしない。本に学んで今でも覚えていることなんて、これくらいのこと。読書に意味はあるのか……という会話を何度も聞く。本に救われた人もいるだろうし、読むことを諦めてしまった人がいることも知っている。日常にない気持ちを味わえたり、誰かの考えに触れることの必要性だったり……分かる、それもいいよね。けれど、思い返せば読書に意味を見出すとすれば「必要な時に助けてくれる“かもしれない”もの」である。貯金に近い気もする。誰かが「読書は平面の知識の積み重ねだ」と言っていたし。つ
まだ暑い京都で、半袖を当たり前のように着る今年の10月は曖昧すぎる。そんな中、買った方がはやいキムチを、わざわざ自分の手で一から漬けている。一週間かけて育てながら食べ尽くして、それを繰り返す。やらなくていいことを、わざわざ一からやる癖は年々ひどくなる。これが歳をとるということかもしれないし、そうだといいなんて呑気なことを、たまに考えている。 ハロウィンの化かし化かされには興味がなかったけれど、お化け屋敷が好きだった。怖さがないというよりは、不意打ちのそれが好きだ。予想できな
暑さにやられて堕落しきった夏の、冷房の効いた部屋。ソファで横になったまま、ギリギリ届くテーブルに置かれた果実に手を伸ばす。模擬果実狩りだと言い訳しながら、長期休暇気分の25の夏。 食べることが好きな母と妹と、例に漏れず食いしん坊に育った私。夕食の後は決まって「デザート!」と妹か私のどちらかが口を開く。文句を言いながらも用意してくれた果実を手に、1番嬉しそうなのは間違いなく母だった。桃が1番ずるい。包丁で綺麗に整えられて、皿には雑多に乗せられたそれらを台所から現れた母は片手に
この季節の夜は、きまってベランダに出る。夏が来る前の夜は昼間のそれからは考えられないほど涼しく、すべてが透き通っているような気がする。そして、バスが曲がる前に大きく光る四角の小道具店に心を踊らせているのは、きっとわたしだけじゃない。 いろんな感情や苦難を、自分だけじゃないからと乗り越えた。でもそれと同時に、全く同じ温度で感じているのは自分だけであって欲しかった。独り占めしたいと願うその救いとの矛盾は、いつまで経っても消えない。誰かのものであって欲しいと同時に、自分だけのもの
回送のバスが走り始める午前四時。三十分も経てば端が染まり始めてしまう季節は、間違いなく春だと思う。寝起きのパジャマでゴミ出しに行っても心地良いくらいの気温と、朝の挨拶を交わせるくらいの余裕はある。 人と向かい合う時、わたしたちは無防備だ。経験の順序による偉さなど存在しない。順序によって生じるルートの差異が影響を及ぼすのは自分への方向のみであり、他人には向かない。向かい合ってしまった瞬間、経験の手札は整列の意味をなさない。わたしが体験したことはきっと誰かも通る道であり、通った
美しすぎる書店の前でうまく笑えなかったありのままを、美しいと収めてくれた日がある。振り向いた真顔を、綺麗だと呟いた。当たり前のように空は青く。リセットじゃない、リスタートだ。そう言って、迫る憂鬱を愛しむ目をまっすぐ見つめて受け入れられた。あの日を回想するだけで救われる。それくらい大きく眩しい、現在にも有効な、過去の触媒。きみのリセットはグレーだから、見惚れてしまう。 守るべきものがあらわれたとき、守れる自分でいられるように。学び、追い込み、深く潜る。息は長く続くようになり、